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正しさの基準

もうかれこれ50年以上も生きてる私。
上下関係に厳しい昭和世代と
ドライな平成・令和世代との中間にいて
どちらの世代の言語も分かっているような
気になって
ストアカで敬語のコミュニケーション講座なんぞをしております。


でも最近、この歳になって
(いや、この歳になったからこそ?)
ひとつの大きな疑問が湧いてきたのです。

外国人に対して
「普通、日本人はこう言います」とか
日本人の若者に対して
「こういう時、こういう敬語を使います」とか
言っちゃってるけど


わたしの日本語は
はたして
世の中の「ふつう」なのかどうか⁉️


日本人が、外国人のおかしな日本語を
シレッと受け流して
何事もなかったかのように会話を続行したり、
年配者が、若者言葉で分からない部分があっても
分かったフリをして会話を繋いだりするように、


世の中の皆さんが
私の話す日本語の中の違和感を
聞き流してくれている可能性がある😱💧💧


なのに私は講座の中で
「普通だと思います」とか
「おかしくないですよ」とか言っちゃってる…

ホントに⁉️


そんな風に思えてきたのは
1つの出来事がきっかけなんです。


あるカフェの貼り紙に
「席からご注文できます」と書いてあったので
これはネタになる!と勇んで写真を撮り(笑)
「どこがおかしいでしょう」とクイズにして
SNSに投稿してみたのです。

どこが変?


どこかに違和感を感じる方は
恐らく私と敬語の感覚が近い方だと思います😅


なぜなら私が所属する、某大学名誉教授の勉強会で、私と同世代またはそれ以上の先生方にもリサーチしたところ、私と同じお答えをいただいたからです。


従来の文法では
「ご~する」という形は、自分の動作を低める、いわゆる謙譲語になるので、「ご注文する」は
本来なら お客様を主語にして使うべきではない表現なのです。ですから、「ご注文になれます」または「ご注文いただけます」が望ましい、というのが、私の答えでした。


ところが‼️


30代若手の顔見知りの日本語教師の男性が
SNSの私の投稿に疑問を投げかけました。
その方は勉強会にも熱心に通う、優秀な先生です。


数回やり取りをしましたが、彼のご意見をザックリまとめると「所詮お店の案内だし、そんなに丁寧にしなくても…」という内容だったかと思います。つまり、これは謙譲語でも何でもなくて
ご注文が「できます」という丁寧語であると。


私としても、伝わればそれでいいとは思うけれど
お客様に敬意を表するなら
中途半端に  「ご注文」+丁寧語  よりは
「ご注文になれる」という尊敬語の方が
文法的にスッキリする、ということを言いたかったんです。


でも彼は、この表現でも気持ち悪くない
私や勉強会の他の先生方は気持ち悪い


この差は…どう考えても
生きてる時代や環境の差だとしか思えない。
かなりショッキングな出来事でした。

私たち昭和生まれ世代と平成生まれ世代
その数十年の間に
敬語のルールは  ほぼ変わらなかったとしても、
50年もの間には、その語彙のイメージとか
使う場面が変わっていても不思議は無い…


そんな当たり前のことを突きつけられた出来事です。


🍀🍀🍀


皆さんには
そんなご経験ありますか?


🍀🍀🍀




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