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ライカ犬とトランスフォーメーション

my life as a dog(邦題そのまま、マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ)」は1986年公開、少年イングマル(12歳)の成長を主軸に据えたヨーロッパ映画。派手さはないけど、当時なにかの賞をとってそれなりに流行っていた気がする。以下2つの点で、強く私の印象に残っている。

【1】なんといってもかわいそうなライカ犬

映画は、少年の独白から始まる。「スプートニクに乗せられたライカ犬よりは、僕はましだ」みたいな。

母の病気、いじわるな兄、愛犬との離別、大人の嘘なんかから心を守るため、イングマルはいつも自分にそう言い聞かせている。それが映画のタイトルにもなっているんだけど、イキナリ暗い。

20歳前後の頃に、私はオチのよくわからないヨーロッパ映画ばかり好んで見ていた時期があって、好きな映画といえば「存在の耐えられない軽さ」と「ベティ・ブルー」と「気違いピエロ」だった。それが30歳くらいから、映画の醍醐味は「大きくて怖い生き物の出るパニック系」だと思うようになって、つまりエイリアンとかジュラシック・パークとか新版キングコングとか、なんならB級のシャークネードもイイネ!と思うようになって、Forty-somethingの今は、子供と一緒にリメンバー・ミーを見て泣くような感じになってきた。進化なのか、退化なのか。

まあとにかく、「マイ・ライフ・ア・ズア・ドッグ」の舞台は1950年代、米ソの宇宙開発競争のさなかである。イングマルが思いを馳せるライカ犬は、国の威信を背負って片道切符で宇宙に送られ「地球軌道をまわったはじめての動物」となり、数年後のユーリ・ガガーリンによる人類初の宇宙飛行(1961年)の先鞭をつけた。

栄誉だろうが功績だろうが、確かにそんなお役目はまっぴらごめんだよねと、当時の私は主人公と共に心を痛めた。世界中の犬好きがこの映画を見てライカ犬のことを悼んだのではないか。

実験そのものは、2020年の今となっては、野蛮だ動物虐待だという議論が沸き立ちそうなものである。後になってから、当時公表されていた以上のライカの悲惨な最期が明らかにされたが、それは偉大な前進のためのやむを得ぬ犠牲というのが当時のドミナント・ストーリーだったと思う。

社会の意識(人のものごとのとらえかた)も、科学技術のそれと同じく、先人による巨大な積み上げに登りながら進化していく。輝かしい発見、発明、革新の裏には、それを上回る夥しい試行錯誤、事故、失敗、黒歴史の数々がある。私達が、昔の人よりも洗練された考え方ができるように思えるとしたら、それは彼らの死屍累々が、より高い視点を私達に許しているってことなのだ。

その時代にあっても子供(イングマル)の視線はことの残酷さをありのままに捉えていた。進化は時にリターン・トゥ・イノセンスなのかもしれない。私の映画の好みが退行しているように思えるのも、そういうことにしておこう。視力が落ちて暗い映像に耐えられなくなったからとか、脳細胞が減って小難しいことを考えられなくなったからとかじゃないよ。たぶん。

で、もう一つ印象に残ったのは、

【2】主人公のガールフレンド、サガの存在感

映画ではこの子がなかなか魅力的に描かれている。彼女は最初ガキ大将として登場するのでイングマルはサガが女の子とわかってビックリする。

二人は仲良くなる。サガは胸が大きくなっていく自分の体の変化を嫌がる。このままでは今までのように男の子たちとカッカーやボクシングができなくなると悩む彼女に、イングマルはサラシを巻くことを提案する。大人目線では微笑ましいエピソードなのだけれど、当時の私は、実は「自分の身体変化がほんとに嫌だ」という、その部分に痛く共感した。

生理が来るのも体型が変わるのもほんとに嫌だった。十分大人になってからだって、妊娠して自分のかたちが変わるのは不愉快でしかなかった。信じてもらえないかもしれないけど、多分、普通の人がシワが増えるとか白髪ができるとかが嫌だというのと似たような温度感で嫌だった。

昔っから運動が嫌いで、体についてはどうも自分ごとに思えないで雑にあつかっちゃうというか、意志疎通がうまく測れないでちぐはぐするというか、音痴、苦手、ないがしろだったのた。

最近、体を壊してはじめて私はそれを深く反省して、この映画のことを思い出した。映画の主題は中年の健康クライシスではなく、あくまで子供の成長を扱った小さな名作なんだが。

長年の暴飲暴食と、確信犯的な運動不足と無関心にもかかわらず、この体はこれまでずっと私を裏切らずによく働いてきてくれた。もっとはやくに受け入れ、好きになり、感謝するべきだったのた。いまさらだけど、身体に仲直りを申し出ているところである。

我が子ヨーヨー(5歳)とあーちゃん(2歳)はふたりともまだ小さいけれど、これからの成長の中で揺れ動き変化する心と体がばらばらになってしまわないようにやさしく見守っていきたい。ひと夏を超えると屈託なくワンピースを着て現れたサガのように、自然にトランスフォーメーションをなしとげ、自分を愛していってほしい。

今見直すとまた全然違うことを感じるのかもしれない。でも、同じ時間を使うなら他にも見たい映画や読みたい本が山積みなので、このように記憶を掘り起こして湧いてきた思いを文章に棚卸しして紹介しているというわけ。

人生のいろんな場面でこう思い出して楽しめるのはいい映画だよね!

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