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下着好きになった根源をたどる

「ランジェリーが好き」とか「ランジェリーのブランドを立ち上げたい」とか公言していると、周りから『なぜランジェリーが好きなの?』『いつから好きなの?』と聞かれることが多い。

正直この手の質問はとても困る。それといった大きな出来事がないからだ。

ロマンチックな出会いなんて正直、経験ない

よく世間で話される『ランジェリーとの劇的な経験』といえば、
「フィッティングをして鏡を見たら、別人のようにキレイな自分が居た!」というのがある。
けれど私は感受性が豊かではない…というか遅れてやって来るタイプ。何事も(ふ~ん)とリアクションしがちなので、この出会い方ができなかったのだ。

加えて昔から自分はある程度女性的な体つきだと自覚していたから、「初めてのフィッテイングで予想以上のカップ数だった」とかもない。
感情が置き去り(一部行方不明)なせいで『劇的な経験』をすることなく育ってきた。
なのにランジェリー好きになった起源を問われる。頻繫に。
問われる度に、その時に思い出すランジェリーとのエピソードを語ってみたりする。でも聞き手からすると「話が前と違うぞ?」となりかねないから、この『劇的な経験ない問題』をどう処理したらいいものかずっと考えていた。

だから強いて言うなればの体験、
『私がランジェリー思考になった、些細なキッカケたち』
これなら揺るがない経験として語れると思ったので、自分の中の古い記憶をたどって書き留めてみる。


未知との遭遇、下着と疑問

私がまだちびっ子…小学生なり立てくらいに、母の洋服の買い物に連れられて大丸デパートへ行ったとき。
母が目を離した隙に、背の高く感じる商品ラックのジャングルを探検していたら綺麗な半球が2つずつ並んだ何かが目の前に現れ、思わずそれに目が留まった。ベージュのシンプルなデザインだった。後にそれはブラジャーなのだと知るが、当時の私はその曲線から目が離せなくて、探しに来た親に向かって「あれ欲しい」と言った。「あなたにはまだ早い」と断られたので、ふ~んと諦めたが、(あんなにきれいな曲線なのに、ベージュ?)と疑問を抱いたのを憶えている。


ちびっ子時代

(あんなにきれいな曲線なのに、ベージュ?)とは、
大人翻訳すると
「心躍る美しい曲線の物体なら楽しい柄や色が合いそうなのに、何の模様も遊びもない地味なベージュ?」ということだ。
(ベージュの良さは大人になってから分かる。ごめんなさい、ベージュ)

だから買ってもらって、家で落書きしてやろうと思っていたんだと思う。
(落書きしようとしてごめんなさい、ブラジャーとそれに携わった方々)


当時は下着だとかランジェリーだとかの認識はしていなかったけど、
これが一番古い記憶。

この体験があったから、後に人体の曲線は美しいな~と思うようになったし、下着はこだわりたいとも思うようになったんだと思う。
すべての元はとても単純な子供心

下着と自信

次に下着に関しての出来事と言えば、時間が少し流れて高校時代。
思春期によくある、「パートナーに初めて見せるとき、何を着ればいいのか」の悩みに直面し、ショップを巡っていた。

ただ、「何を着ていれば相手が喜ぶのか」なんてどうでもよくて、自分の為の下着を探していた。制服を脱ぐ勇気が欲しかったから。

当時私は女子高生。世間で無駄に持て囃されるJKとラベリングされた制服を脱いだとたん、自分は価値のない人間になってしまうような気がしていて怖かった。その上でありのままを大切な相手にさらけ出すために、制服と自分の体の間にワンクッション欲しかったのだ。

「自分自身を強くするための戦闘服」、「私は何も着飾らなくても相手と向き合える」という自信。
一番最後まで肌に触れている衣類を味方に付けるため、
その自信をくれる下着を探し歩いた。

アピールの盛りパットは要らない。
キャラじゃない柄も嫌。
だけど自信を持てるくらいには綺麗になりたい。

高校時代


そんな感じで繫華街のショップをいくつかまわり試着をしてみて、AMPHIで買った。

これが一番最初に自分のために買った下着。
この時から下着は「自分に自信をくれるアイテム」だった。

ランジェリーを好きになったタイミングと内容的に、人によっては反応に困らせてしまったり、逆に性的な方向へ持って行ったりされるから、この話をオープンに話したことはあまりない。

下着とコンディション

他は日常の中での何気ない選択の連続。
「今日は体育や部活動があるからサポート感の強いこれを着よう」
「イベントに合わせたカラーリングでこっそり気分を上げよう」
「何にも頑張りたくない。らくちんなやつ着る」とか。

学生時代はめちゃくちゃ下着にこだわり持って購買してたとかではないけれど、日常の中で自分の気持ちやコンディションを見つめ直せる機会は、自分を大切に生きるきっかけになったと思う。

しばらくJKというラベリングに悩まされていても
制服という好きではない存在の下に、自分らしさ、居場所を見つけられた。

下着の経験値

高校を卒業後、社会人になり下着好きは強化された。
理不尽だと思うこと(働かない上司のお怒りとか、押し付けられた後輩のミスの責任とか)に対して、「今日はドッカワイイの着けてるから大丈夫」だと元気付けたり。
「この仕事を終えたら、欲しかったあの下着をお迎えしよう」とご褒美に設定してみたり。

そうやって下着を選んでいく中で、
良い下着を着けると背筋が伸びるとか
この下着を着てるとシルエットが綺麗で自信が湧いてくるとかの、後付けの発見…経験値なるものが積み重なった。

コツコツ経験値を積んだ上での下着・ランジェリー好きだ。

改めて思い返してみても、やっぱり『劇的な体験』はなかった。
でも案外それでも良いのかも、と思えたりもする。
何か特定の経験に囚われず、ナチュラルに、これからもランジェリーとの新しい発見を楽しめるのだから。


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