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私は一体、何を作っているのか――「思考実装#3」にあたって

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私は一体、何を作っているのだろう。
私は一体、何を成し遂げられるだろう。
無数の考えが私の頭の中を回転している。
無数の考えが私の中身をむしばんでいる。
言葉を吐き出して、吐き出し続けて何もなくなってしまったその先にあるのは、瓦礫だけだろうか。
私は私が生き延びるためだけに、今ここで逃走線を引く。
そのために、あの鉄の匂いから逃げ切るために、私は私の手首を切り落とし、そこに私の血液を注ぎ込む。
この切り落とされた手首から流れる鮮やかな真紅は、画面上わずか数十センチにしか満たないあなたに、どれほど伝わるのだろうか。
生まれ落ちてしまった三分にも満たない瓦礫の上に滴る私の唯一無二の鮮やかさを、どれだけ伝えられるのだろうか。
私の倒錯された盗作を、あるいは許してくれるだろうか。
きっと、誰かが。

 「私は一体、何を作っているのだろう」。自室のデスクトップPCにローカル上で保存されたフォルダに詰め込まれたcprファイルを眺めながら、まるでゴミのような音楽の断片たちを発掘しながらそんなことを考えていた。南向きに大きな窓がとられた自分の部屋には、机の下に収納してある自作パソコンにまで日光が侵入してくる。自作PCのなかに組み込まれたグラフィックボードは、強化ガラス越しに日光を反射し、特に激しいライティングも組み込んでいない自作PCを明るく照らしている。

 私の足元で日光を反射しているこのデスクトップPCは、約2年前に自作した当初と大きく中身も変わり、当初このパソコンの中に入っていたグラフィックボードなど多くの部品を交換した。それらは今でも自宅の押し入れの中に、予備として保管されている。マイニングブームが未だに収まらない今だからこそ、いっそ売り飛ばしてしまおうかと思いながら半年が経過した。押し入れのなかに静かに時期を待ち続ける私のグラフィックボードは、まるで私がかつて作っていながらも静かにハードディスクに押し込んでしまったcprファイルと似ている。私は一体、何を作っているのだろう。

 この(非)音楽は、私が作った、あるいは作っていた音楽とは到底言えない「何か」——ゴミを張り合わせ、それを一つのものとして作成している。こんなものが果たして「音楽」タグとともにニコニコ動画上に公開されることは、あっていいのだろうか。私は作りかけだった何かたちを前に、そんなことを考え化ながらも、恐れながらもこの音楽を公開してしまった。ここにあるのは音楽ではないかもしれない。しかしながら、ここにあるのは紛れもなく、私が過去に作り上げたものであり、私からはがれおちてここに誕生した「何か」だ。それだけがもはや紛れもない事実だろう。そう願うばかりだ。私から剥がれ落ちたもの、私の血液その断片と、すでにあった動画素材。その組み合わせは私の生々しいばかりの音楽に、優しくヴェールをかけてくれる。この断片に耳を傾けることは、私に耳を傾けてくれることであり、それこそ、私が何を作っているかの答えに変身してくれるようなものであればいいのに、と思う。

 ところで、この音楽が公開された2021年10月15日は、ボカコレ初日の公開日だった。2021年のボカコレでは多くのルーキーが新曲を投稿し、あるいはルーキーでなくとも新曲を投稿し、大規模な祭りの様相を呈していたのは記憶に新しい。そんななか、ひときわ目立ったのはいわゆる「ネタ曲」と、「ボカコレアンチ」の二つだったように思う。前者についてはまさに「祭り」らしさの表明であるように思われたが、後者はどちらかといえば、かつてのネット上での「祭り」がもはや2021年の今では決して成り立つことは無いということを、アイロニカルに表象している。しかしながら、アイロニーが過剰に集合したことによって、「アンチ・ボカコレ」が翻って「祭り」に転じてしまっていることに、投稿者のどれだけが察知できたのだろうか。その果てに何があるのか。私の見立てでしかないが、アイロニーに対してさらにアイロニーが提唱され、それが無限に重なっていく様相が続き…そのはてにあるのは、弁証法のように徐々に進化していくボカロ文化なのだろう。そのような在り方は、かつてなら許されたのかもしれないが、技術が加速度的に進む今においては、きっと取り残されてしまう。私たちはまるで遺伝子を操作する様に、強制的に進化する必要があるのではないだろうか。でなければ、無限に重なるアイロニーの果てに、私たちは何も言えなくなってしまう

 私はそうした過剰を前にしながらも、そこからさらに距離を取りつつ、このゴミのような音楽を提供した。この音楽そのものは明らかに無価値の様相だが、しかしそれでも、その背景にある全てを無価値だと捨ててしまうことはできなかった。だからこそ、私は自分の震える指を支えながら、インターネットへこの音楽を流したのだ。切り落とされた血液の色が、無限に色あせていく現実と止められることを信じながら。
 

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