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翔ぶ少女

またまた原田マハさんの小説「翔ぶ少女」で感じた事を書き残しておきたい。


阪神・淡路大震災をベースにお話しは進む。
被災し、炎の元両親を亡くした三きょうだいと、そのきょうだいを救出した、同じく妻を亡くした医師を中心に描かれる。

画像はギリシャ神話の女神ニーケー(勝利の女神。アテナの使者、随神とも呼ばれる)
物語の主人公丹華(ニケ)にこの女神の名前が付けられている。

ニケの背中に羽根が生えてくるシーンが2度ある(本当には得ているかは❓)
1度目は好きな男の子が出来た時だ。
アニムスの侵入の例えとも思える。
「大好き」と言う熱い気持ち、痛み、苦痛と共に生えてくる。

2度目は、「大好きな人を助けるために直ぐにでも飛んで行きたい❗️」
気持ちが羽根を生やし「翔ぶ」
その時も羽根が生える時には激しい痛みと苦痛が襲う。

なぜニケに「羽根」が生えるのか❓
「記憶」である。
震災で炎の中抱き上げられた時
「翔んだ」と感じた
忘れ去られていた「記憶」だ。

「翔ぶ」ことだけが
「悲しみと絶望とそういうもののいっさいを乗り越える事ができる」
と見せることが出来る。

「翔ぶ」ことを知ることは、「あちら」の世界を知る一つの方法かも知れない。

しかし「翔ぶ」ための羽根はそう簡単には生えてきてくれないのだ。


東日本大震災の映像を見て、阪神・淡路大震災の被災者も心身の不調を訴えた人が増えたらしい。
「悲しみは時と共に形を変えていくが、それでも何かの拍子に記憶の蓋が開いて逆流してしまうことがある」解説より
それは映像だけではなく、イジメや不仲、トラブルなどでも顔を出し関係ないところで引き金を引く。

こう言う事は被災者だけではなく、
私たちにも起こっているのではないでしょうか❓
それぞれに持つ傷が、何ら関係ない場面で動く。
それは自覚されていたり、されていなかったり…。

「悲しみは治すものではなく抱えていくものだ」

先日読んだ「人はなぜ傷つくのか」秋田巌著
の中でも
「それは傷という契約を生き抜くためである」
「自分がどういう存在であるか自分自身で決めることができる。
苦しくとも決めなければならない。
傷が与えられた時、それを「神との契約」と見る視点。その時背負うものが生まれ、
同時に救われる」

原田マハさんの描く主人公は皆、この視点を自然に持っている様に感じて、私は惹かれるのだろう。

秋田先生は「神との契約」とされていたが、
「自分との契約」としても良さそうだ。

「傷」は人それぞれ。
それとどう向き合うか、どう捉えるか、どう生きるか。
が「生きていく」ということの一つなのかも知れない。

#夢解き
#夢
#夢告堂研究所
#翔ぶ少女

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