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滋賀県戦争遺跡巡りに参加してきた

コープしがのイベントで、滋賀県の戦争遺跡を巡るバスツアーに参加してきた。

コープでは毎週の食べ物の配達だけではなく、試食会や魚釣りなど、会員向けに定期的にイベントを開催してくれる。
数百円で参加できることが多く、毎回クオリティが高いため今回も参加してみることにした。


布引掩体群(東近江市)

最初に訪れたのは東近江市の布引運動陸上競技場から歩いて行ける布引掩体群という場所だ。
ここにはかつて全国初の民間飛行場があったらしい。

奥に見える集落のあたりに飛行場があった

飛行場は当時の八日市町で運営されていたが、町だけで運営することが難しく資金難になってしまった。
その際に陸軍に引き渡し、以降は昭和20年に敗戦するまで陸軍飛行場として利用されていた。

その場所からすぐ近くにあるのが掩体群という場所だ。

布引掩体群の1つ

掩体とは、飛行機を隠すために作られたものだ。当時は飛行場に着陸した飛行機を大人6~10人で人力で運び、この掩体に隠していったらしい。

見学した掩体は、天井のモルタルに石が混ざっていたり、土台となっている土が残されたままになっている状態だった。
モルタルを準備できないほど困窮しており、製作途中に敗戦したため土台がそのままになっていたり、当時の状況が想像できる場所であった。

ちなみに今回はツアーということで中に入れてもらったが、通常は入ってはいけない場所とのこと。

布引掩体群の看板

面白い小話として、この場所に掩体を作ることになった当時も、今も、土地は個人のものということであった。
戦争当時は、土地は国に取り上げられ、掩体を作られた。それだけでも酷い話なのに、戦後になって土地は個人に返されたが、掩体は国のものというということだった。さらに悪いことに、掩体の取り扱いは国も判断できないということで、「判断できないから取り壊してはいけない」という結論に至り、このような取り壊してはいけない巨大な洞穴が残ったままの土地が返ってきたということだった。

掩体の内部

ちょっと驚いたのが、今はそうした「取り壊して良いか判断できない」状態が解消されており、土地の所有者の判断で取り壊しても良い状態らしい。
所有者も今は戦争遺跡としての扱いに前向きなため取り壊すつもりはないらしいが、東近江市も文化財に指定すると資金が必要になってしまうため、「壊そうと思えば壊せるし、壊れたとしても修復する資金がない」という状態らしい。

実際のところいくらの維持費がかかるのかはわからないが、文化財として登録したところでわざわざお金を払って見学しに来る人がどれだけいるだろうか。
昔の記憶として残した方が良いかもしれないが、投資資金を回収することができなければ税の負担が重くなってしまう。難しい判断だなと思った。

滋賀県平和祈念館

見学後は東近江市にある滋賀県平和祈念館に訪れた。守山市に住んでいた、当時の戦争を経験した人の動画を見せてもらった。
戦争を振り返る動画は何度か見ているけれど、身近な町の人の声を聞くというのは記憶に残って良いなと思った。

当時米国の戦闘機から落とされたもの

当時に攻撃を受けた際は、写真の筒にガソリンを積めて、1回で100個程度の筒をまとめて落とされたらしい。
良く戦争を振り返る動画でパラパラと落とされていくやつだ。これで滋賀も大火事となり、100名程度の死者と負傷者がでたらしい。

蒸気機関車避難壕

最後に訪れたのは米原にある、いをぎ蒸気機関車避難壕だ。
ここは第二次世界大戦の末期に、敵国の爆撃から蒸気機関車を守るための場所として、米原駅の近くに秘密裏に採掘されていた場所らしい。

蒸気機関車を入れる予定だったトンネル

見ての通り、トンネルはとても蒸気機関車を入れられるような高さではない。
こちらも戦争末期の遺跡であり、製作途中ではあったが敗戦と同時に製作が取りやめられたらしい。戦争は関係ないけれど、とても涼しい場所であった。

トンネルの出口には岩屋善光堂という清水寺に似た建造物があった。

岩屋善光堂

建物の中は岩がせり出していて、建物と山がどうかしているような見た目になっていた。

お厨子

正直なところ、バスを降りるまではまったく期待していなかった。
ただ、トンネルも建物も実際見てみると、結構な見ごたえを感じた。

こうした施設の保全は地元のまちづくり委員会が行っているらしく、ここ以外にも日本の各地に「見ごたえはあるけれどほとんどの人が知らない場所」はたくさんあるんだろうな…と思った。

疾走感のある山登り

山沿いに建てられた建物を後にして、10分程度の山登りもできた。
とても暑かったが、せっかくなので山も登っておくことにした。

こういうとき、「せっかくなので山に登る」か、「暑いし疲れるし、どうせ景色が想像できるから登らない」か、いつから後者になってしまうのかなと考えていた。

山からの景色

山からの景色は緑が美しく、琵琶湖もうっすらと見える良い景色だった。

まとめ

今回は滋賀県の戦争遺跡を巡ってきた。長丁場だったのでところどころ飽きていたけれど、1日を終えてみたところでは程よく学べて良い1日だったと思う。

戦争の記憶が遠ざかるとき、戦争がまた私たちに近づく

石垣りん

という詩があるらしい。戦争に限らず、記憶の大事さを語る印象的な詩だと思った。
今もこうして思ったことを記録に残すことが、大事なことなのだと感じた1日であった。

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