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恩師とは

 恩師と呼べるような人に何人出逢ったかって、その人の人生において、けっこうというかかなり重要なことだなと、ふと思った。

 で、自分の場合は次の3人が思い浮かぶ。まず、中学の部活のK先生、時代的なものもあるが、とにかくスパルタで妥協せず成功へ向かう執念を教えてくれた。約3年お世話になった。次、予備校のN先生、成功のための最短ルートを見つけることや物事をマスターする法則、方程式を教えてくれた。約1年お世話になった。最後に、はじめて働いた会社のC先輩、興味のあることにはどんどんトライしていくこと、そして社会人として常に誰からも好かれるような立ち振舞を心がけることを教えてくれた。約1年お世話になった。簡単にまとめるとこんなところだが、とにかく今の僕の価値観や判断基準に大きく色濃い影響を与えた方々だ。

 で、そこまで考えて、非常によろしくないことに気づいた。バンドをやめてとりあえず働こうかなとアルバイトとして職場に入ったのが2001年。そこでC先輩と出逢ったのだが、以来20年近く、尊敬できる先輩、上司、先生などには出逢っていないわけだ。影響を受けた友人や同僚、部下などはいるけど同年代から受ける刺激と、年上の人からもらう重みのある言葉や哲学は違うと思う。しかし、人生の直近半分の期間、尊敬できる目上の人に出逢えていない。当然、自分の年齢が上がっているので、年下の人と接する機会が増えてきていることも要因の一つだろう。が、この高齢化社会、僕より年上の人など無数に居る。それに勉強できることや吸収しないといけない事柄など無限にある。なんらかのきっかけやスパイスを僕に与えてくれる人がそこらじゅうに居てもおかしくないはずだ。環境的なことをいえば、20代中盤以降は同じような年齢の人間と一緒に居る時間が多かった。30代になって田舎に帰ってからは、いわゆるブラック的な会社に居たのでその場その場の目の前のことしか考える余裕がなかった。反面教師となっている人は多数居るが、「この人に付いていきたい」と思える人はまったく思い当たらない。

 とまあ、偉そうなこと言っているが、どちらかというともう自分が誰かの恩師となるべき年齢になってきている。尊敬できる人と出逢えていないと嘆いていること自体がもう間違っているのかもしれない。ともかく、自分がこの場で何を学ぶことができるか、何を教える(遺す)ことができるか、そう考えることの優先順位を上げていかなければいけない。残りの人生もどんどん減ってきているので。

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