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狂気という幸福と狂えない苦悩と今日の午後という徒然なる文

朝からいい記事を読んだ。
まさにこれなんだ。

”いかに働かないか、いかに楽に効率的に、そして安定的に稼ぐか。
それはそういう構造作りが世の中の市民たち、マジョリティに求められているから。でもそんな風に時代に迎合してて、狂った天才なんて出てこない。
日本もおなじ。
良いんですよ、そういう体制でも。
時代なんだから、そういう奴はそれでいい。でも俺は違うから、職人だから。勉強も研究もしないで、みんなと同じように酒飲んで寝てて、良いものなんて作れる訳ないでしょ。経営者だってそうですよね、会社はきちんと労働時間も守って、でも自分たちは働いてるじゃないですか、アホみたいに。
四六時中働いてますよ。
そうしないと成功なんてしないんですよ、分かってるんですよ彼らはみんな。ずるいよね。笑 だからさ、俺らが働き方改革なんて言ってたら文化なんて守れないんですよ、つまんない国になっちゃうよ”

狂ってる人達の狂ったシゴトは超ブラックだ。
会社としては全く推奨すべきじゃないし、お縄だ。
だからまともな経営者やマネージャー達は当然なんとか「まとも」な労働環境にできるよう日々頑張ったり悩んだりするわけで、私も人並みにウェルビーイングなまともな暮らしをさせてあげたいと願ったりするんだけども、個人として「狂った職人としてええもん作りたいねん」ってひともいるわけでそして何を隠そう私はそっち側なので、四六時中仕事をしていたいし、幸いにも「ロジカルに考えたら謎しかない事に熱中できてる」という狂気で生きていられている。
成功するために四六時中必死に働いたり考えたりするのは、私にとっては楽しいし、クソほど地頭と能力がない、努力も根気も自分の周りにる化け物達と比べたら人並みにしかない私にとって、四六時中狂える事があることが私を生かしてるし、その狂える事に投資していたいので、狂えなくてもお金が稼げる事を普通に頑張れる。

経営者だってそうですよね、会社はきちんと労働時間も守って、でも自分たちは働いてるじゃないですか、アホみたいに。
四六時中働いてますよ。
そうしないと成功なんてしないんですよ、分かってるんですよ彼らはみんな。ずるいよね。笑 

この「ずるいよね笑」ってけっこう本音な一言だと思った。
大変なのは嫌だって思うひとも多いかもだけど、でも大変な境遇、大変な環境、人によっては実は最高に良い環境なのだともおもう。
(人による、ここはとても重要な部分だ)

さっきもいったけど、私のようなクソ凡人に「息吸ってていいかも」と思わせてくれているのは、良くなれば良くなるほど問題を山積みにさせ、続ければ続けるほど増幅する不安と麻薬のように膨れ上がる甘美な感動をもたらしてくれるこの事業と会社と組織と人生がもたらしてくれる、苦悩と危機と、成功したい良くなりたいもっともっともっとここをいい景色にしたい(なぜなら今は「まだ」だから)という一生「まだまだ達成できない」という不幸な幸福が生み出してくれる狂気と焦燥感だからだ。
ほら、マーベルの主人公たち、宇宙からくる危機っていう大変なのがあるからかっこいいわけで、なんもなかったらトールとかただの酒飲みデブになるだけだ。私も、ただの人だ。

狂えない私達

みんながみんな職人気質でもないし、狂うべきかと言われれば全くそうじゃないとおもう。

でも狂ってる人達への羨望の眼差しは止められない。
けど人生、狂ってるか狂ってないかだけで成功不成功は決まらないとも改めておもう。いやおもいたい。
しいていうなら、狂ってなくても「脳に色々ぶちこむ」とか「達成すること」はあったほうがベターかもしれない。
でもしつこいけど別に狂ってなくてもいいし、自分の好みを理解していきていくのが1番良い。「俺息吸ってていいな。ちょっと今日はいい天気で、生きててそこそこ、気持ちがいいな」も大事だとおもう。

私自身は、正直人によって感想は変わるかとおもうが自己評価としては相当狂っていない部類だと思っている。
もっともっと狂いたかったし、片手で数える事くらいしか人生で見えない、それしか考えられない、だったら良かったのになぁとおもう事がとても多い。
「いやうららさん狂ってるしなんか大事なところ抜けおちてますよ」って言うひともいるけど、趣味嗜好が特殊でかつKYなだけで、KYだなー・・って自分の脳に認知されたときは落ち込むし、自己評価は低いので成功確率が極端に低そうなことにはアクセルきれない普通のひとだ。
毎月キャッシュフローは気にするし、それは資産がどれだけ増えても気になるし恐ろしい。何千万円何億と売り上げても、収入があっても、わたしの食生活とライフスタイルはかわらないしむしろ近年は昔よりも更にお金を使わない。(サラリーマンのときの方が収入低いのに無駄に使ってたな)
職人じゃない部類の中では職人気質な要素が強いだけで、わたしは職人にはなれず諦めた。漫画家やクリエイターになりたかった時期も小学生中学生のときはあったけど、わたしにはそれだけで一本でいくのは向いてないなと断言してしまったのは早かった。
だからこそ、そういう狂った人達が好きだし、職業ゲーマーもそうだ。なんともいえない憧れがあるからこういう仕事をしてるのだとも想う。
わたしは狂ってるから四六時中働いてるのではなく、「こうやって息吸っていたい」に対して能力と時間が足りないので四六時中働いてるだけだ。

でも
狂えない、夢中になれない、決めきれない、やりきれない。
なんとなく日々を過ごし生きてる事に疑問がないわけでもない。
あらゆることのバッドエンドが見えてしまう。
なんかつまんないな、で止まっちゃう。
そして気づけば、普通に過ごしてる。
めちゃくちゃ分かる。共感しかない。
器用貧乏で自己肯定感が低くて、出来ないことばかり見てしまう、めちゃくちゃ分かる。

そういうこともある。
それが何年か続くこともある。
そうやって気づいたら老いてることも、ある。

別にそれでも良いんだ。
日本という国は、レベル4の国の中でも特に生きるのは簡単な国だ。
食物はやすく、街はきれいで、ひとは大体やさしく、皆言葉が通じ、娯楽は今やいくらでもやすく手に入る。
四季があり、季節が一つしかない国と比べたら、変化があって楽しい。
日照時間がない季節がなく、年間を通して太陽がある。

私達には、狂うほど頑張って生きる必要も理由もない。
宇宙からの危機は来ない。
巨大化したパックマンが襲ってきて、かつての最強ゲーマー達が集まって撃退しないといけないみたいなヒーロー的展開は、おそらくこない。
(この映画なんだっけ)

私達は平和に生きていて良い。
文化なんて作らなくていいし、「ゲームを職業へ」とかやらなくていい。
ひとの人生に関与する必要もないし、笑顔でいられる時間がながいほうが周りも嬉しいだろう。
他人や世界が押し付けてくる生き方へのプレッシャーはすべていらないものだ。不必要の極み。将来へ準備しろとか勉強しろとかいらないなら全部無視でいい。
だってその辺で寝ててもいいって場合もある。人それぞれだろと。

この平和な社会で、どうしてもこうやって息吸っていたいし、こうやって息をひきとりたい、というイメージが出来たら、その時頑張ればいい。
私は、中学生のとき出会った母の同級生の医女がケンブリッジ大学で留学し学問を極め多くのひとの役に立ち、流暢で美しい英国英語を話してるのに憧れて仕方がなかった。留学したときは、美しい英語を話せるようになる事だけは達成したいと渇望した。
私が4歳の時に母を亡くしてからも男手一つで私を育て、多くの子どもたちの未来を応援し支え、慕われるつづける父親が一生のロールモデルだ。
新卒で入った会社のボスたちの教えと背中はずっと脳裏に刻まれてる。
あぁなんでこんな偉大でかっこいい人達に出会ってしまったんだとおもう。強制もなにもされていないのに、そうやって生きたいと思ってしまう。

身体がついてこないときもある。
気運がきてないときもある。
人生が急に変わることもない。
でも小さなタイミングとチャンスは、意外と目の前に転がってたりする。
ちょっとの一歩と今日の午後の30分で人生は方向転換してるかもしれない。

そして出来れば身の回りのひとは、親切で、肯定してくれて、あなたの素敵なことを見て言ってくれる人達で囲まれてるのがきっといい。
逆にいうと、わたしはそういう人でありたい。
数少ない友人と仲間に対して、わたしはその「周りの人」なわけだから。

狂ってるかとか、今何かにがんばってるかとか、偉大かとかどうとかよりも何よりも大事なのは、そのひとが幸せかどうかで、その大部分を身の回りの人間にまつわる環境に左右されてるとおもう。
人の悩みは人間健康お金未来で4別されると言うけれど、ビジネスが「人」「もの」「金」の順番で重要なように、人の割合は大きい。
周りの人によって、健康もお金も未来も大分かわるような気すらしてしまう。

ああなんだか長文になってきたしかなり徒然なるままになってきてしまった。まぁ良い。きっとわたしのnoteはこういう感じも別に良いであろう。

さて今日は、どうしようかな。
PCのLightroomの容量のせいで進まない作業が多すぎるのでこいつと闘おうとおもう。一昨日まで完全敗北中だったがちょっと勝機が見えてきた。
勝利したら動画編集が再開できるし、ちょっとした新しいことを学んだのでnoteネタにも出来るかもしれない。
少し走ろう。天気も良い。

今日も少し、生きてみようではないか。

なんでこんなん書こうと思ったのかなぁと考えた。「頑張れない自分を責めないでいい」と言いたかった。

なんでそれを言いたかったのか。Why so?っていう、なやんだ時のお決まり問答だ。ちょっとここがモヤっとしていた。
記事の言いたい事がよく分からないときにあるあるのやつだ。

きっと、理由はこうだ。
「頑張れない自分を責められて、頑張りたいやつ、おる?いないでしょう。」

「頑張れ」「苦労は買ってでもしろ」「勉強しないとやばい」「若い時は・・」「やりきったやつは・・・」「勤勉に・・」「毎日丁寧に・・」
全部超正しい。TwitterにもYouTubeにも正しい事は超、転がってる。正しい事はほんとうに沢山ある。全部、真実で、正しいことが多い。
会社に勤勉ではなく頑張った経験がない人が雇えるかといえば、少なくとも私は雇えない。
世の中、辛い事は正しい事が多い。
簡単に儲かる方法や簡単にどうのこうのは真実じゃない事はたしかに多い。安易な道を選ぶ人に悲しい現実が降りかかるのも超多い。(簡単に痩せる、簡単に健康になる、簡単に恋人が出来る、簡単に仕事ができるようになるは絶対注意だ。)

でも「〜〜だから頑張るべきだ」って言われてがんばろうと思ったことなんて私には一つもない。
正しい事は、正しいロジックは、何一つ役に立って来てないと断言してもいい。

父親に受験を強制させられたこともない。
勉強も受験も留学も仕事もすべて「やらないと人生失敗する」とか「やれと言われたから」とか「将来のために・・」とかで頑張ったわけじゃない。
ちなみに、私の小学5年生のときの日能研の受験クラスは最下位クラスで、席順は1番後ろだった。もちろん席順はテストの点数順だ。後ろが低い。
学校のテストは出来たのに、中学受験の勉強は全く歯が立たなかったし、多分いまでも出来ない気がする。
日能研は「四角い頭を丸くする」っていうキャッチコピーが当時有名だったが、私の頭は四角く、丸くなることは最後まで無かった。

でも、受験から逃げて入った公立中学校には、私の頭が悪くても新しい事を知る事は楽しく、素晴らしい事だと見せて教えてくれた理科の先生がいた。(当時既婚で40超えてた白髪の先生だった。好きすぎて恋してた。)その夏には理想とする素敵な人と出会えたから、英国に行きたくなった。ヘレン・ケラーを読んでハーバード大学に行きたくなったり、かっこいいし面白い人が沢山いそうだから東大を目指したり、クソほど頭が悪い自分を奮い立たせ無理を可能にさせたのはすべて、前向きでポジティブな理由しかなかった。

父は数学者で数学の先生だった。私は父親が世界一偉大な私の教育者だと思っているが、唯一失敗したのは「数学」だった。ガウスがどうのこうの語っても、小さいときに私に植え付けてしまった算数への苦手意識とプレッシャーと、中学1年の通信簿で唯一数学に5段階中2がついたときの激昂が私のすべてのモチベーションを完全にクラッシュしてしまった。

so what?
だから、私は普段の発信でこの2種を、少なくともそのどちらかを伝えていきたいというか、発信していたいのだ。

①弱くていい、頑張れなくていい。逃げても大丈夫だ。
②こんな最高な事がことが世の中あったりするよ。

私の書くものや伝えるものは、この2種類に属せばいいような気がしている。昔はもっとこうすべきや、が多かったような気がしていて、正直ずっと自分が好きじゃなかった。
自分に厳しくひとに厳しいってのは私には多分向いてないのだ。
もはや自傷行為にも近い。

何故?

私は身の回りの人に少しでも「何かはじめたいな」「何かやりたいかも」とか「生きてて、楽しいな」「幸せだな」と感じて欲しい。
私も、そう想いたい。息吸ってていいなと思っていたいのだ。
となると、自分に向いてる役に立ち方を見極めて立ち回るべきだとおもう。
前述したように、厳しさは、私には向いていない。

そして勘違いしてほしくないのだが、厳しいひとは絶対に必要だ。
わたしは、厳しいひとや強いひとが好きだ。
自分が向いてないだけで、強きものたちがほんとうに好きだ。
彼らの近くに、出来れば居場所を与えて欲しいと強く願っている。

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