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いい先生の特長とは?

いつもなら夏休みが始まる頃だけど、今年はコロナの影響でまだまだ学校は続く。
学校の先生も大変だ。
遅れた授業をどう取り戻せばいいのか、時間だけはどうしようもないもんね。
時間が短くなっても、頑張ってなんとかなるぐらいなら誰も苦労しない。
スーパーマン、もしくはスーパーウーマンみたいに(地球を逆回転させるぐらいのパワーで?)時間を取り戻して追い越すぐらいの授業をこなして教えられる先生は「いい先生」「素晴らしい先生」だと思う。
あと、たまに「あの先生と出会えたおかげで今の自分がある。」とか、「この先生に習えてよかった!」なんて恩師の話を聞くこともあるけど、そういう先生に出会えた子供、大人はラッキーだと思う。
ある人にはいい先生かもしれないけど、他の人にはぜんぜん響かないことも多い。
どんな先生でも、いい先生だって思える人もいるかもしれないし、どんな先生でもいやだ、と思う人もいるかもしれない。

そもそも、いい先生ってどんな先生なんだろう?
と考え出して、自分が出会ってきた先生たちを振り返ってみたら、「これかもしれない!」と思う「いい先生」の特長が一つ浮かびあがったのでここに書いてみようと思う。
(答えは最後にあるので、長いと思う人は読み飛ばそう!)

ちなみに、自分が出会ってきた先生を振り返っても、「この先生に習えてよかった!」と心から言えるような恩師は残念ながら思い浮かばない。一番記憶に残る先生を一人だけ挙げろ、と言われれば、中学高校時代の数学のI先生が浮かぶのだけど、その当時は嫌で嫌でしょうがなかった先生だ。I先生の話はまた後で。

振り返って、小学校時代は、ほとんど先生の顔が浮かんでこない。友達のことはうっすら覚えているのに、先生は誰ひとり覚えていない。唯一、どんな先生だったかは覚えていないのだけど、あるとき担任の女性(おばちゃんだったと思う)に職員室に呼ばれて行ったとき、なぜかチョコレートをもらったことは覚えている。たぶん学級委員で呼ばれたと思うが、引き出しからこっそり出したチョコレートを自分だけもらったことが、えこひいきされたみたいで、いけない記憶として残っているのだと思う。
まあ、たいした記憶ではないのだけど、それぐらいしか浮かばないってことは、小学校時代の先生の授業がどうだったかなんて、人生を左右するほどのインパクトはないんじゃないかということ。(そういってしまうとみもふたもないのだけど。。。)

さて、中学高校になると、俄然、先生たちの顔が浮かぶ。中高はいわゆる進学校と言われる男子校だったのだけど、個性あふれる先生方に教われたんだろうなあと思う。
ただ、いわゆる恩師というのとはちょっと違う?

目をギラギラ(キラキラじゃなく)させて、一学期のほとんどを高句麗の話だけを早口でしゃべりまくった社会の先生。
英検の面接官とかしながらも、ヘンチクリンな「ダブリュぅ〜」の発音が妙に耳に残る英語の先生。
期末試験に問題が2問しかなくて、ごく一部の優秀な生徒を除けばほぼ赤点(なにか考えたあとを書けばお情けで10点ぐらいはもらえた気がする)ばかりつける数学の先生。
たぶん、普通に教えてくれる先生もいたはずなんだけど、記憶に残っているのは個性的な先生ばかり。

数学のI先生はとにかく苦い思い出しかない。試験はほぼ赤点だったと思うし、授業も6年間皆目わからなかった。数学なのに、いきなり英語(の数学)のプリントをやらされたりとか。

でも、

学校で習うこと、先生に教わることは、もしかすると学校に通う6年間だけの話じゃないのかもしれない。

学校に通う間は、大嫌いで一つも理解できなかった数学なんだけど、社会に出てから、不思議と「数学は人生で大切かもしれない」と感じることが多いのだ。
「恋愛は文章題だ」とか「悩んだら因数分解して考える」とか「人生は微積分の連続」とか、訳のわからない妄想にとらわれる人生を送るきっかけはI先生のせいかもしれない。

昔話が長くなってしまったのだけど、本題に戻って、いい先生の特長とは。

学校にいるときは気づかなかったのだけれど、あとあと記憶に残る先生に共通する特長を思い返してみると、ひとつ「熱中」している点じゃないかなと。

「熱中」しているというのは、「熱心」とも違う。

なぜなら、どの先生も自分の好きなこと、やりたいことに「熱中」はしていたのだけど、決して「熱心」に教えてくれたわけではないから。
教えることよりも、自分の好きなこと、歴史であったり、英語であったり、数学であったり、もっと狭いジャンルのことかもしれないけど、自分が熱中することをただやってた先生が実は記憶に残っていたりする。

その熱意は万人が呼応するわけじゃない。
本人だけが熱中してるからといって、みんなに伝わるわけじゃないのだ。
伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらない。
まあ、そのとき伝わらなくても、あとになって思い出せることを教えてくれるといいなと思う。

結論。
教え方は色々だけど、とにかく自分が(だけでも)熱中することを教えてくれる先生がいい先生かなと。


京都北部の山あいの小さな集落にただ1軒の小さな百貨店から田舎の日常を書いています。子供達に豊かな未来を残すためにサポートよろしくお願いします!