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私的聞きかじり子育て論

同年代の友人たちが家族を築いてゆく、と歌ったのは、Mr.Children。

中高時代に聞いていた歌詞に追いつく30代ももう半ば。今回は、ここ最近の友人の子育てについて、ほうほうなるほど、と見聞きしたお話の種に水をやり、負けないように、枯れないように。笑って咲く花としたいが、ちょっとその前に。

まず最初に僕は独身であり、子を持たないことを断っておかねばなるまい。すなわち、以下にしたためる文章は、全て「第三者的なる耳学問」であり、実践の伴わない戯言、まぁ知らんけど、であると、最初にお伝えしたい。

その方が、好き勝手言えるというもの。では早速。

子育ては、プロジェクトと心得よ

「私がプロジェクトリーダーで、夫はメンバー。プロジェクトの目的は、娘(クライアント)を立派な人間に育てること」

単身赴任中の夫を海外に持つ、友人はそう語った。

このセリフには、子育てというと、つい思いや感情が先行しがちだけれど、それはとても大変なことだから、まずは冷静になって現実的に考える必要があるよね、という雰囲気が醸し出されていた。

そのムードを弾き継ぎ、勝手に謳い出す。

メンバーはチームとして、このプロジェクトを成功に導けるよう努力する。メンバーはそれぞれプロジェクトに貢献することが求められるが、その貢献には、様々な種類やアプローチが存在する。

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育児に付随するタスクや、クライアントのアドホックなリクエストの実消化にあたるのも勿論のこと、後方支援を受け持つのもアリである。また適宜、必要なリソースを外部から調達するのも現実的な手段となる。

実消化:おしめの交換 / 授乳 / 読み聞かせ / 遊び相手 etc.
後方支援:家事全般 / 資本注入 / ムードメイキング etc.
外部調達:保育園 / 幼稚園 / 一時保育 /  家事代行 etc.

メンバー間でスキルは異なるため、現実的な戦力にならないタスクを持つのは生産性が低くなるのであまり推奨されない。メンバーそれぞれの強みが活きるタスク配分が肝である。

それを踏まえれば、例えば、不得手な家事育児の一切をしない分、仕事に全振りして鬼のように稼ぎ、湯水のごとく資本注入をするというモデル(役割分担)も成立すると思われる。

ちなみに我が家では、上記で言うところの、母が仕事に全振りのパターンであった。ちょっと珍しかったような気がする。

とにかく、ワークロードのフェアな配分が重要

上手なプロジェクト遂行が出来ないときに何が起こるか。
それが炎上というやつである。

前職の先輩のFacebook上の職業が「消防士」になっていたのが懐かしい

ここで言う、炎上とは何か、具体的に考えてみる。

まずひとつには、チームのアウトプットがクライアントの要求を満たさないことが挙げられる。烈火の如く怒り狂うクライアントは、プロジェクトメンバーのQOLを著しく低下させる。これが第一の炎上であろう。

信頼を損なえば、クライアントは強硬さを増してゆく。

何をするにも抵抗は大きくなり、提言は聞き入れられず、要求は収まることを知らない。その要求に応えたところで満足は得られず、感謝もされない。QOLの墓場へようこそ。

これが仕事のプロジェクトなら、約束の期間が来れば、契約打ち切りで話は終わるが、血の契約は終わらない。育児放棄は法律違反である。ああなんて恐ろしい子。恐ろしいクライアントである。

第一の炎上は抑えたとしても、次なる炎上の狼煙が上がる。

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第二の炎上。それは、ワークロード(仕事量)の不均衡によるメンバー内の不信、離脱によるチームの崩壊である。

人はそれぞれに異なる。ゆえに、個人のスキルや時間には制限(上限)がある。

そんな個人の制限を越える仕事を、チームで叶える。それがプロジェクトというもの、チームワーク(チームでのお仕事)というものであり、創造的なメンバーの役割分担、タスク配分が肝という話は、ここに繋がる。

つまるところ、チームワークとはただの「みんなで頑張ろう」的な、形式的な思いやりの素振りでなく、フェアで持続可能な作業量の配分行為である。

これが上手にできない時に「特定のメンバーに負担が寄る」現象が起きる。プロジェクトリーダーはこの見定めと、適切な介入がとっても大切になる。

理由はひとつ。特定の個人に集中的な負担を強いるチームは長持ちしない、からである。

誰かに偏った犠牲では持たない。それはやがて不満となり不信となり、チームの一体感や助け合いの精神を損なう。そうなると、何をするにも損得感情が先行したギスギスしたムードが支配するようになってしまう。

そうなれば、クライアントにも悪影響が出る。場の空気がよくないストレスは、将来の何かの問題の種にもなり得よう。そんなことになるならいっそ、チームの解散すら妥当な選択肢になることもあるだろう。

ただ、そうなる前に、出来ること。フェアさを取り戻すために、出来ること。適切な介入が求められる。

インセンティブは、急所を狙え

この作業負担の偏りをいかに均衡させるか、がプロジェクトリーダーの腕の見せ所であり、それには効果的なインセンティブ・ディスインセンティブ(アメとムチ)の設計がポイントになる。

「私は、娘と一緒にいる時間が長いから、この子をパパを大好きな子にも、パパを大嫌いな子にも出来るのよ」

上記の友人のセリフである。おお、なんて恐ろしく頭のよい嫁であろうか。世にいる恐妻家というのは、そんな風に自分の急所を握られているような状態にある人のことではなかろうか。

で、あなたはどっちがいい?と。

さてこれにて無事、タスクを内外に切り分けて、特定の個人のアンフェアな負担感もなく、上手に遂行してゆけるようになったとしよう。

最後にもひとつ問題がある。それが家の外側、他の家族とのお付き合いだ。

”ママ友”じゃなくて、ママ同期とか、ママ同僚ぐらいでちょうどいい

「全然、友達じゃないと思うのよね。友達だって思うと、仲良くしないと、みたいになるじゃない?」

二児の母である前職の先輩は言った。第三者の私がもっと歯切れよく付言して差し上げよう。

育った環境、教養レベル、社会経験、金銭感覚、エトセトラ。総じて、価値観のまるで異なる人と、そう簡単に、仲の良い友達付き合いなど望めない。

やれ近所だ、やれ子供の年が近いだなどというだけで、フェアで対等な友達関係を築けるというのは考えが甘い。

大胆に切り捨てよ。アイツらは友ではないと。同期である、同僚であると。

性格が違う、当然のこと。プライベートが違う、当然のこと。だってただの同期なのだから、同僚なのだから。

同じ子育てカンパニーに勤め、異なる子育てプロジェクトに勤しんでいる。そんな同期、同僚。時々それぞれのプロジェクトが関わるところに、お互いの利益があればヘルプし合えばよくて、必要以上に仲良くする必要はない。

仲良くない同期や、仲良くない同僚がいてもよかったことを思い出せると、何となく楽になれるに違いない。

もしそんな同期の中に、同僚の中に、友と呼べる人が現れたのなら、それは素晴らしい偶然である。

プロジェクトの報酬とは何か

最後に、こんな内外とのバランスを取りつつ、圧倒的なワークロードをチームでなんとかかんとか、走り抜けた先の報酬とは何かを考えて結ぶ。

それは、クライアントの笑顔と成長であり、その結果、家庭に漂う温かなムードである。

それ以上の何を求めることがあろうか。

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余談

「親ってほんま大変なんやな」と言ったら、友人はこう語った。

私はいつも子育てを「我慢しないといけない」じゃなくて「楽しい」と感じられるように、「大変なこと」と「楽しいこと」のバランスがあったなら、後者の方が少し多くなるようにしてる。例えば、娘が外で理不尽なギャン泣きをしたら、速攻でそこらへんの店に入ってビール飲んで良いとか、何かのご褒美を決めてバランスを取ってる。何より自分自身が楽しめていることが、ポジティブに子育てを続ける条件だと思ってる。

なんて立派な親だろうか、と僕は思った。もし僕が子供なら、こう思うだろうから。

何より一緒にいるあなたが楽しそうにしてくれてるのが一番嬉しいわいと。ワシのわがままに付き合うてくれんのも嬉しいけど、決してあなたをしんどがらせたいわけではないんやと。だから時にはテキトーに楽もして、あんま無理はしやんといてくれと。I'm happy, if you are happyよと。

まぁ大人のことは、知らんけども、と。

(以上)

よくぞここに辿り着き、最後までお読み下さいました。 またどこかでお目にかかれますように。