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マスク脳馬鹿を批判する


まだいた、こんな周回遅れ野郎が。


マスクに効果がないことは実質的に東京都は認めている。

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いや、データは示しているが、それを認めていない、と言う状況かも知れないが、認めざるを得ないのが現実だろう。

街中を見ても、着けてないのは一日で考えても自分と数人。

電車だって店だって、いつでもどこでも誰でも着けている

その率は恐らく昨年から全く変わっていない

なのに感染数は増えたり減ったりしている

これで効果や意味があると言えるのは流石に馬鹿しかいないだろう。

さて、そんな中でも馬鹿な記事を書けるコラムニストと載せれるメディアが存在する。

余程馬鹿界の精鋭が揃っているのだろう。

今回の"それ"は木村隆志と東洋経済オンラインだ。

記事から要点を抜き出し批判する。

これらの背景にあるのは、「感染者数などの数値が下がってきた」「2回分のワクチン接種者が国民の半数を超えた」などの変化ですが、一方で感染拡大や医療現場の逼迫などの不安が払拭されたわけではありません。第6波への懸念があるほか、ワクチンを接種していても感染してしまう「ブレイクスルー(感染)」が起きていることも発表されています。
そんな今、「あごマスク」を含め、なぜマスクをせずに過ごす人が増えているのでしょうか。

まずこの問題提起の時点で回答が出て終わる話だが、

マスクにもワクチンにも意味、効果がないことが認識され出したからと言う他ない。

そして本来は、論の進め方としてまずマスクの効果を立証することから始めるべきだが、彼等にはそれが不可能だったらしく、いきなり意味不明な方向に脱線する。

彼らの言葉から、その心理状態を掘り下げていくと、本当の問題点が浮かび上がってきます。

結局、ここでも結論を自ら図らずも述べているが、

マスクを着ける目的、理由が心理的なものにしかないのだ。

もうその路線でしか彼等は戦えないと本能的に分かっている。

ただ信仰心がそれを認めないのだ。

「なぜマスクをしないのか?」の理由を尋ねる街頭インタビューでは、「ワクチン打ったからです。2回打ちました。(マスクは)電車に乗るときくらいしかしないです。日本くらいですからね、ワクチン打ってこれだけ『マスクしろ』って言うのは。他の国は全然してないですから」「2回ワクチン打ってますし、『そもそもマスクでコロナ防げないよね』って。飛沫防げるけど、こんなことやってるの日本だけでしょ。『バカかな』みたいな感じで」という声をピックアップしました。
もちろんこういう人がすべてではありませんが、ブレイクスルー感染が発生している以上、ワクチンの理屈は通っていません。

馬鹿の度が過ぎる。

冒頭の画像が示す、また我々の認識能力が示す通り、世の中の大半がマスクをしているが、それでも陽性者は出ていたし、ワクチン打ってもマスクが必要って、ワクチンに効果がないことを認めただけでしかない。

己が最も理屈を通していない。

理屈を通すなら、ワクチン打っても感染するなら効果はない、マスクも実質全員着けているから効果はない、しか無いはずだ。

この迷走する馬鹿を救う為のブレイクスルーは全く彼が馬鹿過ぎるが故にブレイクスルーたり得ない(馬の耳に念仏)が、ワクチンやマスクは簡単にブレイクスルーしてくる。

それ以上に、「外国と比べる」という考え方は、自分に都合のいい情報だけを抜き取って正当化する利己的思考そのもの。マスク着用の義務化や解除を政府が決める国が多い中、日本は「推奨」や「お願い」をするだけで強制力はなく、1人ひとりに自由がある状態です。
つまり、「外国を模倣する」という考え方は、自由につながるより、「国などから制限をかけられるリスクを含んでいる」ということ。それを無視して都合のいいところだけを見て「日本はダメ」と言うのは偏った思考回路にすぎないのです。

ちょっとぶっ飛び過ぎて理解が追いつかない。

外国を参考にすると言う手法の悪いところだけを抽出し、それを根拠に「日本はダメ」と判断したと判断するのがまさにその偏見じゃねえのか?

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気になってしまうのは、「みんなしていない」「尊敬している大先輩が」と他人のせいにしていること。これは「自分は責任を取らない」と言っていることになり、まだ大学生と言えども、緊急事態で生きる社会の一員として見ると残念な姿勢でしかありません。

今人々がマスクを着けている理由こそ、みんなしているからなのが理解できないのだろう。彼は。そう言う意味では彼は他人に流されないだろうね。だがそれは馬鹿過ぎるから理解ができていないと言うだけの話だが。

「暑い」「耳に違和感」「怖い」は、すべて自分目線のみの言葉であり、そこに他者への優しさや配慮はありません。自分が「感染させられるかもしれない」という視点が全面に出てしまい、ともに生きる人々を思いやるような姿勢が感じられないのです。

思いやりって、他人に強制されるもんじゃねえだろ。てかお前こそ思いやりの為にマスクしろ、ってどこに思いやりがあるんだ?

何を思いやったんだ?その思考の中には恐ろしいコロナとコロナで人が死ぬ、くらいしかねえだろ?

こう言う思慮が水たまりくらい浅い奴の思いやりに何の価値があるんだ?俺には飼い猫がくれるバッタ程の価値もない

ちゅーか暑さや耳の痛さなんてそれこそ人々の健康を害する問題を放置する奴に思いやりを語る資格はねえ。

おそらくマスクをしない人たちに「自分のせいで医療現場を逼迫させることになってもいいのか?」「医療従事者の奮闘や亡くなった人のことをどう思っているのか?」と尋ねても、まともな返事は得られないでしょう。

そらそうだ。質問がまともでないからまともな回答が得られる訳がない常識人は馬鹿の相手をすることを警戒するだろう。

大体、俺(例えば)がマスクしないことだけを原因として医療現場を逼迫させた人、亡くなった人を一人でもいいから連れてきてくれ

架空の被害者を創り出して、実在する人間より優先するのは、本人に普通なら不可能な疚しい要請をしたいからだろ

また、「マスクをする」という前提があるからこそ、ようやく行動制限が緩和され、経済活動を再開できるのに、マスクをしない人が増えたらそれを危うくしてしまうかもしれない。

マスクは効果がある、と言うのが何故1+1が2であるが如き話になるのか。

そしてこれは行動制限そのものなんだが、最早そうであると言う認識すらないマスクはパンツ、的な考え方はまれに気違いがやっているが、それを超えるカルトと言えるだろう。

そして感染数の増減にどれほど相関があるのか全く検討する素振りもないが、こう言う非科学的な奴等は議論が不可能なんだよ。

「何故マスクをしたら減ると言えるのか」

と言う問いに対する回答はおおよそ、

「何故マスクもしないのか?」

と言う質問返ししかないからな。個別に事実や仮説を共有することすら最早不可能なのだ。

だからマスク脳はカルトなのだ。

本来は、ともに社会を形成する一員である以上、そんなリスクを軽減するための小さな協力として、「マスクくらいつけよう」と考えるのが自然ではないでしょうか

大東亜戦争中、日本の敗北の可能性を言うだけで非国民扱いされていた歴史と何が違うのか。

これを全体主義と言わず何と言えばいい

これを自然と信じて疑わないから全体主義が繰り返されるんだろうが。

しかし、繁華街に限らず住宅街でも、日中はほとんどの人がマスクをつけているのに、夜になると様相が一変。マスクをせずに会話を交わす人、「声が聞きにくいから」とマスクを外して電話をしている人、人通りのある道をマスクなしでランニングしている人など。自分のやりたいことを優先させるあまり、他者への優しさに欠ける人が日に日に増えています。

マスクを外しただけで他者への優しさに欠けるなんて言える人間は、一体どれほどの優しさを持つのだろうか

もうこの馬鹿過ぎる文章と俺の批判を読んだ人には、この馬鹿に優しさなんて感じていないだろう。

もし感じる者がいたとしたら、それは結局マスクを着けないのは優しさがないからだ、と言う教義を信じる者が、相対的にそう認識しているだけでしかない。それ以外に優しさなんてないのだから。

そしてそれは優しさ=マスク着用、それ以外の優しさは存在しないと言うカルトでしかない。

「マスクをしない人に近づかないほうがいい」のは、新型コロナウイルスの感染予防という観点では当然でしょう。しかし、ここまで書いてきた「周囲への優しさや配慮が足りない」という意味で、マスクをしない人々は異なるリスクを持つ存在にも見えてきます。

正直、近づかないでほしいのはある。一生マスク脳とは関わりたくないから。

それはさておき、予防効果がないのは冒頭の画像、我々の日々の感覚、日々報告される陽性者数から明白だろう。

何せ、感染者とされる人々は基本的にマスクをしているのだから。

そんな事実も認識できずに、着用を強要する奴等程迷惑な人間はそうそういない。

そして、

その意味で見逃せないのは、「マスクをしない」というだけではなく、同時にルール違反をしている人々。マスクをしない人の中には、

これは全く関係のない話だろ。ルール違反を普通にやってた奴等がマスクもしていない、と言う一つの例でしかなく、俺は基本的に常識ある行動しかとらないが、それでもマスクをしないのであり、大多数の反マスク派は、その有害性(感染予防効果どころか衛生的問題、コミュニケーション問題、経済問題、同調圧力問題即ち憲法、自由の問題)等の観点からつけるべきでないと主張しながら着けていないのであり、すり替えるにしてもレベルが低過ぎる。

「飲食店で店員からマスク着用を求められて逆ギレした」「たまたま顔を見ただけで『何か文句でもあるのか?』と凄まれた」というエピソードを聞いたことがありました。どちらも精神的な苦痛だけでなく、マスクをしていないため、飛沫を浴びてしまったのは間違いないでしょう。

マスク着用を求めるのが過剰、不当な対応でしかない。そしてそもそも本物のコロナ脳店はさておき、こう言うマスク排除圧力者からのクレームが何より恐ろしいから彼等は対策(マスク着けてとこっちは言ったから責めないで対策)しているのだ。表に出てくるのはマスク着けないことを指摘された者達だが、その裏にはマスクをしていない客の存在をわざわざ店舗等に執拗に通達し、クレームを入れる非社会的なクレーマーが多数いることを忘れてはいけない

マスク脳達は、このクレームを処理する店舗等々の精神的、時間的、金銭的負担のことを一度でも考えたことは無いのか

この手の馬鹿達こそ、意味不明な、非化学的、非道徳的正義感により、

「ふだんから周囲に何らかの負担をかけているタイプの可能性が高い」

人間だと自覚すべきだ。

最悪のケースでは、「9月18日夜、ドイツ西部のガソリンスタンドで、マスクをつけずに買い物にきた49歳の男が、マスクの着用を求めた20歳の店員と口論になり、銃で射殺してしまう」という痛ましいニュースがありました。

それこそ、マスクの強要さえなければ何も起きなかった事件だ。そもそもマスク着けてまで口論する馬鹿は目的すら理解していない馬鹿だろう。

こんな馬鹿な事例が起きるのは、マスク強要があるからこそだ。

せめてその意味を説明できるならまだしも、できないから、無理矢理やらせようとしてトラブルになる。基本的にコミュ障なのはマスク脳だ。

最後に俺から優しさを提供しよう。

俺がマスクをしないのは、したくないから、自分だけ楽したいから、社会に背きたいから、みたいな幼稚な理由ではない。

まず第一に意味がない

そして意味がないのに社会的圧力に従わされる人々への圧力軽減を目的としているし、

またマスク強要社会が齎す、飲食店やカラオケ店、交通産業の被害への反抗であり、

決して楽したいからではない。寧ろいちいち軋轢を生む可能性もあるから長い物に巻かれているより遥かにしんどいものだ。

それこそ社会経済の為にやっているのだ。

それは大前提としてマスクに意味がないこと、そしてマスクがとうなろうがウイルス感染症はなくならないし、今まで社会が許容してきたインフルエンザより遥かに感染症被害が小さいと言う事実がある。

マスクしてりゃそれでいいだけの馬鹿とは考えていることが根本的に違う

こちらが会社経営戦略会議体だとすれば、マスク脳はそれと同じことをしていると言う認識で、カラーコピーの削減や両面印刷の低減で会社の経営を立て直そうとするくらいの雲泥の差がある

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