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骨が語りかけてくる

私の左の脇腹には、鎖骨のかけらが埋まっている。

年末に受けた(乳がんの摘出手術後の再建の)遊離非弁法とは腹の肉を動脈・静脈ごと切り出して胸に移す外科手術だが、その際つなぐ先の血管は鎖骨の下なので、3本目くらいの端を砕いて、引っ張り出して、吻合するのだ。顕微鏡を使って。

で、その際に切り出した鎖骨のかけら。それは、腹の横一文字の傷を縫うときに端っこに埋め込むというのが、このオペの定石なんだって。

私がそれを知ったのは術後だった。(合意書に書いてたのかもしれないが、術前は憂鬱すぎて積極的に目を通す気にならなかった)

「乳頭再建の時、芯に使えますから。」と、先生は仰った。

それを聞いた時の私は、長時間の麻酔明けで死体に入ってるような気分だった。ベットの上で管だらけで身動きできずに確認できる自分の部分は手だけであったが、それさえひどく浮腫んで青白く、誰の?って感じだった。あとチクとでも痛い思いをするなんて考えられない状態だったが、それを見越したかのように、

「今は先のことは考えなくてもいいですよ、でも捨てるのはもったいないですからね。気になるなら、いつでも簡単に取り出せますし。」と、さらりとフォローされた。

と、いうわけで、私の腹の左端には、小さな骨が埋まっている。

風呂で体を洗うときにその硬さに触れるたびに、その存在を感じる。

骨はすごい。本体が死んでからも長い年月、後に残る。上野の科学博物館では、数千万年前の巨大な生物たちの骨が持ち主の在りし日を想像させてくれる。(天井から吊るされた古代亀のアーケロンの下は、私のお気に入りの妄想スポットだ。)

私の鎖骨のカケラは、元とは全然違う場所にポツンと埋められていて他の骨組織と繋がっているわけでもないのだが、そこでちゃんと骨膜を作り、生きている。

骨、すごいやつだ。

さて、乳頭については私はもういらんと本当に思っていた。乳房再建でさえ全容のハードさを想像しきらずにフワッと決めたのだ(その時の話はこちらに書いた)。

が、そういえば、去年の一次手術の退院後、3歳になったばかりのあーちゃんとお風呂に入っていた時、こんなことがあった。

「ママ、こっちのオッパイなんでないの?」と、彼女が突然聞いてきた。

エクスパンダーで一次再建していたから膨らみはあったがSFのアンドロイドのように乳首は不在で。彼女がオッパイというのはその事のようで。

「取っちゃったからね」と言うと、

「誰に取られたの?」と。

「お医者さんだよ、病気のところ手術でとってもらったのよ」と言うと、

「じゃあ、またつけてもらってね、プチ~っ!て。」

と、ニコニコ言われた。

(プチ〜でくっつくなら、いいんだけどね!)とその時は笑ったが、今回お医者様からは「日帰りで簡単にできますよ」と、まさにプチっとできます風な説明をされてしまった。

いや、今回のオペに比べればってことですよねっ!

で、自分的にはもうすっかり完走した気分で退院後に保険会社に連絡したところ、今度はその窓口の方から「乳頭再建も補償しますから、その際にはまたご連絡ください」と親切に言われてしまった。乳児を育て終えた私に取って、それは飾り以上の意味はないのだが。

プチっとできて無料かぁ・・・

そして、左脇に埋まって生きている小さな骨が

触れるたびに「どうするの?」と聞いてくる。

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