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手は口ほどにものを言う🍀フレルとサワル

日本語には本当に細やかで美しい表現が
たくさんありますよね。
たとえば
「心の琴線に触れる」
というメタファー。


涙が零れるような映画を観たとき
「感動した」とか「胸を打った」とか
「心に響いた」だと何か物足りない
そんな気分にピタッとはまる
何とも言えず繊細な響きがあります。
これは「ふれる」という言葉の
独特のニュアンスが関係していると思います。


日本語教師養成講座の先生に勧められて
以前読んだ本には次のように書かれていました。

サワルはフレルに比べて
接触が強く・接触面が広く・持続的であり、
さらに 感触に対する主体(あるいは客体)の意識が含まれることになる。

「ことばの意味」柴田武  より


この「意識が含まれる」という部分に、私は何か納得しました。
例えば…

「気にサワル」
これは接触を受ける側が、接触した側からマイナスの意識を感じたことを表してる?


「逆鱗にフレル」
これは接触した側が、怒らせるつもりもないのにうっかり…ということなのかもなぁと。


オバチャン女子会のとき
私の肩を叩きながら大笑いするママ友に
悪い気はしなかったり
別れ際に名残惜しそうに握ってくれる手から
あったかい気持ちが伝わったり。
そんなことをふと思い出しました。
手から伝わるメッセージは
意外にたくさんあります。


さらに考えを深めてくれたのは
伊藤亜紗さんの「手の倫理」という本です。

著者いわく
サワルは伝達する側に決定権があり
フレルは相手に接触の主導権を渡す
のだと。


「急にサワラれて気持ち悪い」とは言っても
「フレラれて気持ち悪い」とはあまり言わないですよね。サワルには、接触対象への思いやりがないのです。


著者は 本の冒頭で
学校の「体育」のことにふれています。
「ほんとうの体育」の授業というのは
相手の身体に失礼ではない仕方で
「フレル」技術を身につける
教科だ
という説明にも激しく共感しました。


手から伝わるのはプラスの感情だけじゃありません。
私自身、OL時代にセクハラ紛いのボディタッチならぬ、ハンドタッチを体験したこともあります。
そんな不快な接触をなくすためにも
体育の授業は大切なんでしょうね。


手話もまた、手によってメッセージを送る手段ではありますが…
受け取るのは「目」なんですよね。
それは音声言語と同じで
距離を介するもの同士が信号をやり取りしているようなもの。


手から手へのメッセージは
距離ゼロのやり取りだからこそ
ごまかしは効かない
嘘のないコミュニケーションなのかもしれません。


みなさんには
心に「ふれた」メッセージ
何かありますか?




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