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またもや、仕事が決まった後、どうにも具合が悪い。でも原因が分かったので記しておく。

つらいのぉ~~~。
頭がくらくらするし、
身体に力が入らないし、
体の芯が感じられない。

吐き気がするし、
何よりも、立っていられないのだ。
とほほほほ。

ちょいちょい起きて、
パソコンに向かい、
今月末から就業する仕事への手続きは進めているものの。

悲しいかな、
また、
この症状が出てきてしまった。

でも、
今回はこんな風に、
備忘録を残そうと
パソコンへ向かっている時間は
得られている。

だんだんと、
自分は変わっている。
その最中なのだ。
その途中なのだ。

これ投稿したら、ちょっと寝よう、
頭の一部が痛い、
眼の内側が痛い、、、泣


私と同じ状態のお人に。
毒親育ちさんの、気付きになればと、記しておく。



ネガティブにも、かならずメリットがあります!【現実の仕組み】
(カウンセラー高橋リエさん)




~仕事に就けない状況にも「メリット」が、私にはあったのだ!!~
~びっくり!!!!!~



<気づき1>
潜在意識に埋まっていた。
仕事とは、私にとって「戦え、争え」だった。

学生を終え、社会人になり、

20代は、
仕事を選ぶ基準は<待遇>のみ、

そして
いかに <楽> をするか、
いかに <人より働かない> で、同等のお金を貰うか、
職場から、いかに <タダで物を貰う> か、

それらが出来る者が <偉い> と思っていた。
本当に、本気で。

今思うと、恥ずかしい。
全く情けない人間の塊(かたまり)だが、頭の回路は100%そうだった。

今思えば <損するな、人より得をしろ> が親の教えだったと思う。
常にその表現があった、非言語で。

けれど
「あなたのお父さんほど、真面目で、優しくて、いい人はいない」と、母の母親(私から見ると“祖母”)から何度も繰り返し、聞かされていたし、
母は、自分の学生時代と結婚前の会社員時代が、いかに優秀であったかを、夕食の会話で、自(みずか)ら、とうとうと語っていた。

それらは全て彼らが表面を取り繕うと、必死になって、スピーカーしていただけなのだが。
当時は全く気付かなかった。

子どもの頃の私は、
優しい人とは、正しい人とは、優秀な人とは、両親のような人達であると固く信じていた。

いい人で、優しい人物である筈の父は、車のハンドルを握ると、母の両親(私から見ると“祖父と祖母”)に財産がない事、愚かだからお金がない事を、延々と語るのだ。
助手席に母が座っていてもである。

私は30代後半で心身を壊し、5年間、世間へ出られず、廃人同様となった。

その後、社会復帰をした私は、仕事に就くと「戦闘モード」だった。
ウォークマンを買い、心拍数の上がる音楽を入れ、通勤時間に聞いて、挑む体制を作っていた。
いざという時は攻撃にも対応出来る状態、それらを作ってから、自席に着いていた。

療養中に痛いほど思っていた事があったからだ。
「二度と親のお金に頼ってはいけない。」
「親にお金を出してもらって治療をしたなら、精神の死を覚悟しないと。」
「家族という言葉から甘い妄想を見ていたが、自分の家族は違うのだ。」
「頼ったら自分が終わってしまう。」
「精神が私のものではなくなり、体だけが生きている、あの地獄を、二度と味わいたくない。」

そういう日々を過ごしていたからだ。



<気づき2>
潜在意識に埋まっていた。
10年前「仕事のスキルを上げねば!」でスタートしたままだった。

OLをし、その後、広告関係やイラストレーターを手掛けたが、心身を壊した時に親に助けてもらうしかなかった。
親の条件の一つが、全てを終わらせる事(絵で仕事をしようなどという考えを終わらせること)だった。

だから寛解(かんかい)し、仕事を始めようと、探してみても、私に出来る仕事といえば、コピー取りと、書類を数える仕事くらいしかなかった。
(私に特性があり、自分に合った仕事をしないとパニックになる。話しながら、会話しながら、他の作業が出来ない。マルチタスクが全く出来ないのである。スーパーの品出しやレジ、コンビニ、軽作業、通販の受付のオペレーターや接客業、営業職も、私にはかなり難しい仕事で、出来ないのである。)

もう、必死だった。
40代前半で、事務希望と言っても、何も出来る事が無いのだ。
だから、待遇ではなく、どんな仕事をさせてもらえるのか? ほんの少しでも「経験させて」もらえる領分が入っているのだろうか? そういう基準で選んで仕事をした。

前任者と引継ぎがほんのわずか、分からなくても自分で何とかするしかない、そんな環境ばかりだったけれども、経験値を踏ませてもらえる所を選んで就業した。

ほとんど<派遣>
そういった心得と、意志と、経緯があって、スキルアップ出来た。

今はシステムエンジニア(SE)といった肩書まで来た。

スタート時は
「クレジットカードの申し込み用紙をスキャナーで読み込む仕事と、その用紙を数える仕事
その仕事に、採用される為に必死だった事を覚えている。
採用された後も、継続して雇ってもらえる様に、仲間内で仕事の取り合いだった事も覚えている。

スキルが浅い頃。
スキャンする仕事、数える仕事、
お客様の手書き申し込み用紙を見てパソコンへ入力していく仕事、そういった仕事をした。

仲間内で取り合いだった。
ギスギスした関係性。
奪い合いの空気に満ちていた。


<気づき3>
潜在意識に埋まっていた。
攻撃したくないから「病気になって無職になって」家に居たかったのだ。

高橋リエさんの動画を見て。
私が病気になるメリットが分かった。

「戦う」
「挑む」
「もぎ取る」

仕事をする時は、そうしていなければならなかった。

もう、嫌だったのだ。
疲れ果てていた。

だから、病気になり、
仕事をしないで済む状態にしたかったのだろう。



<気づき4>
潜在意識へ話しかけよう。
仕事は「戦う、争う」ものではない。

私が次に就く仕事は、決して「戦う、争う」必要などない。
全く逆の考え方を求めている所だ。

協力して大丈夫なのだ。
中庸でいていいのである。

0か100か、白か黒か、善か悪か、服従か支配か、攻撃するか報復されるか、完全報告か完全無視か、そんな二極化を強(し)いられる世界に、もう居なくていいのだ。

カウンセラー高橋リエさんが、YouTubeで繰り返し言っておられた様に「他人の方が親より優しい」から大丈夫なのだ。

親の意に反する様な事をしたら、生きてゆけなかった子ども時代とは、もう違うのだ。

もしも、他人の意に介さないことをしてしまったとしても、コントロールしようなどとはして来ない。
適切に距離を取ってくれる。
正しい無関心で居てくれる。

だから大丈夫。

親より他人の方が、家族より職場の方が、まともである。

安心できる。
安心していい。

職場でトラブルを感じる時があったなら、
「職場の人へ、親の姿を投影しないで(重ねて見ないで)良いのだよ。目の前の人物を、今、嫌な人と感じているのは、私の身体からまだ消えない毒のせいであって、現実の世界では全く違う状況らしいよ? 私だけが現実を見る事が出来ない状態で居るらしいよ?」と。

それらを、潜在意識(ウニヒピリ)に、繰り返し伝えようと思う。

こうして、文字を打っていると、潜在意識(ウニヒピリ)も理解しつつある様で、身体の調子が良い。
体の芯がしっかりしてくる感覚だ。

まだ私が触った事がないアプリケーションに関して「勉強しつつ、開発に取り組んでもらえればいい」と。
そんな嬉しい環境を提供してくれる職場なのだ。
決して「戦う」「争う」必要などない。

もう、安心して良いのだ。
親から離れる事も出来た。
もう二度と、親へお願いしてお金を出して貰う事もない。
関わりを終えたのだから、大丈夫。
コントロールされる事も、もう無いのだ。

だから、
もう、
大丈夫なのだ。



<気づき5>
潜在意識へ話しかけよう。
仕事で「競争しなくても」「評価されなくても」大丈夫。

競争しなくても、
評価されなくても、
きちんとした大人になれるし、立派な社会人にもなれる。

けれど、
他人が強制的に何かをやらせないと、人間はサボって、何もしないと信じている大人が、子どもの躾をすると悲惨だ。

私の場合、3歳の時にはもう、お稽古事が決まっていた。

拒否出来なかった。

テレビを観て、私がこれをやりたいと指をさしたと言うのだ。
幼い子どものそんな行動に、責任などない。
けれど「あなたが始めたいと言ったのでしょう?」と言われると、私は自分の口をつぐむしかなかった。

次々とする事が決まるが、一度たりとも、私の意見は聞いてもらえなかった。
説明もされずに連れてゆかれ、やりたくもないことをしなければならなかった。

途中でやめる人間はまともな人物ではない、ダメな人間だと、母は常々言っていた。
母は教育方針を探して、どかかから取って来て、付けたのだろう。「途中でやめる人間を批判する」事が教育の方針だった。
だから一度始めたら、やめたいなどと決して言えなかった。

父に助けを求めても無関心。
見えている様子に無反応、無視し続け、俺に相談してくるなよ!と、無言の圧力が凄かった。
母に言われるがまま、習い事の送迎用運転手に、従事していた。


やめたかった。
自由でいたかった。

今週は行きたくない、休みたい。

「バカ!」
「バカだねー!」
「なんで出来ないの!?」
「何回言ったら分かるの!?」

毎月、お月謝袋を持って行って、払って。
私は、罵られる。
私は、適当に扱われる。

そんな様子を親に伝えても、耳を傾ける事などしてくれない。
「やめたいの? だったら他の習い事も、全部やめなさいね?」
そう、一括されるだけだった。

私には、脅し文句に聞こえた。

恐ろしかった。
だって、途中でやめたら、まともな人間ではなくなると、教えられていたのだから。

私は、年がら年中、具合が悪くなる子どもになっていた。


よく頑張って来たと思う。
よく生きて来たと思う。
おつかれさま。
少し休もう。

4月下旬から始まる仕事は、親とは違う。
勝手に決めないし、
「勝て」「争え」「損をするな」
そんな強迫観念で迫って来ない。

新しい技術を触らせてくれるし、
人と会う練習もさせてくれるのだ。
安心していいのだ。
怖いところではないのだ。


競争に負ける事への恐れ。
良い評価を得られないことへの恐れ。
それは、親自身が持っていた<不安><恐怖>だった。

今、ひとりの大人として、私が思う事は、
「自分の感情は、自分で世話をすること」が大前提だ。

子どもが悪いのではない。
子どもの精神がおかしいのではない。
子どもが精神疾患になる理由は親にある。

そういう気づきを得て、
親自身が<不安><恐怖>に負けているのなら、
カウンセリングなり、コーチングなり、親自身が受けて欲しいと思う。

そういう世の中になって欲しいと願う。




最後まで読んでくれて、どうもありがとう。
またね。
(^.^)/~~~

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