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アンコンシャス・バイアス

先日、義理の妹の結婚式があった。披露宴の来賓が皆、古い業界の方々で、そのスピーチのトンマナがカリフォルニアン・カンパニー育ちのわたしからしたらなかなか珍しく興味深かったのであるが、その中に、なんていうか、アンコンシャス・バイアスの塊みたいな祝辞をされた方がいて、内心仰天していて、許されるならその場で全部フィードバックしたいくらいだったけれどもさすがの私でもその勇気はなくて、後でそれを夫に言ったら「えっ、どこが?」っていう反応だった。説明したら「へえ~・・・」みたいな。

この国(の、何割か知らないけどたぶんそっちの方がまだ大きい世界)では、そういうセンサーを持ってる私のほうがエイリアンなのだ。およそ10年前に友達の結婚式でスピーチした時も、働く女性の参列者からは喝采されたが、年配の男性陣はドン引きしていた。

社会学者の友人が、ジェンダーに関する社会的慣習程変わりにくいものはないということを言っていたけれども、こういうことなんだな。すごく大きなものに対して進む強い意思がなければ、行動を起こしても何も得るものがないように思えてしまう。

だけど、私は社会に変わってほしい。何が出来るかを考え続け、小さいことでもいいから何か行動していきたい。

あーちゃん(2歳半)が遠い将来誰かと結婚する時に、許せないと思う祝辞があったとして、それを目を伏せて聞き流したくはないから。

とかって思っていたら、今朝、ヨーヨー(5歳半)がこんなことを言った;

「オレが大人になって野原花ちゃん(仮名、ヨーヨーが好きな保育園の友達)と結婚する時に、花ちゃんが名前は野原がイイって言ったら、オレは野原になるんだよ。野原ヨッセーさん・・・いい名前だねぇ!(シミジミ)」

結婚式に参列して、どうやら結婚したら苗字が同じになるらしいとか観察して、何日か寝かせた後のアウトプットがそれである。「ヨッセー」というのは、「大きくなったらそう呼んで」としばらく前から主張している彼自身のニックネーム?である。どこから着想したのか分からないが。

ヨッセーさん、大人になっても、その自由な感性を失わないでね・・・。

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