詩人と夜空

時に、科学者よりも詩人のほうが真実に先にたどり着く。

個人的なお気に入りのエピソードは、Dark night sky paradox (「無数の星に埋め尽くされて輝くはずの夜空の視界は、なぜ暗いのか?」という命題)に対する正解を、科学者に先立って、詩人のエドガー・アラン・ポーが「それらの星は、発された光がわたしたちに届くよりも、はるかに遠くにあるから」と示したというやつである。

子供の頃、日が落ちてから、家族で犬(テスという名前の雌の秋田犬だった)の散歩をしながら、しばしば夜空を見上げたという古い記憶がある。

星空は、子供の私にとって常に身近なところにあった。星座を覚えてからは、見上げるたびに位置を変える北斗七星とカシオペア座から北極星を同定するのが楽しかった。

しかし、今住んでいる都会からは星が見えない。ヨーヨーが「星座」のDVD図鑑を見て「星空が見たい」と言い出した時に、どんなに晴れた日も、お月様と金星でしか天体を感じられないということに気がついて愕然とした。

だから、この夏は岡山の田舎に帰省するついでに更に星空の綺麗そうな山間のロッジに泊まりに行くことにした。どうか、晴れますように。

ちなみに、我が人生の星空トップ3は、以下。

1.みくりが池温泉に泊まった夜に眺めた星空。黒部の地獄谷にある日本一標高が高いところ(2410m)にある天然温泉。なにしろ自分が立って見渡す地平線から上は全部が星空。まだ雪の深い時期で凍えるほど寒かったけれど「満天の星空」ってこれのことか、て分かった。

2.キリマンジャロのホロンボ・ハットで、夜中にトイレに起きた時に眺めた明るい夜空。燦燦とした月も明るいけれども、星も沢山見えた。対照的に漆黒の森は、動物たちの鳴き声とか風のざわめきとかでうるさかった。

3.西表島のナイトツアーで見た星空。その夜は流れ星が多くて、実に願い事を唱えるカウントがとれるくらい、しっかりと長~~~~い、キラキラの尾を引いて横に流れる流星を見た。何を願ったかは忘れた。

登山と僻地旅行が趣味なので、思い出すと両手に余るほどの素敵な星空の想いではあるのだけれど、自分の星空好きの一番下敷きにはやはり、夜となれば北斗七星を探すのが習いだった子供の頃の原体験があるように思う。

「ユリイカ:物質的宇宙ならびに精神的宇宙についての論考(1848年)」、のWikiからの該当文引用: Were the succession of stars endless, then the background of the sky would present us a uniform luminosity, like that displayed by the Galaxy – since there could be absolutely no point, in all that background, at which would not exist a star. The only mode, therefore, in which, under such a state of affairs, we could comprehend the voids which our telescopes find in innumerable directions, would be by supposing the distance of the invisible background so immense that no ray from it has yet been able to reach us at all.

「スピリチュアリティ」に関するわたしの立ち位置は、科学者でも宗教者でも哲学者でもなく、詩人に近い気がする。

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