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天国はまだ遠く

この本を手に取ったのは、大好きな人が旅立ってしまったのがきっかけだ。わたしは普段、恋愛小説を好んで読むため、心が温かくなるような物語はあまり読んでこなかった。しかしながら、本がわたしを知らない世界へと連れて行ってくれることはよく知っていたため、現実世界から遠く離れたところに居場所を求めて、この小説を読むことにした。たくさん泣いて、たくさん歩いて、悲しみを紛らわせるよりも、これが最善策であると感じた。楽しく幸せな時間とは違って、悲しみが薄れるための時間は、すぐには経ってくれない。
「天国はまだ遠く」は、仕事も人間関係も上手くいかず自殺を図った23歳の千鶴が主人公である。千鶴は会社を辞め、そのまま山奥の民宿で、睡眠薬を摂取し自殺しようとした。しかし死にきれず、そのまま民宿の田村さんと一緒に生活していくことになる。その民宿で人が作った温かいご飯を食べて、温かい布団で寝て、朝日で目を覚まし、自然の中で採れた食材でまた生きるための力を蓄える。自殺する前は出来なかった、人の温かさに触れながら生活することを経験し、自分の力で村を去ることを決意する千鶴の物語である。
わたしがこの小説で印象に残っているのは「もう進むしかないのだ。大丈夫。死んだって何もない。天国も地獄もない。闇も苦痛もない。何も考えることもできない。死んだらそこで終わり。全てを終えることができるのだ。他には方法はない。もう、これ以上あの日々を続けることには耐えられない。これを呑めば、あの日々から解放されるのだ。それを思えば、死ぬことなんて怖くないはずだ。」睡眠薬を飲む直前の千鶴の吐露である。わたしは大好きな人が亡くなった悲しみを少しでも楽にしたくて読み始めたため、もちろんこの部分を読んだときも、頭にあるのはその人のことだった。わたしとその人の関係は、家族でもなく、友だちでもないため、はっきりとした死因はわからないが、もしかしたら、同じような気持ちでその日を迎えたのかもしれないと思うと、涙が止まらなかった。その人に限った話ではない。家族がいて、友だちも恋人もいて、たくさんの愛を無条件に受けていながらも、その日々の中にある苦痛に耐えられないほどの悩みを抱えて、このような気持ちで死んでいく人がいるのだ。生きている限り生活は続く。学校が辛くて休学、仕事が辛くて退職したとしても、いつかはまた学校に戻らなければならないし、仕事も始めなければならない。いくら休んでも、結局頭のどこかでは次の生活に対する焦りがあり、不安感が募る。休めば休んだ分だけ次のタスクや、ハードルも高くなる。永遠に尽きない悩みを解決するには、死んで生活を終わらせる他に方法はないのだ。今のわたしに深い悩みや、こういった願望があるわけではないが、確かに、死んでしまえば、日々の苦痛から解放されて、生活を終えることができるなと納得してしまったため、心苦しくも一番印象に残っている。けれど、こんな気持ちになるまで、仕事しないでほしかった。もう、次することが決まっていなくても、顔を見ることができなくても、なんでもいいから、命を絶つことはしないでほしかった、と思う。十の幸福よりも一の苦痛が大きく、辛い日々を送っている人みんなが、悲しみのない世界で暮らしてほしいと願いながら読んだ部分でもあった。
もうひとつ印象に残っているのは「ここから抜け出すのにはパワーがいる。だけど、気づいたのならいかなくてはいけない。今行かないと、また決心が緩む。そして、私はやるべきことがないのを知りながら、ここでただ生きるだけに時間を使うことになってしまう。それは心地よいけど、だめだ。温かい所にいてはだめだ。私はまだ若い。この地で悟るのはまだ早い。私は私の日常をちゃんと作っていかなくちゃいけない。まだ、何かをしなくちゃいけない。もう休むのはおしまいだ。」千鶴が二十日間滞在した村を出ることを決意したシーンである。二十日前、ただ北へとタクシーを走らせてもらい、死ぬために、名前も知らない村へと辿り着いた千鶴。その千鶴が、自分がここにいる理由と、これからを考えた結果、自分の意志で、日常へと戻る決断をした場面は胸を打たれた。豊かな自然と、人の温かさが千鶴をそうしたのだ。駅で出発のベルを待つ千鶴は、寂しくも、どこか誇らしく、清々しい表情をしているように思えた。わたしも泣きながらこの本を読み始めたのに、気づけば温かい気持ちで本を閉じていた。ただおいしいごはんを食べて、綺麗な夜空を見て、幸せだと、それだけでいいと感じることができれば、まだ生活は続けられるはずだ。千鶴のように、繰り返しの毎日に目を凝らしてみて、幸福を見つけてみてほしい。わたしも温かい布団で寝られる幸せを噛み締めて眠りにつくとする。どうかわたしの愛する人たちの天国が、まだ遠いことを願って。

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