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ぼくのいんぱあるさくせん

この青沼とか言う馬鹿は相当な不勉強なのだろう。

インパール作戦と書けば何もかも己の批判を正当化できると信じて疑わない。

時代劇を見た直後の幼児のようだ。

まず彼にとってのインパール作戦がどんなものか、記事から読み取ろう。

また、史上最悪の作戦と酷評されるインパール作戦。この作戦立案にあたっては当初、補給をはじめ無理があるとして、現地の第15軍の幕僚たちは作戦の不可を申告していた。これに立案の中心人物だった牟田口廉也中将が激怒し、同軍の参謀長の解任にまで至っている。それで突撃優先、兵站軽視で決行された同作戦の末路は、多くの日本兵を飢餓と疫病で死に追いやったばかりでなく、日本の敗戦を決定づけるものだった。まして、現地を視察した秦彦三郎参謀次長が戦局の悪化と同作戦の中止を示唆したところ、東條英機首相兼陸相はその弱気を責めたという。相次ぐ作戦の失敗と戦局の悪化で、戦争指導の継続と政権維持をインパール作戦の成功に賭けていた。それが作戦中止を遅らせた一因となった。菅首相がオリンピックにこだわるのも、感染対策への批判で支持率が落ちる政権の浮揚を狙ってのものだとしたら――。

つまり、「無理な作戦だった!」

と言う雑な分析を尤もそうに見せる為に持ち出しただけと言うことだ。

彼の思考回路は、

大日本帝国、旧陸海軍は精神論だけの無能

インパール作戦、ガダルカナル戦は無謀

自分はそれを知ってるから賢い

これだけしか無い。

インパール作戦が何かも全く知らない。

俺も別に大東亜戦争史に精通している方ではないが、

インパール作戦を持ち出すならその意義や背景を考えたいと思うものだ。

インパール作戦とは、日本が米英蘭支連合国軍と多方面において交戦する戦争の内、比較的末期の1944年3月に開始された作戦で、イギリスによる支那国民党蒋介石軍への補給ルート遮断を目的とした作戦だ。相手はイギリス及びイギリス領インド帝国だ。

これは目標は一見すると明確であり、戦況を好転させる為には重要な作戦と言える。

しかし、その実現の為の課題が大き過ぎた。

日本軍は慢性的に武器も食糧も足りていない為、現地調達(徴発)が常となっていた。

その為には人が多く住み、安定した食糧を調達できる地域を戦場にしたいが、インパール作戦の舞台となった地域は、雨季が酷くその時期はそもそも補給すら難しく、かと言って乾季になれば良いかと言えばそうではなく、山岳や河川が多く行軍がそもそも難しい上に、人があまり住んでいない地域の為、徴発すらできず、そもそも最初から破綻していたような作戦だった。

と、これだけ書けば察しの良い方はお気付きだろうが、

まさにインパール作戦とは実現不可能な上に多大な犠牲を強いる今の自粛作戦のようなものだ。移動を制限し、皆が我慢すればコロナはやっつけれる。それと同じ精神論の構図だ。

だからインパール作戦を主導した牟田口廉也は今の分科会尾身茂であり、決して現菅政権の失敗を揶揄する為に用いるのは極めて不適切だ。

ガダルカナル戦の失敗から作戦を保留していたが中止に持っていけなかった指導力不足と言う点から当時の大本営になぞらえて批判するなら分かるが、インパール作戦とは結局現地における牟田口廉也の無謀な暴走であり、尾身茂の暴走でしかない。

支那大陸では1937年の日本軍が盧溝橋事件からの対支戦争(国民党)を繰り広げていた。各地の戦闘においては殆ど日本が勝利していたが、敵は支那大陸を縦横無尽に逃げ回る為泥沼化していた。それを打開する為に行われたのがインパール作戦であり、この作戦において参加したほぼ全ての軍人、総勢16万人が亡くなった。戦いにおいて勝っていたとは言え、長期化は戦力や資本の浪費にしかならないから、早期決着の為と言う気持ちはまだ理解できなくもない。チャンドラ・ボースをはじめとするインド人の協力もあったから情緒的にも分かる。

一方の尾身茂的緊急事態宣言系の暴走はどうだ?

例年のインフル未満の被害しか出ていないのに、不当に国民の利益を収奪したのだ。いや、収奪と言うより廃棄させたのだ。そもそも大義が全く無い。その癖に無謀な作戦に踏み切った尾身茂や西浦博のような無能専門家の罪は重い。そして当然それを煽った玉川徹や岡田晴恵、その他の似非専門家に小池百合子のようなインチキ政治屋の責任も重い。

青沼とか言う馬鹿は政府を無謀と批判するが、自分達の終わりなきコロナ戦争こそ終わりがない戦いだと理解しよう。もし違うと言うならその終わりを示してほしい。

まあ無理だろうな。俺は昨年からずっとコロナ脳に終わりがいつかを聞いたが誰一人答えやしなかったから。

無謀な戦いとはまさにゼロコロナの戦いだ。



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