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いつか分度器ってバンドを②


自信がある。
千葉県の小学校にバトルえんぴつを最初に持ち込んだのは僕だ。

文房具が大好きな小学生だった。
友達と外で遊ぶのも好きだったが、近所の商店街を一人ブラブラするのも好きだった。その時は決まって文房具屋に向かって歩いた。

東新小岩のみのり商店街には「夢の国」の様な文房具屋さんがあった。そこは二階建てでやや大きく、今で言うロフトの様に雑貨屋さんだったのかもしれない。

そこで毎回少しずつ文房具を買い揃えていった。エスパークスなんて新しいの出るたびに筆箱、下敷き、ノート、えんぴつ、消しゴムと買い揃えていたから部屋の引き出しは文房具で溢れかえっていた。

透明な下敷きも
匂い付きの消しゴムも
可愛い絵のシャチハタも
ロケットえんぴつも
Drグリップも
何故か口臭を抑える携帯スプレーも
(美味しかったのでそれで給食までの空腹をごまかした)
筆箱なんて凄かった。
ルーペ、鉛筆削り、飛び出る引き出し、など変身ロボットみたいなのを使ってる時もあった。

服やゲームより文具や駄菓子が好きだったからいかにも葛飾下町のガキって感じだったんじゃないかと思う。

バトルえんぴつに戻そう。1993年、小学生四年生だった僕は発売したばかりのそれを速攻GETして、その後すぐ東京葛飾から千葉船橋に転校した。

船橋の学校ではすぐに鉛筆が注目された。オカンのセンスで履いていた当時の男子じゃ珍しい蛍光黄色のくるぶしソックスもアレコレ言われたが、みんなが夢中になってくれたのがバトルえんぴつだ。ドラゴンクエストがモデルになってるそれはまるでテレビゲームをしてるかの様な興奮を得られた。

そして多くの男子が机に投げすぎて削る前から芯がポキポキと折れているバトルえんぴつで授業を受けた。

(ちなみにこの文房具ブームは船橋に引っ越してソフトボール部に入って終わりを迎える。暇が無くなったのだ。)

そんな文房具大好きっ子だった僕がその10年後にパンクバンドを組んでライブハウスで歌っていた。

その頃のバンドの名前を考える時にいつも頭にちらついたのは『分度器』だった。

それは、既にあったバンド名だった。

バンド名を考えるのは楽しい。
バンドマンしてて楽しい事の一つだ。

最近は『馬鹿犬』ってスリーピースバンドがやりたい。僕はもちろん鹿だ。現在活動してるPLUG BOGENのポールは馬っぽいしホシヲは犬っぽいから改名を提案してみようかしら。
そしたらハタケンが浮くな。〜with猿でどうだろう。

いつか少しは小遣いをもらえる様な暮らしになったらまた文房具集めたいなぁ〜


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