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ある詩人のイディオレクト―細川雄太郎異聞―

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童謡詩人細川雄太郎を主人公にした歴史小説です。
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#時代小説

ある詩人のイディオレクト8

【そして風になる】  平成九(一九九七)年。細川雄太郎は地域文化功労者表彰を受けた。これまでの取り組みが評価された形だ。  長野で倒れてより細川は、病がちになり、長年住んだ日野の実家を離れ、病院で過ごす時間が長くなった。  娘や、息子の嫁がたまに細川を実家に連れてくると、必ず「ここで息を引き取りたいものだがなぁ」とひとりごちた。  この翌年、二月二一日に細川は急性循環器不全でこの世を去った。享年八四。  稀代の童謡作家として名を成すものの、復員後は地元にとどまり、後進

ある詩人のイディオレクト

【忘れ物】  突然頭に強い衝撃が走った。旅行先の長野でのことだ。  気が付くと、ベッドに横になっていた。隣にいた看護婦が心配そうに声をかけてきた。 「大丈夫ですか。ご自身のお名前と今がいつか分かりますか?」 「……細川……雄太郎。平成八年五月……」 「倒れられたのは昨日のことです。一過性の脳虚血症だったんです。脳の血管が一時的に詰まったんですよ」 「美津は……」 といいかけて、妻を昨年失くしていたことを思い出す。しかも、おそらくここは長野の病院だ。頭を殴られたよう

ある詩人のイディオレクト2―細川雄太郎異聞―

【陣中日誌】  麦島は釜山港の沖合にある巨済島の東方にあった。南北二キロ、東西五〇〇メートルの小さな島で、はるか南東には対馬があり、天気のいい日にはその姿をおぼろに望めた。空から見ると島の形が海に浮かぶ麦の形見えることから、この名前が付いたという。  麦島には、約一〇〇名の日本兵が詰めていた。一二月八日、日本が英米に宣戦布告し太平洋戦争が勃発。しかし、離島では静かな日々が続いていた。重砲兵として派兵された細川の生活は、訓練と掃除、当直などで過ぎた。上官は、目の前の朝鮮海峡

ある詩人のイディオレクト1―細川雄太郎異聞―

【再会】 「関! もしかして、関沢君と違うか」  見覚えのある顔を、カーキ色の群れの中で見つけて駆け寄った。相手も目を白黒している。そしてやっと、「雄ちゃん、一緒の輸送船(ふね)やったんか」と丸眼鏡の奥で目を細め、互いの肩を叩きあった。  一五分前、一等輸送艦は玄界灘を朝鮮半島側にわずかに過ぎたあたりにいた。上官たちは、周囲の状況を鑑み、船底に押し込めていた新兵たちを甲板に開放した。昭和一六年八月。時刻は昼を過ぎたころだった。 「それにしても、こんなところで出会うとは