山頂に立つと、屋久島中枢の奥の岳のすべてと、東シナ海と太平洋とが同時に眺められた。11月とは思えないような暖かな晴天。頬を撫でる穏やかな風は、古くから生きる森の香り。かすかに潮の匂いも孕んでいる。
西の海岸線は白く泡立ち、きらきらと光る沖へと続いていた。東の海をふりかえってみると、遠く種子島の打ち上げセンターまでが、白く浮かび上がって見えた。
北西の海岸線は、低気圧に押された分厚い綿雲に飲み込まれていた。いかにも前に先に進みたそうしていたが、低層を吹く強風に押し返され、ムスッとした顔をしていた。
山頂からは360度の展望だが、この様子では西部林道は雨だろう。何年か前の嵐の夜、今はもうない、北の果ての寂れた宿で不思議なものを見たことを案内人に話すと「ああ、あそこは神様の通りみちだから」とのことだった。人がそれを見るのは決まって篠つく雨の日だったという。今日あたりにもその廃墟には、あちらの世のものたちがうろうろしているのかもしれない。
小一時間ちかくも、その山頂でのんびりとした。眼下の花之江河や投石平には、縦走をする登山者たちの色とりどりの豆粒のような姿が行き交っていたけれど。
人気の山で最高の天気にもかかわらず、不思議なことに、頂上でゆっくりしている間、黒味岳には私たちの他には誰も登ってこなかった。
眺めている中で、気になる嶺を見つけた。
神様の通り道の方面だ。行けるのかと訊ねると、行けると案内人は答えた。
屋久島を三度訪れる人は「ヤク中」認定ですよ。あなたも今回3回目なので、立派なヤク中。また必ず戻ってこられますよ、と言われた。
生きているうちに、そこに必ず行こうと思った。
その気になれば宮之浦岳を目指せるだけの時間をかけて、ゆっくりと森歩きを堪能した。「ひとりで屋久島に行く。リピートだからメジャーなところはもういい。ガッツリ山を歩きたいけど体力に自信はない。人にはあんまり会いたくない。様子を見て、適当な山に案内して」という、おそらく非常に扱いずらい急な依頼に、完璧以上で応えてくれた素晴らしい案内人に、心から感謝する。
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