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出産の記録

息子は生後8ヶ月半を超え、ついにお腹の中にいた時間よりも出てきてからの時間の方が長くなってきた。
よく十月十日というけれど、実際のところは、妊娠が発覚してから予定日まではだいたい8ヶ月くらいが一般的なのである。

初期は健診のたびに、「子供が生きていますように」「少しでも大きくなっていますように」と祈るような気持ちで産院に通っていたものだが、順調な経過を重ねるごとに気持ちも緩んでいき、妊娠30週で胎児の大きさが発育曲線の範囲を超えかかっているのを知った後は「もう少し成長ペースを緩めてもいいよ…」と、初期とは真逆のことを言い出すまでになった。人間とはぜいたくな生き物である。

結局、胎児の推定体重は妊娠38週(予定日の2週間前)時点で3500gを超えた。その日の健診では子宮口はほとんど開いておらず、まだまだ生まれないねという状態。ちなみに赤ちゃんの出生体重というのは、だいたい2500〜3500gの間である。

妊娠後期に入ってから2週で500gのペースで成長している胎児が、すでに3500gを超えて、まだ生まれないだと…。
わたしは恐怖した。自分は身長が152cmしかなく、妊娠して多少太ったとはいえ、体格はそれほど恵まれていない。この体から、胎児界で上位にランクするほどの大きな赤ちゃんが無事に生まれてこれるビジョンが見えなかった。

実際、出産はめちゃめちゃ大変だった。
本当は出会う友人全員ひっ捕まえて出産苦労話をしたいくらいだったのだけど、そんなのは常識的に考えて迷惑なので、noteにひっそり書いておきたいと思う。
出会う友人全員ひっ捕まえて語りたいくらい思い入れのある話なので、ちょっとしたブログにしてはとても長くなった。全部で8500字ある。以下に目次を設定しておくので、それでダイジェストを掴んでもらうのでもまったく構わない。とにかく誰かに全容を伝えたい、忘れてしまう前にせめて記録を残しておきたい、という気持ちだけでこれを書いている。


03:30_陣痛

お腹の痛みで目が覚めたのは、出産予定日2日前の深夜3時半であった。臨月に入ってからお腹が痛いことは何度もあったが、この時の痛みが明らかにいつもと違う。陣痛がきたと分かった。

陣痛というのは規則的にくるお腹の張り(痛み)で、子宮が胎児を外に押し出そうと収縮することによるものである。
産院からは、痛みが10分間隔を切ったら来てくださいね、と言われていた。
この時はまだ痛みレベルもまちまち、間隔も12〜15分くらいだったので、しばらく耐えることにする。途中で夫を起こし、痛みの波がきた時に腰をさすってもらうようにしたらだいぶ楽になったが、それでも痛い時は声が出る。痛い時は深呼吸して耐え、波が引いた時に休む、を繰り返して7時。産院に電話したところ「来ましょうか」と言われたので、陣痛タクシーを呼んだ。痛みが治まっている間に身支度をする。

産院には、その前の5時と6時半にも「痛みが10分間隔くらいです」と電話していて、その時は「まだ家で頑張って〜」と言われていた。7時の時も、「まだ大丈夫そうだけど、まあ来てみましょうかー…」くらいのテンション。助産師さんはプロなので、電話での声のトーンだけで「まだ生まれないな」とか、「もうヤバいな」とかがなんとなく分かるらしい。

果たして、この感覚は正しかった。このあと子供が生まれるのは、翌日の正午過ぎになる。

07:30_高位破水

産院に着くと、ベテラン風の、頼りがいのありそうな助産師さんが出迎えてくれた。おっ心強い!と思ったが、この人と会うのはこれが最初で最後であった。

内診してもらうと、子宮口の開きは1.5cmでまだまだ(出産時は10cmまで開く)だが、なんと破水していることが分かった。
破水というのは、よくドラマであるようなバジャー!みたいなやつばかりではなく、羊膜が「自分、ちょっと、破けちゃいました…テヘ」みたいなパターンもあるらしく、特に子宮の上の方が破けるとチョロチョロとしか羊水が漏れ出てこないので気づきにくいらしい。

破水してしまうと、今まで閉じられ守られていた子宮の中が外界と繋がってしまい、胎児に感染の危険がある。この時点で出産まで家に帰れないことが確定した。
そのつもりで来てはいるものの、破水を宣言されると「産むんだ、今日…!」という実感がリアルに湧いてきて、痛みのせいだけではないドキドキがあった。
産むのは明日の昼である。

産院まで付き添ってくれた夫にはいったん帰ってもらうことになった。
コロナ感染予防のための産院ルールとして、家族の付添も可だが、一度退室するとその日は再入室できないというものがあった。ここで夫も入室してしまうと、出産までまったく身動きがとれなくなってしまう。子宮口の開き具合から、生まれるまでまだ時間がかかることは分かっていたので、ひとまず解散ということにした。
この判断は正解で、なぜなら、すでに何度も書いているように、子供が生まれるのは翌日の昼だったからである。加えて、このあとわたしが出産までの時間を過ごすことになる部屋に、夫が入れるスペースは1ミリたりともなかったからである。

08:30_物置部屋Inn

この直前の数日間でお産がとても立て込んでいたらしく、わたしが当初予約していた部屋を含めて満床の状態だった。ベテラン風の助産師さん曰く、「この前サッカーのワールドカップで日本がスペインに勝ったでしょ、それでみんな興奮しちゃったみたいで、急にお産が増えてね」

空きがないということで通されたのは、2畳ほどのスペースにベッドと小さなデスクと洗面台がミチッと詰められた"リカバリールーム"という部屋。ほとんど物置というか、ベッドが部屋に対して大きすぎて物もほとんど置けないね、歩くのもギリギリだね…というくらいのサイズ感であった。窓はない。もちろん空調は入っているが、なんとなく空気が悪く、12月なのにムッと暑い。
わたしはスペイン戦で決勝点を決めた田中碧を心から恨んだ。

入院着に着替え、胎児の心拍や陣痛の強さを測るモニター(分娩監視装置)を装着されたあと、しばらく様子を見ましょうということで待機。

09:30_麻酔

もともと、わたしは無痛分娩の希望を出していた。痛みに弱い自負のある自分が出産に耐えられる自信がなかったし、せっかく無痛分娩を推奨している産院に通っているのだから(産院は無痛分娩の有無で決めたわけではなく、たまたま家から一番近いところがそうだった)ということで、特に悩むこともなくバースプランに「無痛分娩希望」と書いて提出していたのだ。

産院に到着した当初は、出産ギリギリまで麻酔を入れるのは我慢するつもりだった。麻酔を入れるとお産の進みが遅くなる場合があると聞いたことがあり、そして、わたしが陣痛を迎えたこの日は、好きなアイドルの誕生日だったからである。
「息子が、推しと同じ誕生日になるかもしれない…!」
痛みで目覚めた深夜に真っ先に思ったのはそのことだった。
初産婦の分娩所要時間は平均12〜15時間くらいらしい。陣痛が来たのは深夜3時半、10分間隔になったのは5時くらいだから、ほぼ間違いなく今日中には生まれるだろう。しかし麻酔によってお産が遅れるとちょっと分からない…。できれば今日産みたいので、なるべく麻酔を入れずにお産を進めたいという気持ちがあった。

が、この気持ちはたったの30分で限界を迎えた。

8〜10分間隔での陣痛に耐えるだけでもなかなか辛いのだが、こんな窓もない、2畳の、空気の悪い部屋で、しかもひとりで…?無理である。絶対に無理である。
どうせ麻酔を入れるならタイミングが早くても遅くても料金は一緒、ならば我慢するだけ損だろうということで、即行でナースコール。

麻酔の処置は早かった。デリバリーエリア(分娩室や手術室のある場所)に移動して、背中にプスッと針を刺される。冷たい水が背中の中をスゥッと流れていくのは不思議な感覚だった。
その他にも、心電図、SpO2、血圧、水分の点滴、導尿など、さまざまな管を入れられる。なかでも一番嫌だったのは導尿だった。麻酔の影響でトイレまで歩きづらくなる可能性があるため必要らしい。そ、そんなところに、管を!?という羞恥心、管を入れられる時の痛みと不快感、そして足元の袋に溜まっていく自分の尿…。
まさか無痛分娩にこんなオプションがついてくるとは思わなかったが、それでも麻酔を入れられた安心が勝った。

神は「麻酔あれ」と言われた。すると麻酔があった。

(創世記 1:3)

麻酔は、本当にすごかった。さっきまでの痛みはどこかに消え、思考がクリアになった。陣痛の強さを表すモニターが100になっていても、何一つしんどいことがない。さっきまでは痛みで睡眠どころではなかったが、麻酔を入れた後はようやく1時間ほど眠ることができた。

13:30_陣痛促進剤

やはり麻酔の影響で陣痛は遠のいてしまったらしい。このままでも良くないということで、陣痛促進剤を投入することに。
麻酔はやはりものすごく、促進剤を入れて2分間隔で100の陣痛がきていても何の変化も感じない。これ本当に合法のやつですか?

麻酔使用以降、管が増えたことで、物置部屋(仮)はいよいよ足の踏み場がなくなっていた。助産師さんは内診に来るたびにサーカスのように体を捻って登場している。これ、ぼちぼち生まれてもらわないと、みんなに余計な苦労をかけるな…と思い始める。

とはいえ今の自分にできることは何もない。暇な時間、わたしはひたすらリフォーム会社の選定にいそしんでいた。
妊娠を機に家探しをしていて、つい一週間前に中古住宅の契約をしてきたばかりだったのである。出産前のバタバタで、リフォーム会社を一から探している余裕がなかったため、家の売買を仲介してくれた会社の提携業者から良さそうなところをピックアップすることにした。この提携業者がなんと30社くらいあり、今のこの、終わりの見えない待機時間に取り組むにはぴったりのタスクであった。

リフォーム会社を調べまくっているとあっという間に時間は過ぎ、16時時点で先生の診察を受けることに。子宮口の開きは4cm。胎児も少しずつ下がってきているとのこと。本当はここで促進剤を打ち切る予定だったが、このまま進みそうなので20時ごろまでは続けましょう、20時に子宮口が5cm開いていればそのままお産にできるかもと言われ、ガッツポーズする。今日中には生まれそうだな!(生まれません)

この時、麻酔か点滴かお産か、どれの影響なのかわからないけれど、わたしは38度の熱を出していた。体がポカポカしているのは分かるが、不思議としんどさはない。ただ汗をじゃんじゃんかいているのは間違いなく、シャワーを浴びられない状況はかなり辛かった。
というか、体中管やらモニターやらついていて、シャワーどころかベッドの上から一歩も動けない。スマホがない時代にこの状況に放り込まれていたら、もしくは入院用の鞄に延長コードを入れ忘れていたら、出産前に気が狂っていたと思う。

夜18時を過ぎる頃になると、麻酔をしていても痛みを感じるようになってきた。我慢できるものの、深呼吸したいくらいには痛い。だが家で耐えていた時や、この部屋に通された直後と比べたらかなりマシである。この痛みに麻酔なしで何時間も耐えるのは人間には無理。自然分娩の産婦さんはすごすぎる。
痛みの箇所も、お腹からお尻の方にだんだんと移動してきた。波がくるたびに尻がズモモモモ…と膨張していくような感覚がある。

尻の膨張に怯えていたところに助産師さんが現れて、「強い張りが続いていて、子宮破裂が怖い」と言って促進剤を半量に減らしてしまった。あの、今日、産みたいのですが、せめて予定の20時までは促進剤がんばりたいのですが…とわずかに抵抗するも、却下。まあ子宮破裂はわたしも怖い。無事に出産するための促進剤なのに、それで母子ともに死んでしまったら元も子もない。諦めると同時に、もしかして今日はまだ産めない感じ?と嫌な予感がし始める。

20:00_嘲笑、そして忍耐の夜

予定の20時になり、先生の診察を受ける。
子宮口は6cm。だがまだまだ生まれなさそうなので、促進剤はストップすることになった。明日の朝仕切り直すけど、夜の間に促進剤なしで自然に進めばいいね、とのこと。先生、話が違いませんか?

おそるおそる、「できれば今日、産みたいんですが…もう難しい感じですか?」と聞いてみると、先生の返事は「ハハッ」だった。
鼻で笑われた。
麻酔が効いているおかげで元気そうに見えるかもしれないが、お前の目の前にいるのは半日以上陣痛に耐えている妊婦なんだぞ。麻酔が効いているおかげで元気そうに見えるかもしれないが、精神的にはかなり、消耗しているんだぞ…。

麻酔の設定も変更になった。今までは定期的に自動で薬が入っていたのが、痛くなったら自分でボタンを押して追加する形に。一回追加すると10分くらいはロックがかかってしまうようで、痛い時にロックがかかると恨めしい気持ちになる。

促進剤をやめたにも関わらず、陣痛は10分以内の間隔をキープしており、しかもそれなりに痛い。逆になぜまだ産めないのか?
子供にとっては破水してしまったのはアクシデントで、本当はまだ生まれたい時期ではなかったのかもしれないなと思う。思うが、ここまできたら覚悟を決めてスパッと生まれてきてほしいとも思う。

そこから朝までの間は、記憶がかなり曖昧である。
iPhoneに残っていたメモによると、23時、0時、0時半、1時半、2時、3時、3時半、4時に麻酔を追加して、その合間に仮眠をとっていたらしい。
陣痛の波がきている時は深呼吸して耐え、耐えきったところで気絶するというのを繰り返していたような気がする。

好きなアイドルの誕生日はとっくに終わり、いつの間にか陣痛が来てから24時間が経過していた。こんなはずでは…。

07:30_分娩室

明け方、助産師さんが採血に来たついでに、洗顔させてほしいとお願いした。モニターや点滴のスタンドを整理してもらい、ようやくベッドから下りる。導尿の管が難敵で、尿が溜まっている袋をひっくり返さないか気を使いながら、前日の夜に自宅で入浴して以降実に30時間ぶりの洗顔。洗顔は最高。

この時になんとなく「陣痛の波がきた時、お通じしたいような感覚があります。大の方を昨日一日していないので、ちょっと心配です」と伝えたところ、それはお産が進んでいる兆候かもしれません!見てみましょう!ということで内診してもらう。
子宮口がほぼ全開になっていた。
物置部屋(仮)がにわかにバタつき始めた。このままお産になるので分娩室に行きます、旦那さんにも連絡を!
おおおお…やっと産めるのか。さっき洗顔しておいて本当に良かった。

7時半に分娩室に移動し、8時過ぎごろに夫も到着した。
24時間ぶりに物置部屋(仮)から出て夫と話すことができるという状況に、わたしは感動していた。
この時夫と話した内容は、この1日をどう過ごしたか、陣痛の進み具合、リフォーム会社の選定状況、住宅ローンの団信に特約をつけるかどうか(夫はわたしを産院に送った後、銀行へ住宅ローンの事前面談に行っていました。これは元々予定していたもので、陣痛がこなければわたしも行くはずだった。ネット銀行ならこういう面談はないそうだけれど、メガバンクで借りることになったのでいろいろと面倒でした)など。
子宮口全開で分娩室にいる人間とは思えない話題である。

どうやら、夫の顔を見たおかげで痛みが吹っ飛んでしまったようだった。ここにきて陣痛の間隔が11~13分にまで開いてきているという。どうりで、なんかめちゃめちゃ余裕で会話できるなと思ったはずだよ。

改めて促進剤を入れたことで、5分間隔くらいの陣痛が戻ってきた。痛みもだんだん増してきて、波がきている時は腰が爆発しそうに痛い。心なしか麻酔の効きが悪い気がする。

そして、陣痛は順調についてきているのに、子供がなかなか下がってこない。ここで助産師さんから、「本当はまだ先なんだけど、赤ちゃん下りてこないので、ちょっとためしにいきんでみましょうか」という提案があった。"いきむ"というのは、お腹の張りにあわせて息を止め、下半身に力を入れて胎児をグッと押し出すこと。母体が呼吸を止めると胎児に酸素が行かなくなってしまうので、お産も最後の最後になってはじめて許される行為なのだそうだ。
助産師さんが教えてくれるやり方に従っていきんでみるが、どうもうまくいかない。
それもそのはずで、この時わたしは"張り"が分からなかったのである。

11:00_パニック

無痛分娩の麻酔というのは、"張り"の感覚を残して"痛み"だけを取り除くことで、お産に支障をきたさずに苦痛を軽減できるとされている。だがこの時のわたしは、痛みはだんだんクリアになっていく一方で張りの感覚が消えてしまい、子宮の収縮にタイミングをあわせていきむことができなくなってしまっていたのだ。

このことに気づいた直後、わたしは助産師さんに伝えるべきかどうか迷った。というのも、「これを言ったら、麻酔を弱められるんでは…」という考えがあったのだ…。
冷静に考えれば、子供を無事に出産することが最優先であり、麻酔がその阻害要因になっているのであれば弱めてもらうのが当然である。が、もうこの時、「麻酔をしたうえでこれなのに麻酔切られたらもう無理生きていけない」という思いが真っ先にでてくるくらい、痛かったんである。腰が爆発しそうだった。というか、もう爆発していた。骨という骨が熱い。
自然分娩の妊婦さんは、徐々に強くなっていく陣痛とずっと戦いながら出産を迎える。だがわたしは麻酔のおかげで、今までまあまあ楽に過ごしてきていた。そこに出産直前のクライマックスの痛みが突然やってきたわけで、もはや半ばパニック状態だった。
加えて、この時点で陣発以来ほぼ二徹の状態でもあった。二徹なうえに、死ぬほど痛い。自分の過ちを正当化するようだが、この時のわたしに正常な判断能力はなかった。

迷っている間に、痛みは階段を駆け上がるように増していき、ついにまともに話すことができなくなった。目を瞑り頭を左右に激しく振って、「ヤダ」「痛い」「腰」「無理」だけを繰り返していたと思う。途中からは過呼吸にもなった。もういきむとかいきまないとかの騒ぎではない。

助産師さんたちがなにやら相談したのち、前日に麻酔を入れてくれた先生が登場した。助産師さんが状況を説明する。静かにこちらを見ていた(と思われる、わたしは目を開けられなかったので分からない)先生が、静かに「〇〇は試した?」と言ったのち、麻酔の設定を変えた。
腰の爆発がとまった。

神は「麻酔あれ」と言われた。すると麻酔があった。

(創世記 1:3)

分娩所要時間:30時間42分

そこからは早かった。
冷静さを取り戻したわたしは、目をカッと開いていきむことができるようになった。
それまでの過程で"子供が子宮の左側に寄っていてるため下りてきづらい"ということも分かったので、助産師さんが体重をかけながらお腹を左右から中央にプッシュしてくれるように。これ子供の下半身潰れませんか?その前にわたしの体は無事で終わりますか?というくらい強い力だったが、このプッシュが良かったのか、子供はどんどん下がってきたようだった。

もはや痛みは感じなかった。無心でいきんでいたら、さっきの麻酔の先生とは違う先生がやって来て、わたしの会陰をさらっと切って去っていった。あ、わたし、切開を回避するためにこの一か月間毎日風呂場で会陰マッサージをしていたんですが…と言う間もなく切られた。もうそれどころではない。お腹をプッシュしてくれていた助産師さんが「もうこれで間違いなく下から産むからね、あとちょっとだよ!」と声をかけてくれる。え、今の今まで帝王切開の可能性が残ってたんですか…と言う間もなく次の陣痛がくる。それどころでもない。

何度もいきむ、いきむ、いきむ…とやっていたら、ある時、足の下の方から「もういいよ!」と声があった。「赤ちゃん出てきたよ!」

う、生まれた…。

しかし産声が聞こえない。
まさかお産が長引いたせいで子供が…。何秒だったのか何十秒だったのかも分からないが、体感ではとても長い沈黙があったのち、ようやく息子は泣いた。それを聞いてわたしも泣いた。

前日深夜3時半に痛みで目覚めてから33時間。
母子手帳に書かれた分娩所要時間は30時間42分だった。

次なる苦難へ

こうして七転八倒しながらも無事に出産したわけだが、もちろん、これはゴールではなかった。新生児育児というのは聞きしに勝る壮絶さだった。ちょっと33時間寝ないで頑張るどころの騒ぎではなかった。
産後は本当にすべてが大変すぎたのだが、その中でも特に苦しんだのが授乳問題、そして産後の子宮復古であった。自分の人生のなかで苦労を語りたい経験ランキングを作ったら出産・授乳・子宮復古が同率一位になるくらいすべてが大変で、大変すぎたあまり、最終的にわたしは救急車で産院に送り返され、そこからまったく予定していなかった里帰りに突入することになる。

ということで、このあたりの大変だった話も今度書きます。
今回はここまで。

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