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靴底



小学生の頃の家の中、親だけがプレステを楽しむ光景。羨ましかった俺は親がいない隙に隠れて楽しむ。だけど見つかれば殴られた。心は凍死寸前。もしかすると現実は地獄よりも地獄なのかもしれない。

そんな環境から抜け出すために必死に脳味噌を使う。頭の中は家の洗濯機よりも回転する。昔は回らない寿司屋に憧れていたけど、一緒に行く人次第で回転寿司でも美味しく感じられることに気づいた。仕事の目的がお金になってしまうとその途端に人生が暗くなってしまう。過去から現在。どんな人生を歩むのかは自分次第。





目標を限定して他人にも同じ方向を向かせようとすれば宗教になってしまう。自分が正しいと証明するなんてあまりにも小さな自己満足だ。その思いをした結果、誰が幸せになるのか。俺はそこに在るだけの存在になる。善し悪しの判断は他人に任せる。努力を続けられるかどうかに他人は関係ない。日頃から準備をしておかないと、チャンスが巡ってきても活かすことができないのだから。





感動すれば鳥肌が立つ。今の俺は全国を飛び回るような生活。たとえホテル暮らしを羨ましがられたとしても、この人生は不良品だから売ることができない。俺は金が欲しくなれば簡単に時間を売ってしまう。けど媚びは誰にも売らない。まずは頭は柔らかくして、背筋は真っ直ぐに伸ばす。

飛ぶ鳥は跡を濁さないが、俺は行く先々で足跡を残す。努力したかどうかは、靴底がどれだけ減っているかを見れば一目瞭然だ。行動しない人は家に留まっている。人生は覚悟が必要な目標への挑戦。俺は後悔した気持ちに対して最も後悔してしまう。





数ヶ月や数年会わないだけで離れていく友達は俺にはいらない。1人で海外に行くなんて誰にでもできる。俺は仲間とどうすれば一緒に海外に行けるように考える。3日間日本を離れただけで友達からの不在着信の山。これは血の繋がりよりも濃い関係。

最近学んだ。人生が終わると自分の為にした行動は0になってしまうが、自分が他人の為にした行動は消えることがないんだって。





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