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2022ボカスト後日譚——『相互干渉』について

この記事は自由に価格を付けられます。https://paypal.me/ukiyojingu/1000JPY

いつもはかなり長くなってしまうので、たまには短く、かつ気楽に執筆しようと思います。何より、ひと段落終わって肩の荷が下りた感覚もありますので(もちろん9月のスケジュールがたくさん決まっていますが)、今回は固い文体もやわらかめに書いてみようかと思います。

2022年のボカスト、shiranamiとともに「沿岸都市」として参加しました。まずは見に来てくださった皆さん、本当にありがとうございました。ukiyojinguは初の参加で、かなりギリギリまで作業をし続けて大変なことも多かったのですが、まずは最後までやり切れてよかったなぁという思いでいっぱいです。

今回のお品書きを含め、今後は沿岸都市のウェブサイトとTwitterサイトを通して情報の随時更新をしていきますので、良かったらご確認ください。2人で作成した「相互干渉 0.8」は10月のボカコレにて一曲だけ公開し、さらにそのタイミングでダウンロード販売しますので、そのときはまた沿岸都市の各種サイト上でお話しようと思いますので、またお願いします。

相互干渉0.8の内容(https://sites.google.com/view/en-gan-to-shi/ より)

今回、shiranamiと2人で作成した『相互干渉0.8』は、誰が何を作ったのか、誰がどのパートを担当したのかについて一切公表しないことを(表面上は)前提にして作成しています。楽曲クレジットも全て「沿岸都市」としているのですが、今回の作成は実のところ、自分が同時期に作成したアルバム『思考実装』の影響をかなり受けて作成しています。そのきっかけは無色透名祭にて投稿した楽曲「無色で透明な私たちは互いに融合しながらも、他方で消えない血液と己の半身を希求する。 だからこそ、私は互いを解体させられるほどの、血液たちの接触と消失を望んでいる。」です。

アルバム『思考実装』にてこの曲は8曲目に入っているのですが、7曲目に投稿した楽曲「徐々に思考を深く実装させていく私たちは、避けられない乖離を繰り返している。崇高を目指していく精神と相対しながら、私たちの身体は徐々に解/体/さ/れ/て/い/く。」と作った時期はともに近く、むしろ作成順と公開順が逆転しています。8曲目として公開したものが7曲目に公開し、7曲目に公開したものが8曲目に入っている理由は無色透名祭が関係しているのですが、実は実装#6を受けて作成したのが実装#7で、それを受けて作成したのが実装#8なっています。

思考実装の6曲目に入った曲は、私たちが楽曲をいろんな方法で電波へ流すことによって自身の半身がネットワーク上に絡まれ、ランキングや再生回数に意識が引っ張られ過ぎてしまうことを「情報空間上のゾンビ」といい、それに反して存在する自身の唯一無二の性質——再生回数に支配されないような自身の創作における強固な要素な何か——を大切にすることを主張してきました。

私たちは意識的に情報空間上に主体を投げ出すと同時に、どうしても意識的な行動とは一致しえない、自身の身体に内在化された何かを忘れることもできない。私たちは自身の身体の中に流れている否定できない私たちの血液を抱きしめて生きていく必要がある。それを忘れてしまうことは、情報空間上で自身を喪失してしまう行為であるともいえるのかもしれない。しかし、電波で簡単にあらゆるものを送信することを可能にすることによって、私たちの理想は徐々に形成されてもきた。この両義性に引き裂かれながら、私は意識的に論理的なものを目指そうとすると同時に、徐々に身体が解体される。音楽も構築されたものから自由になり、浮遊するように漂っていなければならないような気がする。だがしかし、電波上で私たちは強制的に組代わり、何でもなくなった私たちは必ず、誰かによって何かにさせられていく。

実装#7の投稿者コメント

しかし、どれだけ情報空間上のゾンビになることを逃避して自分の唯一無二性を表明しようとも、それは相手に伝達される過程で必ず別のものになってしまうんのではないかと思います。唯一無二なものがたとえ自分の中で作れたとしても、その唯一無二なもの相手に伝わるとき、唯一のものではなくなっている。私たちは何かを経験するとき、その経験を自身のこれまでの生涯の経験から照らし合わせ、ある程度の型に当てはめることでそれを記憶しているはずです。ハードやソフトに関係なく、iPhoneのインターフェイスが新しくなったさい、私たちはこれまで使用してきた経験からそれを使用することができる。私たちがどれだけ新しいものを作成しようとも、その新しさはやがて時間をかけてこれまでの当人の経験の中で消化され、まさに「新しさ」が無くなっていく。だからこそ、それらの過程を一切拒否するような「新しさ」は理想でしかなく、私がどのようなものをしようと、唯一無二なものを作ろうと、それは相手にとってはまた別様の形で受容され、それはいつの間にか、組み替えられていくのだと思います。

だからこそ、私たちは新しさを表明するのではなく、いっそ消失する可能性をも考えなければならないと考えたのが実装#8でした。この曲は一貫して何者にもならないことを考えることをテーマにしています。自分が何をしようとも、最終的には相手は自分を見て、カテゴライズし、パターン化していくのなら、何者にもならないような可能性を探したいという背景がこの曲にはあります。まさに再生回数のような「わかりやすい注目指標」に溢れかえったこの時代において、私たちは以前よりも過度に注目されることに意識を向け、その結果としてバカッターや炎上騒ぎを起こすような連中が毎日のように登場してきたのではないかと思います。それに対し、何者にもならない方法がどこかにあるのなら、きっとそれは私にとってのユートピアなんだと思います。そんな思いが実装#8にはありました。一方で、そんなユートピアも存在しないのも事実であって、現に無色透名祭では7月31日に希望者のみでの「ネタばらし」が行われています。もちろん、公開しないという選択もできたとはいえ、たとえ公開しなかったとしても、動画コメントで「この動画は○○っぽい」という形で誰が作成したかを推理される時点で、恐らくそれはもう無色で透明でもないと思います。なぜなら、すでに「○○っぽい」のだから…そういう意味で、無色で透明になることは決してできないが、かといって電波に流している以上、私たちは絶対に透明な要素を持っている——少なくともインターネットを使っている以上、プロトコルによる管理社会を受け入れている点で全員が同じ水準に立っている。いわば「半透明」というべき、微妙な関係性の中で構築される私たちの複雑な世界を受け入れることが、大事なのではないかと思います——そして、この話が次の実装#9へと繋がりますが、それはまた別の機会に…。

かくして、『相互干渉』では誰が何を作ったかを分からなくすることを前提にしながらも、それぞれの声の感じやミックスの感じ、そしてギターの音などが、漂泊されて無色透明を目指しながらも決して消えないような血痕を残しているのではないかなと思います。表面上は「誰が何を作ったかわからない」ではあるものの、その実「漂泊されても消えない血痕を探すような作品」として、この音源が位置づけることができたら、私はとても良かったなぁと思います。互いに作ったものに干渉していろいろなものが削られても、残るものは確実にあるだろうというのが、一つのテーマです。

さて、そんな沿岸都市の今後について。次のイベントはボカコレ2022ですが、投稿した4曲中の1曲か2曲をニコニコ動画に投稿しようと思います。合わせて、今回発表した『相互干渉 0.8』をBoothにて販売する予定を立ててます。予定では10月8日にリリースかなぁと思いますので、良かったらぜひお越しください。

さらに、今回は『相互干渉 0.8』というタイトルでしたが、次はもちろん『相互干渉 1.0』として続編を作ろうと思います。今回はshiranamiと2名でしたが、次回のアルバムはサークル外のメンバーも集めつつ、いろんな方と一緒に無色透名を目指したいなと思ってます。参加してくれる方がいてくれると、私はとても嬉しいです。

気楽に書くといった割には3,000字を超えてしまいました。思考実装周りの話については、同日発表したアルバム『思考実装(USB先行公開版)』にほとんど全て文章化しました。こちらもボカコレ前後で先行公開版じゃない版が出る予定ですので、そちらもご覧いただければと。

末筆ですが、当日来ていただいた皆さん、協力してくださった皆さん、そして何よりいろんな無茶と苦労をかけたshiranami、本当にありがとうございました。ではまた会いましょう。



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