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何故五輪を中止させたいのか

尾身は公式には開催反対を辞めたが、本心では中止を求めているのだろう。

彼にはそうする理由がある。

先日精神科医の和田秀樹医師が、尾身のことを指して、「専門のことばかり勉強して他が疎かになる奴を専門バカと言うが、尾身の場合、専門家としても、その専門分野において明らかに足りていない"専門でも馬鹿"である(要約)」と喝破されたが、結局尾身は国家社会のことなんかどうでもいいからこんなことを続けているのだ。

彼は何の為にやっているのか?

それは恐らく権力者として権力を行使したいのだろう。あの見た目からは想像し難いが、そうとしか思えない。

勿論それは意思としても視点としても、個人の枠を超えない。

この「専門でも馬鹿」は、その狭い見識の中から、移動制限と言うものを過大評価すると言う致命的な、そして世界的(欧米は最早スタンダード)な過ちを選択した。

全く効果は無い(元々不要なさざ波だったが)癖に、一見それっぽい安直なやり方を、副作用すら考えずにゴリ押しした訳だが、全く陽性者数の変動はそれに対応していない。この時点で極めて協力な経済や文化を破壊する副作用を考慮して辞めるべき愚策だったが一度決めた過ちは修整できない。日本の伝統的な姿勢は簡単には変えられないようだ。

通用しなくなると、論理も作戦もなく強制的に同じ手法を押し付ける。現在も対コロナ戦最前線の戦場である飲食店や観光地では兵站も維持できず兵糧が絶望的に不足しているにも拘らず、現地調達、白兵戦で敵軍を殲滅せよ、と机上の空論で戦い、全く効果はあげられていないにも拘らず、毎回行う緊急事態宣言作戦では最大の戦果をあげたと喧伝する。マスゴミも表面上政府は批判しているが、軍部たる分科会は礼賛し続ける。

国民も表面上それは違うと批判しながらも、それは多くが「不十分故」批判する。そしてそれを拡充すれば効果があるとは信じてはいないが、神頼みでそれを求めているのだ。

結局人々を動かしているのは根拠のない(インフルなんかより遥かにマシ)恐怖、不安と言った感情だけだからだ。戦前も同じで、鬼畜米英憎しで戦略もなく暴走したのだ。敵国の研究どころか敵性言語の英語を使用禁止にしたり、軍事力の増強研究や講和の模索より、現状をただ肯定しながら終わりの見えない戦いを続けるようなことをしてきたが、今の日本は当時から全く成長していない。

マスクや3密なんかを有り難がり、それを社会全体に押し付け、終わりはないのに飲食店その他に無意味な終わりなき締め受けを行って自滅すると言う現状は嘗てより全く成長していない。

否、嘗ては対中戦略の失敗もあり、対日禁輸と言う本当の危機が訪れていたが、今は高々コロナだ。インフルより弱い脅威だ。これで嘗ての戦中のようなパニックを起こしているのは、本当に恥だと言える。

それでもしかし、恐怖や不安は人の思考を停止させると言うのは明白になったと思う。

大衆のその不安を不必要に煽ったメディアの罪は本当に重い。

彼等が最初から両論併記を実践していれば、こんなことにはならなかった。

尾身は国民の馬鹿な不安を適切に汲み取って代弁してくれる者だ。

だから期待と信頼を置くが、結局は専門でもバカだから本当に解決、調整には役立たないが不安を煽動することだけはできるのだ。

そんな感情だけで突っ走る奴等の選択肢なんて結局仮想敵への徹底抗戦しかない。

コロナとの共存なんて言う"停戦協定"は結んではならないし、自粛ルールを破る奴も許してはいけないし、移動や密なんて許せる訳もない。当然その流れで行くなら五輪も中止させねばならない。

彼等はただそうすることでしか自我を保てないのだ。

当然、「どうやって中止するのか」や「中止したらどうなるのか」なんてものは想定すらされていない。

雰囲気、空気だけの話である。

やはり大東亜戦争の進め方と全く同じだ。

コロナ以降、コロナ脳は大東亜戦争の歴史観も時代遅れで倒錯したものしか持たず、政府の対応を指して引用していたが全く違う。

あの戦争は政府が進めた戦争ではなかった。やりたくないのにメディアと大衆、軍部がやれやれと突撃するからやらされ、終わらせられなかった戦争だ。

我々は常に歴史の勉強をしなければならないのだ。

同じ過ちを繰り返さない為に。

それを怠るから、中止したら何かが救われるような勘違いのまま暴走し、より国を破壊する。

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