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歩みの幅が、歩みの母 (前編)

さて、水曜日は「リトルまさまさのこなくそ日記」です。
このマガジンでは、イマ・ココの思索の旅をテーマに、生煮えであろうと、ひょいひょいと可憐なアイディアを書いていきます。

こちら、定型文です。白百合の学生における「ごきげんよう」です。

ニュージーランドから北北東に約2,300km。この台湾~東京ほどの距離を隔てた先に、南太平洋に浮かぶ世界最大のサンゴ礁の島、その名を「ニウエ」という国がある。

首都はアロフィで、人口は約1,500人
日本における「.jp」は、ニウエでは「.nu」
飲酒運転が合法らしい

今回はこの島からの体でお送りしたい。標準時から11時間遅れるこの国は、9時間早い日本との時差が20時間になる。つまりは、今世界で一番水曜日に近い国、それがニウエ。公用語はニウエ語。

参考: 世界の標準時 / ニウエ(Wikipedia)

(更新遅くなりました)

では、いきましょう。
まずは、これまでの流れを一気読みする「寿限無」のコーナーです。

”先行きの見えない道をゆくなら計画よりも探索重視。まず店員を呼んで、自転車操業を始めてみる。牛歩牛歩を続けつつ、そのムードを書き留める。未知先の案内には、巨人の肩乗せ屋を仲間につけて、シブロクの現状把握と戦略的な習慣でもって進みたい。それでも焦る日には、フィボナッチ数列を眺めて、ごきげんを保つのさ”

ということになります。

はい、特に一見さんにおかれましては、このくだりで軽く引いてしまうと思うけど、それで大丈夫です。ビールも最初は苦かった。

もし上記内容にご興味があれば、本マガジンの過去の記事をご参照下さい。

さて、今回のテーマですが、えらく難渋しました。

歩みの幅が、歩みの母

正直に告白すると、毎週更新のはずが、前回の水曜日の更新が飛びまして。幸い誰にも気づかれていないと思いますが、ついにやってしまった。手も足も出なかった。

その理由は、こんなことかな、と考えていた内容が膨れ上がって、うまい感じにまとまる「気がしなかった」こと。その結果、紡ぐ言葉の糸口ひとつ見つからなかった。

もし「その気」と「内容」が伴えば、きっと「書く(≒考える)」打席に立てたのに…と、この失敗の順序を、考え直してみると

次の一歩に「適切なサイズの課題(=内容)」を設定する

ということが「書く」に限らず、歩みを止めず進む上で大切になりそう。次の1歩分の、歩みの幅が、歩みの母になるのではなかろうか。

小さじ一杯の計画性で、1牛歩幅の内容を「いい問題」を設定する。それがきっと大事なのだろう。同じもんかはわからないけれど、仕事でもネクストステップとか言うてたな、と思い出す。

というわけで、今回の記事では「次の1牛歩の幅」を考えたい。

こんな風に、自分が「今知りたいこと」を考えて、生煮えのアイディアを、ひょいひょいご開陳する芸風になっております。

虫の目、鳥の目、こって牛

というわけで今回は、そんな「1牛歩の幅」を考えること自体を、そのまま実践してみたい・・・してみたかった。

長くなったのでそこまで届かず。前編/後編に分けます。
こちらが前編。

ただし、そのためには、まず最初に考えないといけないことがある。

一歩を踏み出すにも、方向がある。もちろん計画より探索を重視するのは変わらないが、その一歩の「向き」はどう考えるのがいいのか?

・アプローチ① ▷ 慣性/感性の赴くまま(川下から手なり)
・アプローチ② ▷ 遠いイメージに沿って(川上から逆算)

前者は、葉っぱの先へとこれまで通り進む「虫の目」的な発想で、後者が、遠くのアラビアンナイトを見て砂漠を飛ぶ「鳥の目」的な発想になる。

さて、我はこって牛。牛歩の道なりを考える。

流れとしては、①が最初。まずやってみて、その時の感性と慣性に従って積み重ねる。それ以外に手はない。そのうち、気のせいかもしれないけれど、微かに「遠雷」と「福音」の混じった音が聞こえてくる。それが②の「遠いイメージ」か。その音がする方と、これまでの流れの2つが暗闇のコンパスになるのではなかろうか。(仮説)

要するに、①と②は独立しているわけでなく、現在を含む過去と、現在を含む未来の視点に近く、現在の一点で同居して、互いに影響を与えあう。その両方を感じられるのが良さそう、ということである。

***

具体的にいこう。

これまで「何かしらうまくできるようになっていくためのいい感じの方法」というふわっとしたテーマで、具体的には「文章表現」を題材にしながら、論を進めて来た。つまりは”手段”を考えてきた。これが①で積み重ねてきた何か。

ただ、この文章を飲み込める特異な読者にあっては、この論には「目的」が不在であったこと、お見通しであったろう。

「何のための上達なのか?」「何のために文章表現を磨きたいのか?」という部分は、曖昧にしながらやってきた。それで、君は一体どこにゆきたいんだい?という部分は、正直なところわからなかった。

あれ?どこにもいかないんですかい?
では牛と致しましては、草でも食べてゲップして寝ますね

そんな遠くの目的地のようなものを考えて、ぐるぐるしていたら、興味の根本のような「なにか」で立ち止まった。

これが僕の「遠いイメージ」なんじゃないか、ああ、僕はこれをしたかったんじゃないか、というものが、朧げながら立ち上がった気がする。

(後編に続く)

虫の目、鳥の目で眺めた「次の1牛歩の設定」を、次回に含めます。

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。