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くっ、「女子」って出かかった

その言葉から、注意深く距離をとりながら生きている。自分が主催するものや参加するものは「女子〇〇」と呼ばないようにしている。

ジェーン・スー女史の「貴様いつまで女子でいるつもりだ問題」という本のタイトルが、端的にその思いを代弁してくれているのだが(中身はわたしよりだいぶ毒が多いけど面白い本だった)、コトバの実態としては、そんなのわざわざ気にするほうが何かこじらせてるんじゃないかという勢いで世に浸透していて、「女子会」とか「○○女子」とかみんな普通に使うよね。

しかし、先日に開催された友人のベビーシャワーは、そんなわたしでさえ、つい「キラキラ女子会!」と叫びたくなる素敵具合だった。その主役とは15歳の時に出会って今や互いにアラフォーなのだが、ベビーシャワーというイベントの特性も手伝って、幸せで楽しくて眩しくて、出会った当初のベリーショートでホットパンツな自分たちより、よっぽど「女子」っぽい時間だった。念願のおむつケーキの本物も見られたし(写真右端)。

それで不覚をとられたような気分になって、思いを馳せたのが、その昔はやった「オバタリアン」というコトバ。これまた年代チェッカーとして使えそうだけど「羞恥心がなく、図々しい行動をしてはばからない中年女性」の代名詞。今はもう、死語だよね。

「女子」というコトバの前には「オバタリアン」があったわけ。厚顔無恥なおばさんを「ヤダ〜」と横目で見ていた世代が年を経て、いや、自分はそうはならないよというアンチテーゼで「女子」を自称しているのか。だったら、まあ、それもいいんじゃないかなあ?ってうっかり使ったら、それが「中年女性特有の図々しさ」とみられるわけだ......キケーン!

じゃあ、こう言うのはいいかな?

のびやかに幸せに華やぐことに関して、
年は関係ない

そんな時間だった。楽しかった。

でも、さらに昔の記憶をたどってみると、小〜中学校で「男子」「女子」って言うのが当然だった時から、わたしはなぜかその言葉があまり好きじゃなかったんだよな。なんでだろう。

ちなみに文脈は違うけれど、同じく「人は使っても自分は使わない」と決めているコトバに「おつかれさまです」がある。こちらは特に eMail 文化に浸透しているので、回避しながら会社勤めするにはある種の言語力、「別の自然な枕詞を持ってくるボキャブラリー」が求められる。公言すると、それ、こだわっているほうがめんどくさくない?といわれるやつ。ほんとね、でもまあ、誰にも迷惑をかけずに、ひっそりゲーム感覚で言葉の筋トレしている感じ。

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