セクハラ告発に対する謝り方

DVや虐待被害にあった10代女性の施設を視察した大臣が、10代少女の後ろを通る時に腰に手を当てたというセクハラのかどで主宰者を怒らせているというニュースを読み、3つの意味でこの人やっちゃったなと思った。

① ”『ちょっと退いて』と言いながら腰を触った” という動作。それくらいでセクハラって言われるの?と思う人も少なくないだろうが、どうやら主宰側はこの単発の行為以上に訪問団体の敬意のない態度に怒っている。セクハラの告発というものは、単発の行為そのものに対してより、そこに至るまでの言葉以外の部分も含めて、受け手が不当に尊厳を傷つけられたと感じた時に起きるものである。

② ”全く意識に残っておりません” という本人の弁。覚えていないということは、それが問題とは思いもしなかったということだ。ちょっと考えてみてほしいんだけど、初対面の相手が自分と対等な人だという前提があれば、そういう動作はゼッタイしないよね。ましてここでは相手が暴力被害から逃げてきた少女だという想像力があれば、不要な接触を控えようという気働きができたでしょうに。実はその意識の欠如こそがお詫びポイントなのだ。

③ やらかしたのが元・文科相の議員だということ。昔々、夢を持ってそこに入省した友人がセクハラが理由で転職した。信頼に足る彼女の悔し涙を見て以来、私は、個人的に「文科省はそういう(少なくとも一部そういう人がまかり通る)場所なんだろう」という偏見をもっている。きっと渦中の議員は、彼に甘い環境で、何がダメかを教えられる機会もなく、教わる必要もなく、幸か不幸か自分は他人より偉いと信じて生きてこられた人なんだろう。

最近、同年代の別の友達(男)が「男って、自分の職務上の力を性的魅力と混同しちゃう傾向が高いんだよ。」と言っていたが、それは本当だと思う。

ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(包括性)の世界、それは肩書としての何者かである前に、性別の前に、ひとりひとりが対等な個人であるという前提を相互に認識する世界である。

立派な名刺をもつおじさんにとっては辛いことかもしれないけど「記憶にありませんが事実ならば大変申し訳ない事であり、心より深くおわび申し上げます」という木で鼻をくくったような声明はいかにも愚かに響く世に向かいつつあるということに、気が付いたほうがいい。

告発はなんのためかって「偉そうな態度で、私たちの尊厳を踏みにじったことに気づいてください」ということなんだから、そこんとこ、本人が誠意をもって謝っちゃえば、むしろかっこいいと思うんだけどな。

しかしこのタイミングで15人での視察って、何の要・急だったのかな?

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