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一番好きな車AZ-1を手放した話

もう4ヶ月前の話になる。
身近な人は知ってるだろうけど
僕は愛車AZ-1を手放した。

その顛末を書こうと思います。

やっと書ける。書けるメンタルになってきた。
Twitterでもリアルでもほとんど騒がずにサッと手放したように見えると思う。

実際は無理だったんだよな。一喜一憂を人に晒して感情を乗せたら多分めちゃくちゃになっちゃうから。
本当に手放した後は写真すら見たくなくてTwitterの AZ-1界隈の人全員ミュートしたりしたからね(ごめんなさい。数日で全部解除してます)

並べたら怒られちゃうけど、この心の防御反応みたいのは
数年前にオカンが急に死んだ時と全く同じ。
淡々と事務処理を進めることで出来るだけ考えないようにして、時間と共に"現状"を心に馴染ませて行く…

多分未だに心のどこかで納得できてないんだろうな…

あまりにAZ-1を手放した事を考えたくなくて
駐車場の解約すら2ヶ月もほっといたくらい
そのお金で美味いものでも食べた方がずっといいのにね

AZ-1は一番好きな車でした。それは本当。
買ったのは勢いだけど、乗ってるうちに
ある種「自分のキャラクターの核」
に近い存在にまでなってた。

TwitterのアイコンもずっとAZ-1だったしね。

・2人乗り
・ミッドシップ
・ガルウイングドア

乗りにくいモノに乗ってるっていう特別感?みたいなものも好きな要素の一つだった。

でも乗りにくいって感覚は全くと言っていいほど無くて
強いて言えばエアコンをつけると加速が鈍るくらいだった。

初めて自分で稼いだお金で買った4輪車
初めてタイヤ交換をした車
初めてスポーツ走行をした車
初めてヤフオク!で部品を競り落とした車
初めてレッカーを呼んだ車

車としてはもちろん、機械としての初めてを経験させてくれたAZ-1

古い車なので少々のトラブルはあったけど
完全にお手上げになるようなこともなく
壊れたり調子が悪くなったら

原因を探る→解決する

このプロセスを無理なく経験させてくれた。
トラブルが起きた時はめちゃくちゃ焦るし本当に最悪のメンタルになるんだけど
解決した時の高揚感は大きいし何より自信に繋がっていった
(難しい作業は店任せ 本当に軽微なトラブルだけなんだけどね)

AZ-1を手放す要因の一つめ

1.  AZ-1を維持する自信がなくなった

ん?矛盾してない?って思うかもしれないけどコレなんです。順を追って話すね。

Twitterとか見てくれてる人はわかると思うけど、最近僕は古くて変な2ストロークのバイクにハマっている。
ある意味AZ-1で故障とかトラブルに耐性がついた分、思い切って変な乗り物にチャレンジできる。

バイクはAZ-1以上に致命的な壊れ方をする。
でも治る。

もちろん工具の問題で店に任せる作業もあるけど
大体のことはなんとかなる。

キャブレターをオーバーホールしたり、エンジンを開けてピストンを交換したり
抵抗値や電圧を測って故障箇所を特定して部品を発注したり…
工業校での経験を復習感覚で試して実際に解決する。

2輪免許とってまだ3年だけど、多分2ストのバイクなら「なんとかなる」っていう自信がついてきた。

そこまできてふとAZ-1の整備について考える

出来る作業といえば

・オイル交換
・タイヤ交換
・取り外しが簡単な電装関係の交換

と本当に限られた事だけ。
エンジン周りはろくに触れないしパイプ類やプラグすら自分では変えてない。

バイクと違って車はデカいんだよ。
何するにも特別な施設と工具が必要。

そこを考えた時

「自分は手に負えないものを所持しているのではないか」

と急に怖くなってきちゃったんだよね。

もちろんお金を出せば修理してくれるお店もあるしインターネットのいろんな親切なサイトのおかげで部品の流用情報も手に入る。

それでも今後起きうるトラブルを考えた時、対処できないかもしれないっていう不安がどんどん大きくなってきた。

出来る人は良いよ。出来る人から見れば「甘え」かもしれない。こういう車の界隈なら「エンジン降ろすくらいはしろよ」ってスタンスの人も沢山いると思う。

僕はできない。多分。

なまじバイクで機械の整備を覚えた分、できないことが浮き彫りになってのしかかってくる。

それに耐えきれなくなったのが一つ目の理由。


2.  AZ-1が不人気じゃなくなった

僕が買ったのが7年前
この時点ですでにじんわり始まっていたAZ-1の値段の高騰。

とはいえ「25年前の軽にしちゃ高いな」程度の値段で買ったのを覚えている。

僕自身買うまでまったくAZ-1を知らなかったし世間の反応も似たようなものだったと思う。


それが今や「伝説の名車」「異次元のハンドリング」「激レア」みたいな持ち上げられ方をして
程度の悪い車体にもびっくりするような値段がついている。

車好きなら誰でも知っているメジャーな珍車になってしまった(新車当時に買った人はもっと早くからそれを感じているかもしれないけど)

僕が乗りたかったのは「みんなが知らない珍車」であって
「ワア!AZ-1だ!」みたいなのは全然求めてなくて
「!? あの珍車は何?」
みたいな反応が好きだった。

だいぶ捻くれている思想だけど。

「みんな知らないこいつの魅力を僕だけが知ってている」
そういう状況が好きだった。

その点においてAZ-1は今やみんなの憧れのスーパーカーになって世間の評価はどんどん上がって、
それに反比例して僕の気持ちはじわじわ離れていっちゃった。

普通逆だよね。本当に捻くれてるよね。逆張りのオタクここに極まれり。


3. シンプルにお金がない

「お金が無い」は他人と比べると色々「嫌」なので僕の中での話です。自分の中での相対的な話。

お金の話嫌いだから沢山は書きません。
要は"コロナの影響で前より仕事が減ったことへの不安"
破綻するほどではないけど確実に減る。
そうなると趣味に充てるお金は削らなきゃならない。

僕にとって乗り物は全部趣味であって「必須」ではないんだよね。
あくまで趣味。

独身で彼女すらいない僕の中では自分の命の次にくるのは趣味だから、決して小さいとは言えないけど。
湯水のように使えるほどお金があるわけじゃ無いし、そこに割いている分を他に回せば他の可能性も見えてくるって話。

お金が沢山あればどうにでもなるけど人生のほとんどはそうなので。お金に関してはここまで。これ以上はないです。
(AZ-1手放したお金は奨学金の返済に充てました)


理由は上の3つです。
要約したら自信を無くして興味が薄れたから金にした」になっちゃうけどそんな単純な話じゃないのは分かって欲しい。別にわかって欲しくはないか。理解って欲しくはないけどもし同じ経験をしている人がいたら酒飲んで泣きながら語りたい。

次の車は全く考えてない。

なんせ「一番好きな車」を手放した時点で世界にあるのは「二番目以降の車」になる。

さっきも言った通り僕にとって車は必須じゃなくて趣味だから、必須にならない限り買わないかもしれない。

結婚、子供、そういう未来があるなら大きい車を買うと思う。そこでも多少趣味は入ってくるとは思うけどね。


AZ-1を手放した事、未だに後悔してるし今後も一生後悔すると思う。たとえ別の車に乗っても特別で大切で… なんかポエミーが出てきたね。
泣きそうだよ。

手放す前日、最後の洗車をして、エンジンを切って、車の中で暫く泣いた。

思い出話は正直、したくないよ。マジ泣きしちゃうもん。僕はあんまり人に感情を見せたくないので。

今後も愛車との別れは繰り返すだろうけど毎回このレベルで感情揺さぶられてたら保たんよ…

「ごめんねAZ-1 守ってくれてありがとう」にならなかったのだけは本当に良かった。

僕の人生は続くしAZ-1もどっかで走る。
その時点で良い別れではある。

2度と手に入らないなら2度と見たくないけどね。
もうちょっと心に余裕ができたら写真くらいは見返すよ。

達者でな。

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