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「国民」の勘違い

山口真由さん、コロナ関連ではそこそこまともだと思ってたけど、この問題を語るには勉強不足してんじゃないの?

ちょっとがっかり。

「国民に向けての文章」ではない

この小見出し、正しい指摘だと思うが、受け取り方が違う。

実際にわざわざ国民に向けて出す必要性のある文書なんてない。


そもそも自分達に向けてそのような文書を出す必要性があると考えている人達は、国民とはどんなことを指し、自分はその中のどんな役割を担っているとの認識なのか、小一時間問い詰めたい。

所謂「主権者国民」論か?

しゅけん‐しゃ【主権者】
〘名〙
① 国家の現実の支配権を持つ者。旧憲法の下では天皇、新憲法の下では国民。〔仏和法律字彙(1886)〕
② 家庭、団体などで、その最終的なあり方を決定する権力を持つ者。
※日本の下層社会(1899)〈横山源之助〉二「維新前は、問屋は産業界にては唯一の主権者にして実に平民社会には上級を占めたり」

しかしこれは、国家の基本的なルールを民主的法治主義で治めようと言う大前提の価値観が存在し、それを憲法で明記し、それに従って国会を作って、そこで立法行為を行い、それを更に国会が決めた内閣が中心に運用する、と言うルールの話であり、

国民が主権者、と言うのは国民がルールと言うルールでもなく、国民が具体的な政治課題乃至問題に直接権利を行使すると言うルールでもなく、そもそもその国民と言う抽象的な存在を、今回のような具体的な事象の決定権者とするのは不可能だし、可能であるかのような妄論は排除しなければならない。

そうしなければ結局選挙で国会議員を選出する意味がない。法律がある意味もない。内閣を指名する意味もない。そして汎ゆる政治課題、行政判断は無責任な国民の恣意的な意見に左右されながら、何故か内閣が批判されると言う状況になるし、今まさにそうなろうとしている。

国民と国家の繋がりとはざっくり言ってこんなものだ。

そんな奴等に小室さんが、眞子殿下が認められなければ結婚できないなるルールは一体どこに存在するのか。小室さんは文書を国民に向けて書かねばならないルールは一体とこにあるのか。いやルールが無くても必然性がどこにあるのか。あれが国民に向けられていたなら話が違うのか?いやそんなことはない。今までどんな説明を小室さんがしても、ここでくっちゃべってる一応言論人的立場の三人すら理解しておらず、当然国民も理解していないし、そもそも理解する気がない。そんな奴等に向けて何を話せば意味を持つのか。それは事実を全て取っ払って、彼等「国民様が望む決断(破談)」を宣言する以外にない。

どんなに言葉を選んでも国民様は結論が違えば許さないし、どんなに言葉が汚くても、破談と言う結論は喜ぶ。汚ければ汚いほど「やっぱりな!」とつけあがるし、丁寧に破談を告げても「やっとまともな判断した!」とつけあがるだけだ。

国民様に向けた発言なんてものはそもそも全く有害無益なものなのだ。

しかし、何故ここまで国民様は偉そうにできるのか。

それはやはり自分が主権者様だと信じているからだし、その主権者像とは「いちばんえらいひと」像でしかない。

根本的に幼稚なのだ。

そしてそれはいじめがなくならないのも、ブラック企業が無くならないのも、原因は根本的に同じところにあると言えるだろう。

それは主体性が無い、持ってはならない文化


にあると俺は考える。

主体性が無いのに何故?と思うかも知れない。

確かに「主体性があるからそんな酷い意見を言える」と言うのはあるし、スタート地点はそこなのだが、

その後が問題だ。

皆おかしいと思っていてもそれを受け入れることが正義のようになっているのだ。


マスクをつける理由だってそうだろう。例え効果に懐疑的であっても、つけないことによる不利益があるから、そしてその不利益とは世間からの排除と言う中々強烈なものだからそうなる。幾ら懐疑的でも、それを覆すだけの理屈を考えるのも、ましてや抗うことも、言いにくい雰囲気、空気があるから言わないし、そもそもその手の争いを忌避する為に「賢い選択」として形だけのマスクが流行っている。

眞子殿下のご結婚も同じだ。

皇室だから我々が素直に尊敬できる方になっていただかなければ困ると言う、およそ非人道的で無責任な要求は、それを否定することが皇室が「劣化してもいいと認めること」になるのだ。

彼等の理屈では。

だからそれを認めた時点で朝敵国賊非国民となるし、なんとなく結婚と借金みたいな話は知識がなくてもイメージはつかめる。

だから具体的にどんな経緯があったり、それが法的にどうであるとか言ったことは度外視して、なんとなくの空気で皆支配されているのだ。

それが非人道的な措置であるか、そんなことはどうでもいい。

自分が「常識的な世間人」と言う役柄を演じられるかどうかが全てなのだ。

それが彼等の主権者像だ。

だが本来の主権者とは違う。

まず主権者の対象が違う。

国民様は、主権者とは今生きている自分と同じ価値観を持つ者だが、

本来の主権者は、この国の過去、現在、未来における全ての国民の意志を代表し、責任を負うと、換言すれば、常に様々な事象を踏まえ、総合的に判断し、より問題やリスクのなるべく小さく、またより利益を最大化すべく、即ち最善を尽くす義務があると言えるだろう。

そこで、国民様が望む「破談」が如何に最善を尽くしたものかを考えてみたい。

論点としては、

第一に、国家の品格がどうなるのか、

第二に、眞子殿下の幸福について、

第三に、主権者国民の責任について。


よく国民様は、皇族の結婚故に品格云々と言っているが、果たしてご成婚や破談が品格に繋がるのか、2つの点から見るべきだろう。

一つは当然ご成婚の場合に品格が落ちるかどうかだが、

それだけで品格が落ちる訳がない。何故ならそもそも皇位継承権を眞子殿下は持たないし、女性宮家、女系天皇が無事実現したとして、皇位継承順位は一位にはならない。それから国民様は余りにも忘れやすいアホだ。その内記憶からなくなるだろう。

また、逆に破談やその為の国民様の罵詈雑言が下げる国の品格と言うものを考えねばならない。

尊皇主義から言っているとするなら、余りにも皇室に対する不遜さが際立つし、所謂"リベラル"的立場から考えれば個人の権利を甚だ蔑ろにしている以上、それぞれの信条から考えても最低な態度と言うべきだろう。

少なくとも眞子殿下の場合は「恋愛」と言うポジティブな価値観からくるものだ。一方の国民様は無責任な皇族の人権侵害と言う側面しか残らない。

これは第二点の肝要な点と共通する。眞子殿下の幸福を否定する婚姻や破談なんて、皇室の存続そのものを危うくするだろう。皇室の、国民に対する犠牲が余りにも大き過ぎる。こんな制度は絶対に長続きしない。

これまでの人生を皇族として過ごされ、恐らく唯一とも言えるだろう権利の行使について、国民如きにとやかく言われるなんて不幸を今後の汎ゆる皇族のご成婚の度に強要するのなら、到底皇室は成り立ち得ない。勿論それは今の小室さん的な、民間人にまで及ぶのだからそもそもご結婚すら叶わない可能性も出る。そしたらもう物理的に終わる。

旧皇族系の一般国民男性が新規に皇籍を取得したとて同じだろう。

そして俺が個人的に最も重要だと思うのは第三点だ。

結局この話において、破談させたとしたら国民が一体どのような責任を負うのかだ。

皇位継承問題をとっちらかし、皇族の人生を破壊しておきながら、彼等は何の責任も負わないのだろうか。いや、皇統廃絶により、皇国終了と、他国のより直接的侵略、支配を許すと言う形で責任を取ることにはなるだろうが、それは実際には後の世代の話だ。

結局大衆国民様は、この国を徹底的に破壊し尽くして、自分は呑気に野垂れ死んで終わりとなる。

流石にそれはこの国に申し訳なさ過ぎる。

国民様の暴走に加担してはならない。

少しでも良心を人々が取り戻さねばこの国は自滅する。

その萌芽は既に見られるが。

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