飢えるということ

こんにちは。ゆりりうすです。
台風が来ます。
何なのでしょう?
今年の夏は、猛暑、地震、台風。あとは、火事とオヤジが来ないことを願うのみ!
8月15日、またこの日が巡って来ました。
私は個人的には、終戦記念日と呼びたくありません。
敗戦記念日です。
そして、ここからみんな、住むところや、食べるもの、着るものは後回しの日々が始まりました。
少し経ってから、それでは若い女の子達にとって良くないと、中原淳一さんらが少女達の為に少しでもお洒落をする雑誌を創りますが、とにかく、まず食べ物です。
私が次男を妊娠中、早朝家の近くの公園のベンチでのんびり座っていたら、お婆さんがやって来て、
「あら、朝早いのね?お腹に赤ちゃんがいるの?」と私の隣のベンチに座りました。
そして、「お腹、撫でていい?」と聞いたので、
「ぜひ。」と答えると、優しく優しくお腹をさすってくれました。
「子供は宝よね。私にも5人子供がいるんだけど、もうみんな大人で孫までいるけど、小さかった頃が戦争の終わりでね、とにかく子供5人を食べさせなきゃ、っていうんで私達夫婦は闇市までやったのよ。時々来る警官に捕まらないように。でも、なんとかなった。子供も大きくなった。大変だったけど、子供は飢えさせるもんか、と思ってやったわ。あなたも、子供楽しみね。」
そう言って、立ち上がって行ってしまいました。
20分くらい話したでしょうか。朝のちょっとした出来事でした。
でも、忘れられないお話でした。
普通の人がそんなことまでしなければ、いけなかった時代。
私はお腹をさすりながら、平和が続いて、飢えることがありませんようにと、願っていました。
それと、昔父から聞いた話。
父には、父を抜いて7人の兄姉弟がいました。
でも、前にも話したけど、5人が戦争で亡くなっています。
海軍さんだった叔父のことは、よく聞いていたけど、実は父には、1つ上のお兄さんがいたのです。
父は男兄弟の4番目で本当は、四郎と名前がつくところ、祖父母が心配して「健康に育つように。」と健之助と名付けました。
1つ上のお兄さんの名前も知っているけど、ここには書きません。
2人は、年子ということもあり、とても仲良しでした。ある夜、2人でふざけっ子をしてから、お互いに「おやすみなさーい。」と言って眠って、次の朝、父のお兄さんは冷たくなっていました。
栄養失調で亡くなったのです。
父の家が特別だったわけではないでしょう。
それくらい、戦争は厳しかったのです。
みんな飢えていました。父に
「俺たちは、本当に何も食べるものがなくて、骨と皮だったんだけど、どういうわけか腹だけポコンと膨らんでいたんだよな。ほら、テレビで見るアフリカの子供達と同じだ。」
栄養失調だと、そういう体型になるそうです。
悲しい話ですよね。
私や母の仕事は、衣食住が足りて、余裕が出来てから、初めて求められるものです。
夏休みに子供のご飯をどうしよう。給食が無くて、仕事があってどうしよう。
そういう家庭が増えています。
また、子供給食を利用している子供達も沢山います。
政府は、子供給食の支援をすると言っています。
支援?何を言っているのだろう。本来は、国が子供達の為に運営しなければいけないことではないですか?
各々の自治体のボランティアの人に寄りかかるような発言を止めて、速やかに税金から子供達の食費を出してください。
それから、公園で食料の配給を待っている人も増えています。今年は、親子連れが多いそうです。
総裁選で盛り上がる前に、まずこの政府で大丈夫ではないことを、代わりの政党を選べることを、強く強く希望します。
みんなが、特に子供が飢えるのを平気でいる党が第一党であって良い筈がありません。
また、戦争中のようにみんなを飢えさせて、子供を飢えさせて、自分達は税金で贅沢三昧ですか?
冗談じゃない、冗談じゃない!
まず私達が働いた分の給料を、適正価格に上げてください。
3食食べるのも難しくなっている人が増えているんです。
子供やその親が食べられていないのです。
今、戦争中ではありませんよね?
それで、この有り様ですか?
ゆりりうすは、怒っています。

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