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不協和が消えるまで - ヒルトン(と、フェスティンガー)

キャリコン試験において、プロセス重視の意思決定理論ということで、ジェラッド、ティードマンあたりと同カテゴリで出題されることがあるのが「認知的不協和理論」を意思決定理論に応用した、ヒルトンです。

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同名の長距離ランナーが有名なため、顔写真同定に苦労した!

彼の理論のもととなる、心理学者・フェスティンガーの「認知的不協和理論」のほうが有名なのでまずそちらを簡単に紹介すると、

人は、複数(通常は二つ)の要素の間に不協和が存在すると不愉快なに感じる。そこでどうするかというと、一方の要素を変化させることで、不協和を除去するか、我慢できる状態まで減らそうとする

というものです。ヒルトンはそれを応用して、

人のキャリア上の意思決定というのは、”(A)自分が内的にもつ自己概念・希望・期待・職業観等の前提”と、”(B)外からの情報”との間に生じた不協和(不一致)の解消の繰り返しである

と主張しました。どうやって不協和を解消するかというと、

①まず自分の「前提」が修正可能なら態度や行動の変更を検討する。

②それが不可能なら不協和を軽減する追加情報を探する。

で、その繰り返しだというのです。具体的な例で説明すると、

お客さんとの関係構築に自信がある、営業部のAさん。長期的なことを考えて大きな仕込みをしてきたつもりなのに、上司からは目先の数字のことしか問われず、人事考課で思いのほか低い評価をされてしまった。自分が大事に思っていることが評価されず、仕事が出来ない扱いされる。(ついでにいうと、ゴマスリの同僚Bさんばかり評価される!)…これは、不愉快な「矛盾」です。

そこでAさんが最初に検討する選択肢は、「①自分の前提の変更」

”目先の数字第一”に自分の価値観を切り替え、自分の行動や時間の使い方を変えられるか。それさえできれば、上司からは評価されて不愉快は消える。
あるいは、上司に対して「自分の取り組みは今期の売上にはならないけれど、来期大きな数字になる」という明確な説得ができるか。「なるほど、君は凄いことしているんだな」と分かってもらえれば、不愉快は消える。
あるいは、「自分の強みが評価されるサポート部門に異動しよう」と思うかもしれない。つまり転職だが、それがうまくいけばまた不愉快は消える。

いずれにしても、自分の意思決定による行動で自分の前提の変更ができればよいのです。

仕事で躓いたら、まずは自分を変えるか、周囲を変えるか、場を考えるか。と、まだ社会人になりたての私に教えてくれた上司がいました。私自身は、そのコンセプトによっていい感じにキャリアを紡いでこられたので、凄く感謝しています。

ゴマスリのBさん?…残念ながら、ヒトを思うように変えることはできません。そこにムカついているのは、消耗するだけで完全に無駄です。

でも、それらがいずれもできないという場合は?

そんな時、人は不愉快さを軽減するために「②追加情報を探しはじめる」のです。

「仕事がすべてではない!週末趣味の釣りをやってる時こそがホントの自分なんだ。」
「上司がどんなに怒っても、どうせ自分を首にはできない。首にさえならなければいいんだ、評価されなくたって」

まあ、だいたいの場合、言い訳探しですが、もしかしたら前向きな情報が見つかるかもしれませんね。

「時間をかけて関係を作ってきたお客さまに”担当を外されるかも”と話したら、それは困るからと過去最大級の発注が決まった!これをとったら自分のポジションは安泰。フッ、バカな上司に付き合うのももう終わりだ!」

そう、個人が耐えられるレベルまで不愉快(不協和)が低下あるいは解消するまで、「①前提の再検討」や「②追加情報の探索」が繰り返されることになるのです。

* * *

ここから先は、ヒルトンが言っていることではなく、外資系企業でしか働いたことのない私の個人的な考えですが、

労働市場の流動性が低くて「忍耐」や「我慢」や「継続」が美徳とされている日本社会においては、②の、行動しないことを正当化するための言い訳が多くなりがちで、未来のリスクを無視して思考停止に陥る人が多いように思います。

最近「バランスをとるための追加情報」を愚痴ってばかりだな~って思う人は、自分は本当にそれで納得しているのか、何か行動できないのかって、①の、前提に立ち戻って動いてみるといいと思います。

以前紹介したジェラッドの積極的不確実性も手掛かりどうぞ。

人生において「時間」ほど容赦のないものはありません。

考えるのを恐れて無視している未来にこそ最大のリスクが潜んでいて、追い詰められてから「あの時動いていれば」と嘆く人って結構多いように思います。でも、自分の人生に責任を取れるのは自分だけですからね。

「認知的不協和理論」の例としては、木の上のぶどうに手が届かず「どうせ、あのブドウはすっぱい!」と吐き捨てて去っていくキツネのイソップ童話がよく引き合いに出されますが、言ってしまえば、そのキツネでさえ、諦めて立ち去るという意思決定をして、行動しているんですよね。

うじうじと葡萄を眺め続けて餓死する前に。

自分の中の不協和音に耳を澄ませて、

どなたさまもハッピーなライフキャリアを。

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