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游雲

私と世界における軋轢は、私が怠惰に生きてきた結果の産物ではなく、世界が私を受け入れなかった結果のものである。世界が私という存在を忌避し、社会が私という存在を抑圧し続けた結果、私は世界の圧力に敗走し今此処で社会から隔絶され生きる結果となってしまったのである。

社会というものはかくも奇妙であり、私のような天賦の才を持つ者を口では賞賛し、貴女は未来を生きる若者の希望だ、などと宣う割に社会生活という側面ではしばしば私というコンテンツを忌避し、まるで出来るだけ私の生きづらい世界が創られているように感じる程私にとってこの常世は生きづらいものとなっているのだ。それは何故か。簡単な話である。社会を生きる大半を占める凡人は均一を是とし、異質を除こうとする同調圧力を持っているからである。勿論そのような人間らも側から天賦の才を持ったものの人生を娯楽として眺める事は極めて好む所であり、現に各種メディアでは若い才能を特集し、持て囃し、食い潰している。凡人はしばしば天賦の才を持つ者を同じ人間と認識していない醜悪な側面を持ち合わせており、まるで見世物小屋を眺めるように才能をコンテンツとして消費するのだ。恐ろしい存在である。

時に私もそのコンテンツ化され消費される才能を持ち、現に消費された経験のある当事者であり、凡人は初めは私の特異さに興味を示し、消費し、消費し、消費した末に私の特異さに見慣れその特異さが億劫になり忌避し始めるのだ。つまり、目新しさが失われた私という存在は単に異質で不愉快なものに変容してしまうという事である。これについては何か私の努力でどうなるという問題ではなく、私の性質と世界の構成が滑稽なことに醜くマッチしてしまった結果である為、私は死するまでこの業を背負って生き続けなければいけないようであり、それは揺るがない事実なのだ。

その割に、私が死にたいなどと宣うと世界にとってまともとされている異常者達は「そんなこと言うものではない」「周りが悲しむ」「生きたくても生きられなかった人だっているんだ」などという歯の浮くような使い古された穢れた言葉で私を糾弾するのである。私をこうしたのは他でもないお前達であるというのに。事実とそれに伴うせいぜい一層程度のバックボーンまでしか認識できない思慮の浅い凡人は自分が相手を傷つけていることも、自分がどれだけ残酷な言葉を放っているかさえ思考することが出来ずに無様に死んでいくのである。それをまるで正義であるかのように振り翳し快感を、賞賛を、優越を得ているのだ。なんて醜く不愉快な存在であろうか。

思慮が浅いということは魂の格が低いという事と同義であり、思考をしないという事は死んでいる事と同義である。ああ、彼らは死人である故にこんなにも私のような本当の意味で生きている人間を羨望し、妬み、破滅させんと企てているのか。彼らは深層心理では本当の意味で生きている人間と自分の魂の格の差を認識しており、それ故に社会凡てが私を責め立てるのだ。ロジックは意外な観点から成り立っていたのだ。

私はそんな社会に於いて、こんな腐った社会に身をやつし静かに分解されていくような私の無駄遣いになるような事はするつもりは毛頭なく、私は私の才能を、精神性を、輝きを食い潰されないように生きる事を第一として生きていくつもりである。しかしそう生きる事は極めて厳しく、何度も何度も死する事を選びたくなるような生き方であるのだ。それは何故か。社会生活を疎かにしないまま社会に消費されないように生きなければいけないからである。故に私はこのように精神の疾患を持つような事態となってしまっているのだ。

私という才能を世界で一番に愛しているのは私であり、私にとって私の才能を愛し大切に輝きを陰らせないように生き続ける事こそが最も生きる上で優先するべき事項なのである。

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