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う米めん開発者の3代目次期社長が考える「事業継承」

みなさん、こんにちは!
福島県天栄村で「う米めん」というグルテンフリーの米粉麺を製造している樽川千香子と申します。

もしかすると、初めて私や「う米めん」を知る方もいらっしゃるのではないでしょうか?

そこで、簡単な私の自己紹介を書きましたのでコチラの記事を読んでみてくださいね!

早速ですが、今でこそたくさんの方に食べていただいている「う米めん」。もちろん、その開発をするにあたりたくさんの壁や苦難がありました。そもそも、私の会社は食品加工の会社ではないですし、開発に関するノウハウは何もなく……笑

でも、それらの壁と苦難をうけながらもなぜ「う米めん」の開発に至ったのか、3代目次期社長としての歩みや想いを書いていこうと思います!

今の会社について

私の会社は、福島県天栄村に本社工場を持つアルファ電子株式会社といい、主に電子機器組み立てをメインとする事業に取り組み、今年で52周年を迎える地元でも老舗の会社です。

祖父、父が始めた創業時からバブル期の経済の波を追い風に成長させていただき、今となっては本社工場に加えて東京、仙台、須賀川と4つの事業所、従業員も150名を越える企業になっています。

ですが、この50年の間も常に右肩上りに業績が伸び続けたわけではありません。そもそも、受託製造中心の製造業は経済の波を受けやすく、大きな出来事でいうと日本バブル崩壊、リーマンショック等が起因となった危機が訪れました。
弊社はその都度、企業努力や取引先の方々のご理解とご支援などで苦難を乗り切ってきましたが、それらの苦難を上回るような出来事がありました。

それが、2011年3月の東日本大震災です

この震災により日本全体の景気が悪くなり、部品や労働力の関係で費用が安い海外工場への受注に移行し、会社自体の経営も苦境に陥ってしまいました。

そんな中、私自身も様々な出来事がありまして、結果として現在はアルファ電子株式会社の3代目次期社長として、事業継承を見据えて専務取締役という立場で新規事業に取り組むことを決意しました。

“異業種の事業”を行うそのワケ

経営者として今の会社を100年企業にすることが使命でありますが、対して社会情勢や景気に左右されやすい今の製造業だけを続けていく事は、時代の流れからしてリスクが伴うのではないかと感じています。

更に、昨今の新型コロナウイルス感染症の大流行によりこの短期間で私達の生活様式が大きく変わるようなリスクもあり、父が創業した1969年から今日までの50年間と私が担っていくこれからの50年では会社の在り方を変化させなくてはならないのは必然でしょう。

今まで培ってきたノウハウや伝統も大切にしながら、これからの時代に即した働き方・事業を考えていく必要があります。

それは新たな視点や考え方を取り入れる他、異業種への進出など枠に捉われない選択肢も視野に入れながら考えていきました。

後継者として今の会社をどうしていきたいか、100年企業にするために何を大切にしたいのか。

改めて自分の心に問いかけた時にこのような想いが出てきました。

「変わらない価値」の良い製品を作りたい

福島県への地域貢献ができる製品を作りたい

いろんな方面へ考えを張り巡らせる中で、父のとある言葉をきっかけに新規事業への一歩を踏み出しました。

私の人生のキーワード

「社員さんを守るためなら、俺は“まんじゅう屋”にでもなる」

昔、父がこう話していたことを思い出しました。

会社を存続していくために、社員さん方を守っていくためには、自らが率先して新しいことにチャレンジしたり、専門外のことも取り組んでいったりする覚悟が必要なんだと思いながら聞いた記憶があります。

では、私にはなにができるのか?

新たな視点や考え方、あるいは事業を取り入れていくにあたって「私だからこそできること」について考えてみました。そうすると、これまでの経験や人生の棚卸しをしていく中でとあるキーワードが浮かび上がりました。

それが「」と「健康」です。

というのも、私の娘は乳幼児期に小麦や大豆、乳製品のアレルギーを持っていました。(乳幼児アレルギーだったため早い段階で耐性ができ、今ではすっかり元気です。)

また、避難生活から福島に戻ってきた時期、私自身もシングルマザーとして子育てと資格取得の勉強を両立していましたが、無理がたたり元からあった子宮系の持病も悪化。

健康の大切さを改めて痛感しました。

このように、私の人生の中で「食」と「健康」という言葉は切っても切り離せない重要なキーワードなんだと思います。

そして、私や私の家族の健康を大切に思うのと同じように、大切な仲間である社員の健康を守る、ということも経営者としては忘れてならない大切な課題です。

そんな風に色々と考えていると、

「責任ある企業として、もっと身近に食や健康と関わっていける商品作りができないだろうか」

そんな想いが生まれました。今振り返ると、これが「う米めん」を作る原動力の源になっているのだと思います。
しかし、簡単に右から左といったように新規事業とはいかないもので。

「食・健康に関わる新しい事がしたい」と発言した日には、両親や経営者の先輩方、さらには銀行やお取引先様から非難の嵐!!!

事業化当初は、そんな非難の嵐に立ち向かいながらも、後に私の師となる新潟佐渡のとある社長さんと出会い、その社長さんが取り組まれていた地元産の米にこだわった米粉と「米粉麺」の魅力に惹かれていき、今の「う米めん」事業へと発展していきました。

3代目次期社長が考える「事業継承」

これからの私達に「食」の問題は切っても切れないものになります。

今後100年企業を目指す弊社にとっても、食への挑戦が変革への切り札になると確信し、う米めんでの新事業を立ち上げる事にしました。

そのう米めん事業を通して、3代目次期社長の私が考えること・伝えていきたいこと、それは、

  • 健康の大切さ

  • 故郷福島への恩返し

  • 米文化、日本の食を守りたい

  • 子供達の未来、笑顔を

そして何より、100年続く強い企業と100年先も子ども達の笑顔を守っていけるような企業になるために

この想いを実現するため、さらなる進化を遂げます。

何年後も愛される米粉ブランドに向けて。

まだまだ夢半ば。

これからも日本の美しい未来、健康で明るい未来を目指して、一歩、一歩、実現に向けて進んでいきますので、応援の程よろしくお願い致します。


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