ターニング・ポイント

自分が今なぜこうあるかの来歴を振り返ったときに、絶対に外せないイベントが、高校3年生の夏に参加したAIG高校生外交官プログラム

AIG保険会社が、毎年募集しているイベントで、夏休みの3週間ほどアメリカで過ごす費用を全面的にスポンサーしてくれる。

わたしは、その全国第2期に参加した。松本サリン事件で日本が沸き立っていたあの暑い夏。当時はまだあまり知られていないプログラムだったから、学校内選抜は無かったに等しく、岡山の県内選抜も余裕で通過。

当時は前半がペンタゴンやスラムを訪問したり、ニューヨーク市長にスピーチしたりのスタディツアー。エンパイアステートビルで会食したり、ブロードウェイでキャッツを観劇したり、五番街を歩いたり。お揃いの赤いTシャツ着用で。日本においてもほぼ全員地方出自の垢抜けないガキ共は、ニューヨーカーから見ると怖ろしくダサかったんじゃないかと思うが、まあ、当人たち視点ではワクワクドキドキしっぱなしで、かなり豪華なプログラムだった。

後半は、プリンストン大学の寮にステイしてアメリカの高校生のルームメートと過ごす交流パートだった。しかし、高校生男女をまとめて一箇所にとまらせるとなると、まあ、どうしても日本人同士・アメリカ人同士で必要以上の盛り上がりになるわけで、同じ年とは思えない早熟なアメリカンズの即席カップルに追い出された子が「こっちの部屋にとめて」と避難してきたり、東西南北の方言が混じった変な標準語が形成されたり、ラジオ一つでみんなで歌ったり踊ったり(Ace of base が流行った夏だった)夜な夜な誰かの部屋に集まって語るもんだから肝心の日中プログラムではほぼ寝不足。めちゃくちゃ楽しかったけれども、学びに重心をおいて考えるなら、現在のホームステイへの変更は、残念だけど?理にかなっているかも。

とにかく、絵にかいたような田舎の高校生だったわたしは、その時、生まれてはじめて海外に行った。数十名の全国各県から集まった友達とともに。このときに仲良くなった友達との絆は深くて、20年を経て今も繋がっている人も多い。親友と言える人も何人か。すごい確率である。

3週間が3年に思えるほど密度が濃くて刺激的だったが、その刺激がやや強すぎて、帰国して暫くは世界がモノクロームになってしまったように感じられた。鬱とまではいかないけれど、だいぶメランコリックな世界に弾き飛ばされた感じだった。重度のカルチャーショックというやつだったのかも。

携帯もメールもないアナログな時代だったから、仲良くなった友達(ほとんど日本人)と長い手紙のやり取りを続けた。たまに長電話して親に怒られた。年明けにやっと普通の感覚が戻ってきて受験勉強する気になったけど、まあもともとの実力不足のせいもあって、東大、落ちた。

そこで浪人はしたけれど、今思えば、そんな些細なこととは桁違いの雷のようなエネルギーを、わたしはあの夏に受け取った。

ごく控えめに言っても、このプログラムに行っていなければ、滑り止めの私立大学に素直に進学していただろうし、そしたら就職も結婚も全部ちがっていた。つまり、今の私はなかった。

最近はなかなか皆で集まりにくくなったけど、たまにリユニオンすると、全員が、あの体験はかけがえがなかった、不可逆的ななにかだったって口を揃える。

そんなプログラムの2020年の募集が今日から始まった。1月末まで受付らしいので、これから高校2・3年生になるみなさんにはぜひ応募をお勧めします(34回目ということで、昔より競争率は高くなっているかも?)。

このブログを読んでくださっている方はその親御さんという可能性のほうが高いんだけれど、15歳の感受性というのは、もうその瞬間だけの特別なものなので、個人的には、その特別な時期にこの特別な体験をできることに比べたら、受験勉強なんぞ1年くらい遅れてもどうってことないです。

ぜひ、可愛い子に旅をさせてください。

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