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どんな風に子どもに育って欲しいか?いま書き留めておきたかったこと

前提として子育てに正解はないと前置きしつつ、
(子育てなのか、子育ちなのかなんて議論も置いておいて)

どんな風に子どもを育てたいか?
どんな風に子どもに育って欲しいか?

いま書き留めておきたいことをnoteにしました。

いまコロナで学びの機会が制限され、端的に言えば「授業が遅れる」、「置いていかれる」、「対策している学校や海外に遅れをとって、差をつけられる、将来損する…」って、まさしくそのとおり。
だから、という方法論で「オンライン学習だ」、「一定の対策を早急にとって学校再開だ」という主張、もそのとおり。

それはそれでみんなが議論して、よりよい未来に向かうのはよいこと。

で、ここに書き留めて置きたいと感じたことはなにかというと、

競争を勝ち抜いていい学校、いい会社に入れる、入ってもらうのが、子育ての本当のゴールじゃないよねって思ってた気がするってこと。

もっというと、最近は、天才に育ってもらうのも違うって感じていること。

偉い人になったり、ノーベル賞とったりも、親としては望んでいないなあと。
もちろん、本人がそうしたい、そうなりたいと願うなら、頑張って欲しいと応援はするんですよ。

じゃあ、私が親として我が子にどう育って欲しいと願っているか、どう育てたいか、というと、ただ一つ、

「幸せに生きられる人になって欲しい。」

と願っているのです。

どんな世の中になろうが、どんな試練が待ち受けていようが、自分が幸せだと感じられる人生を送って欲しいと願っています。

いつかは幸せになるために、今は我慢して頑張る

というのも(自分もある程度は経験してきたので)わかってはいるのですが、そのいつかって、幸せの青い鳥みたいなものじゃないかと思うのです。

いつか掴むぞ、と追い求めても、逃げられてばかりかもしれないし、実は身近にあるかもしれないし、また逃げられるかもしれないなら、いまある幸せをしっかり感じておくべきだと思うし。

追い続ける努力はそれはそれで尊いし、それに一生費やすぞ、って人生もそれはそれですごいな、とも思います。
でも、私としては、不遇の天才となって歴史に名を刻むよりも、小さな幸せな人生を全うして欲しいな、と心のどこかで願ってしまうのです。

とはいえ!

小さな幸せな人生を全うすることだってそう簡単ではないはずです。

逆境を乗り越える能力はどうすれば身につくか?
自分の力でコントロールできることとできないことをどう見極めるか?
競争に身を置くのではなく、どうやって超越したポジションに立つか?
一瞬のチャンスを見逃さず、掴んでいくか?

レジリエンスだとか、ラテラルシンキングだとか、セレンディピティといった能力が必要なんじゃないかなとぼんやり思っています。

まとまりのないnoteですが、

最後に、フレーベルの言葉を

「さあ!子どもたちのために生きようではないか!」


京都北部の山あいの小さな集落にただ1軒の小さな百貨店から田舎の日常を書いています。子供達に豊かな未来を残すためにサポートよろしくお願いします!