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【書き起こし】マーシャル・マクルーハン「グローバル・ヴィレッジについて」

インタビュアー:1950年代初頭、世界は地球村へ向かいつつある、と予言していました。私たちは地球規模で物事を考えるようになるとも。今現在、予言は成就しつつあるのでしょうか?

マクルーハン:我々は逆戻りしています。部族的で、集合的、個人の意識を持たない古代人の二分心的な意識へ戻っています。

インタビュアー:しかし、この部族的世界は友好的ではないように感じるのですが。

マクルーハン:そのとおりですよ。部族的世界の人間は、互いに殺しあうのです。部族的社会は、危険の絶えない社会です。

インタビュアー:我々がグローバルで、部族的になれば、我々は…

マクルーハン:我々がもっと緊密になれば、互いにもっと友好的になるとでも?

インタビュアー:ええ。

マクルーハン:そんなことはありえませんね。人間同士近づけば近づくほど不寛容になるのです。

インタビュアー:それが人間の本質なのでしょうか?

マクルーハン:狭い環境では、人の寛容度に大きな負荷がかけられるのです。村落共同体の人々は、さほど互いを愛していないのです。グローバル・ヴィレッジとは、強迫的なインターフェイスであり、非常に神経をすり減らす環境なのです。

インタビュアー:ケベック州の分離主義思想には、そのような考え方との共通点が見えますか?

マクルーハン:ケベック州民は国内の英語圏コミュニティを不快に感じているでしょうし、それは100年前にアメリカ南部が北部に感じていたのと同様の感情でしょう。

インタビュアー:それはスペースの必要性ということ…

マクルーハン:いいえ、できるだけ摩擦の起きないような出会いが必要なのです。車輪とアクセルの関係にもう少し隙間が必要なのです。車輪とアクセルが直結しすぎると、遊びがなくなってしまうのです。だから人々の間にも潤滑油というか少々距離が必要なのです。

インタビュアー:距離を取る傾向というのは、世界中に見られるものでしょうか?

マクルーハン:もちろんそうです。分離主義の台頭は世界中で見ることができます。世界中の国々でリージョナリズムやナショナリズムを掲げる集団が活動しています。ベルギーにおいてすら分離主義の大きな動きがあります。

インタビュアー:しかしケベック州民は、分離主義をアイデンティティの追求と捉えています。

マクルーハン:あらゆる暴力はアンデンティティを追求する行為です。フロンティアを生き抜くとき、あなたにアイディンティティはありません。あなたは何者でもないのです。だからあなたはタフになります。自分が特別な存在であると、力で証明する必要があるのです。だから暴力的になるのです。アイデンティティには、常に暴力が伴うのです。一般市民にとって、暴力は自分たちのアイデンティティを奪うものです。暴力は、彼らのアイデンティティを脅かすものでしかありません。テロリストやハイジャック犯などは、負のアイデンティティを持ちます。彼らは何とかして注目されることを、固く誓った人々なのです。

マーシャル・マクルーハン「グローバル・ヴィレッジについて」
(1977年のインタビュー)

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