復刻版浮世絵とは何か③―彫師・朝香元晴氏に聞く

 復刻版浮世絵に関わり15年ほど経ちましたが、その間に復刻版に対する誤解に多く遭遇して来ました。その状況がむしろ普通だったとも言えます。そこで「復刻版とは何か」ということをテーマにこれまで記事を書いてきましたが、今回はその3回目になり、彫師の方への取材を行いました。
 復刻版についての体系的な調査は未発達なことから、復刻版を理解して行く上で重要なことは、文献資料を調べること、比較してみるくらいに作品をよく見てみること、彫師や摺師から制作の真理について直接話を聞くといったことになると思います。
 今回お話を伺ったのは、彫師の朝香元晴氏です。朝香氏との出会いは今から凡そ15年前、私が朝香氏主催の木版画教室を受講したことに 始まります。先日、久しぶりに諸用で朝香氏から連絡を貰ったことをきっかけに、以前から考えていたこの取材企画について申込みをしました。
 今回の記事では、朝香氏の復刻版への想いや考え、復刻版制作の際に注力していること、優れた復刻版や優れた腕とはどういったことを指すのかといったことなどについて、朝香氏の見解を中心に記事をまとめました。また、朝香氏は彫りだけでなく摺りについても見識の深い方なので、摺りの点からもお話を伺いました。

2023年6月。都内にある朝香氏の工房「匠木版画工房」にてお話を伺いました。
朝香元晴氏

文部大臣認定浮世絵彫摺技術保存協会副理事長(事務局長)。
 東京伝統木版画工芸協同組合理事 東京木版画工藝組合役員。

略歴(「匠木版画工房」公式HPより抜粋。更なる詳細は同リンクを参考下さい。)

1951年 静岡県出身。
1962年 文京区立湯島小学校在学中に木版画制作を始める。
1967年 都立町田高校在学中、高見澤忠雄氏(注1)の元で伝統木版画の指導を受ける。
1968年  京都の彫師・菊田幸次郎氏に弟子入り。
1985年 17年間の修行を終え、高見澤研究所の専属彫師となる。
1999年 新宿区西早稲田に摺師・菱村敏氏と共に工房を構える。
2011年 現在の地(新宿区富久町)へ工房を移転。東京マイスター(優秀技能者)受賞。
2012年 東京都伝統工芸士認定。(経済産業大臣指定)日本伝統工芸士認定。

他、国内外で実演・講習多数。

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筆者:「本日はよろしくお願いします。まずは復刻版に対する想いや考えについて、思うところお聞かせ願いたく思います。」

朝香氏:「私は元々木版画作りに興味があり、16歳の頃、縁あって高見澤忠雄先生の元で指導を受けるようになりました。それから間もなく忠雄先生から、当時先生と仕事をしていた菊田幸次郎という、京都の名人彫師への弟子入りの話を薦められました。当時の私は芸大への進学を目指していて、高校の先生ら周囲からも反対されとても悩んだのですが、やがて決心し、高校2年生の夏休み明けに京都へ修業に出ました。
 その当時から忠雄先生にはお世話になりましたが、彫師として独立後は高見澤研究所の専属彫師となりました。忠雄先生は拡大機を使って江戸時代のオリジナルの浮世絵と、私の彫った復刻版とを比べて見せながら、「ほら朝香君、右から36番目や点や、上から16番目の点の形が違うでしょ、筆線の穂先や腹の表現も違うよ。」というような指導をする人で した。
 忠雄先生の兄、高見澤遠治氏は、オリジナルを横に並べ比べてみてもその判別が困難であったと云われるほど、精巧な復刻版を作られましたが、その意志は忠雄先生へ、そ して私もまた受け継いでいます。
 そういったことが私の原点です。浮世絵の復刻に限らず、日本画や洋画の複製においても、原画と区別がつかないような、どこまでも忠実な線を彫るということが私のもっとうです。」

筆者:「復刻版制作の際には、特にどういったことに注力されますか?」

朝香氏:「やはり今言ったように原画に対し忠実な線を彫るということが一点、もう一点 は、キレと勢いのある「生きた線」を彫るということです。
 江戸時代は絵師が描いた版下の線というのはあくまで目安であり、それを目安に彫師が生きた線を作っていました。例えば北斎の晩年の版下などは線がひどく乱れていますが、当時の彫師はそれをそのままに彫ったのではなく、北斎の線を生かすように線のキレと勢いを意識しながら直して彫っています。ただ後世に復刻をする場合は、複製故に線を正確になぞるように彫らなくてはいけません。そしてそのように丁寧になぞるように彫ってしまうと、線のキレと勢いは生まれにくくなります。
 そこが難しいところです。正確になぞるように彫りながらも、それでいてキレと勢いのある生きた線が彫れること、これは何十年と勉強しなくてはいけないところです。いくら忠 実であっても、彫った線にキレと勢いが無ければ意味がありません。」

筆者:「そのことに関して、江戸時代の浮世絵には、乱れたり欠けたりで、キレと勢いが無い線も多いと思うのですが、そういった箇所は復刻の際に修整されるべきと思いますか?」

朝香氏:「そういった線の乱れは修整するべきだと思います。ただその際、例えば北斎の作品ならば、複数の画集等でその作品を見比べながら、上手く彫れた場合の北斎の線はこうではないかと想定しながら修整を行うようにします。手前勝手に綺麗に修整して北斎の線から離れてしま ってはいけません。線の欠けなんかも、筆線のつなぎ目として意図的に表現されたものでなければ修整すべきだと思います。」

筆者:「江戸時代の浮世絵の特徴や、当時の彫師と摺師の技術水準などを思う時、個人的には、忠実な再現ならば線の乱れや欠けもある程度そのままに再現されるべきと思われるのですが。」

朝香氏:「忠雄先生はそれに近い考えも持っていましたが、そのへんの問題は難しいところです。人によっては原画の線を省いて彫る人もいるし、私はそういうのは認めませんが、結局彫りにおける考えや解釈というのは人それぞれで異なります。」

筆者:「朝香さんの考える名人彫師の条件はなんだと思いますか?」

朝香氏:「原画に忠実でありながら、同時にキレと勢いのある生きた線が彫れること。それと彫るスピードも重要です。彫るスピードが遅いのは名人ではないと思います。」

筆者:「摺りについて、朝香さんの考える優れた摺りや優れた復刻版、名人摺師の条件とはどういったものになるでしょうか?」

朝香氏:「自然で滑らかな「ぼかし」(グラデーション)が摺れること、又、特殊な例外的作品を除き、「ごま摺り」(胡麻を散らしたような、ぶつぶつとまだらな色調の摺り) が無く摺れることだと思います。他に、見当がずれること無く摺れること(色の位置がずれること無く摺れること)もあるけど、それは基本中の基本だと思います。
 それと仮にもし100枚摺るとしたら、1枚目から100枚目までを全て均質に仕上げられるこ とです。例えば、ぼかしの箇所であれば、1枚目と100枚目とを比べて見ても、ぼかしの太さや濃度に違いが無いといった具合にです。
 あとは名人彫師の条件と同じく、速く摺れるスピードも大事です。又同時に手間を惜しま ないことです。良い仕事というのは例えば、綺麗に摺るために濃い色のぼかしを1回ではなく、半分の濃度で2回に分けて重ねて摺ったり、或いは、美人画の顔の輪郭線を細く繊細に摺るために、事前に紙全体を裏面から擦って薄く伸ばしておくなど、そういった手間が掛けられているものです。」

筆者:「そのことに関して、摺りが雑な江戸時代の浮世絵は沢山ありますが、それを復刻する際はそういった摺り損なってる箇所は修整されるべきと思いますか?」

朝香氏:「勿論です。摺りが雑な江戸時代の浮世絵は多いですが、その一方で、摺りが丁寧で美しい一番手のものが、公開される機会が少ないだけでそれなりの数現存していると 思います。復刻の際はそういった一番手のものを原画として使うこと、もしそれが出来ず、二番手、三番手のものを原画として使う場合も、一番手の丁寧で美しい摺りを想定して復刻することが大事だと思います。」

筆者:「仮にもし一番手の原画でありながら、摺り損なっている箇所がある場合、そこは修整されるべきと思いますか?」

朝香氏:「勿論です。一番手のものは名人が摺っているので、見当のずれやごま摺り等の技術的ミスはないはずですが、もしミスをしている箇所がある場合は直すべきで、それをそのままに再現するというのは変だと思います。」

筆者:「話は変わりますが、様々な復刻版を見ていると、摺りでの退色表現や紙を汚すなどして経年加工を施しているものが少なくありません。しかし時代が現代に下るに連れ、そういった経年加工は行われない傾向にあると全体的に見られます。それは何故だと思いますか?」

朝香氏:「手間が掛かるというのもありますが、それ以上に依頼する人や監修する人がいないことだと思います。見る目ある人ももういません。」

筆者:「今後の目標があればお聞かせ下さい。」

朝香氏:「私は弟子の育成もしていますが、これまで自分の培って来た技術を後世に伝えて行きたいと思っています。又、弟子達が食べていけるような環境作りもしておきたいです。具体的には工房の企業化や版元としての出版事業を考えています。浮世絵もそうですが、それ以外にも、高度な木版技術を活かして様々な作品が出版出来たらと思っています。弟子達には希望や目標を持って進んで行って欲しいです。
 弟子達には、原画にどこまでも忠実で、キレと勢いのある線が彫れ、しかも仕事が速い、そういう名人彫師になれるよう望んでいます。
 私の師匠(菊田幸次郎氏)は、手が乱れてしまうからと言って、弟子やお金のために安い仕事を受けるといったことはしない人でした。弟子の稽古には彫りの優れた原画や版下を選んで使わせる人でした。
 私の弟子達にも、原画や版下には下手なものではなく、名人彫師の彫ったものを使わせるようにしています。良い仕事を沢山見て目を肥やしながら、彫って彫って彫りまくって腕を磨いて行って欲しいですね。」

筆者:「貴重なお話でした。本日はありがとうございました。」


参考文献
(注1)
・高見澤たか子「ある浮世絵師の遺産―高見澤遠治おぼえ書―」(東京書籍株式会社、1978 年)。
・吉田暎二「浮世絵事典 中巻」(画文堂、1990年、167~168頁)。
・中村暢時「高見澤版複製浮世絵の歴史」(「浮世絵備要」、自家版、2000年)。
・畑江麻理「大正期「複製浮世絵」における高見澤遠治 : その卓越した精巧さの実見調査と、岸田劉生らに与えた影響の考察」(「Lotus : 日本フェノロサ学会機関誌」39号、日本フ ェノロサ学会、2019年)。

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