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身体と脳と空間と時間から解放されたら、それはもう「人」といえるのか?

総務省のムーンショット計画というのが去年の12月に制定されているんだけれども、課題1:「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」というのね…、ここで描かれている「サイバネティック・アバター生活」というのが、何回読んでも解せない。

ちなみに、この計画には目標が他にも5つあって、目標2の「超早期に疾患の予測・予防をすることができる社会を実現」以下はまだ分かるんだけど、何だろう…この目標1の何をしたいのか分からない感は。

「望む人は誰でも身体的能力、認知能力及び知覚能力をトップレベルまで拡張できる技術を開発し、社会通念を踏まえた新しい生活様式を普及させる。」のトップレベルってなに?

オーデーシャスなビジョンやキャッチというのは、夢物語であっても、それを読んだ人たちが「こんなこといいな、できたらいいな」と共感するように明文化されてないといけないと思うんだが。これは、ちょっと気味が悪い。書いた人も意味がわからずに書いたのではないか。総務省だいじょうぶか。基礎統計を改竄しすぎて、何が本当かわからなくなったのか。

日本企業の研究開発投資が小さいうえにメンテナンスばかりに流れていてイノベーションに使われていないという問題はもう何年も前から指摘されている(故に、良い意味の社会変化を牽引する技術が生まれないのだ)ので、それに課題意識をもっての目標だと思うんだが、己の輪郭を見失ったかのような言語化、かえって、お金が正しく生かされるのかどうか、心配だ。

逆説的なんだけど、病気をして、身体の痛みとか制限とかに直面して、今の私は、身体性を手ばなしてまで生きていたいと全く思わない。以前は雑に扱ってたのにね。

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