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復刻版浮世絵とは何か①

復刻版浮世絵は版元の商品という観点を基準に、その説明がなされることが多いことなどから、学術的な研究が発展している「浮世絵」とは違い、事実に基づいた知識は一般にあまり把握・理解されていないように思われます。そのため本記事では、復刻版浮世絵とは何かを客観的に知ってもらい、そしてその世界に親しんで貰う上で役立つ・参考になるように、復刻版浮世絵について文献資料を交えながら、考察と作品の紹介をしたいと思います。


復刻版浮世絵の様相・概念

明治時代、海外での浮世絵人気の高まりから、多くの作品が国外へ流出します。そのことを背景とした需要の高まりをきっかけに、復刻版浮世絵は作られるようになったと言われており、大正時代始めの浮世絵雑誌「浮世絵(1)」(1915)によると、その製作は明治25年頃から始まったとされています。(ただし、それ以前から復刻版が存在していた可能性は高いと思われ、その詳細は今後の調査が待たれます。)

「読書春秋(4)」(1953)に掲載の、鈴木重三「浮世絵版画の贋作と複製」によると、当時国外からの浮世絵版画の需要が高まったことで、「されば茲に収集家の需要や所有欲に附け込み、巨利を目論む悪意的な贋作の出現を見る。(中略)~が其一方純粋に鑑賞者の眼識助長に役立つ為にする、善意に基く廉価な複製模刻の業も現われる。」とあります。
そしてその善意的な復刻版には、①原画の退色・変色状態をそのまま模すものと、②原画の摺り上がり当時の色調を想定しそれを復元するもの、との二通りの指向があるが、市場にあるものは製作・監修者の製作態度の不足不備から、出来栄えは良くないものが多いと述べられています。(他、復刻版のタイプには①と②の折衷的なものや、(木版画としての)摺り上がりの色調を想定しているが、オリジナル原画のそれを想定しているわけではないもの、つまり色を意図的に改変したもの等々も多くあります。)

「浮世絵(27)」(1917)に掲載の小島鳥水「浮世繪板畫の複刻品に就て」では、現今の日本で復刻版は相応の待遇は与えられておらず、今後益々復刻版が盛んに刊行・需要されるよう、復刻版が必要にして軽視出来ない理由として、次のようなことが述べられています。
同文によると、「従来複刻物と言えば、如何なる意味から考えても、いい感じを与えなかった」とし、これまで復刻版というと、原画とは似ても似つかぬ代物か、原画の汚れや虫食い穴まで模した純然たる偽物か、状態の悪い原画を洗い晒し、紙を継ぎ足し補色した準贋造品か、などを連想させて道徳的に不快感を与えるものであった、しかしながら近来は事情が大きく変わってきており、復刻版にも見るべきものが出てきており、また市場では原画が高騰し入手が困難となってきていることを思うと、復刻版の製作は絶対に必要であるとしています。
同文では西洋における油絵などの複製画の存在を例にあげながら、復刻版の普及は公衆の美術教育・審美意識の啓発の点でも有用であることなどが述べられていますが、とりわけ着目される点は、復刻版における製作費用、技術や工程を考慮すると、復刻版の製作は「藝術的」であると述べているところです。
そして渡邊版の鈴木春信の復刻版を例として挙げ、原画の背景部分は薄墨に混ぜられた鉛白が変色しまばらに黒くなっているが、復刻版ではその背景が黒く摺り潰されており、そのことによって却って原画の風趣は整えられ、復刻版に新しさと創造性が感じられるといいます。そして復刻版は各々の版元によって特色があり、その特色の点でその復刻版は価値を持ち、また批判、鑑賞されなくてはならないと述べられています。

高見澤たか子「ある浮世絵師の遺産」(1978)において、1920年にその賛助院の一人である永井荷風が浮世絵保存刊行会に寄せた趣意書について、次のような言及があります。「~浮世絵の良品がほとんど海外に流出し、国内に残存するものは値段が高過ぎて大衆の鑑賞には適さず、複製の研究は日本の文学美術の研究上、古文書の翻刻と同じく急務である、と荷風は強調している。しかも、現在ある複製が商売営利のための粗悪品が多く、浮世絵の真価を誤らせるようなものばかりであることを嘆き、次のような言葉で遠治の複製を推奨している。~」

以上、上記の文献資料の言及からは次のことが言えます。「その歴史の始めにおいて、復刻版は一般的にはただ営利目的の粗雑なもの、ないしは詐欺目的の贋作であったが、20世紀の始め頃からは、希少となった浮世絵のその芸術性を普及させるためのものとして、美術・芸術品を作るという意識のもとにも作られるようになり始めた。」

次に挙げるのは現在も復刻版を作っている版元の内、3ヶ所から自分が耳にした復刻版に対する凡その見解になります。

「浮世絵の復刻版とは美術品であり、(その多くが安値で売られていた)江戸時代のオリジナルとは目的が違う」

「江戸時代のオリジナルは雑で汚い作りのものが多い。また明治、大正、昭和、平成、それぞれの時代にそれぞれの復刻がある。復刻とはそういうものだ。」

「江戸時代の浮世絵はあくまで江戸時代の摺師が摺ったものであり、別の時代の別の摺師が摺れば違いがあるのは当然である。」

TBS文化情報部編・定村忠士「いま、北斎が甦る」(1987)には、昭和の終わり頃、ボストン美術館所蔵の北斎のオリジナル版木を使って、作品が新たに摺られた際の製作方針についての記述があります。江戸時代のオリジナルの版木を使い、後世新たに摺り上げるものは復刻とは違いますが、また今から30年ほど前の少し昔の言及になりますが、その製作方針は現在における復刻版の概念を知る上で、本質的でとても参考になります。
「今回の北斎絵本を摺るにあたっては、180年前の北斎の時代に出された初版本が見本とされた。そのことは当然として、では、色を出す絵の具はどうするのか、180年前と全く同じ絵の具が用意できるのか、という疑問がおきた。(中略)~北斎絵本を摺るにあたって立てた方針は、初版本にできるだけ近づけると同時に、180年後の現代の感覚をも生かした彩色をということだった。版元も摺り師も、現代に生きた人間であり職人である、浮世絵1枚1枚には生きた摺り師の心とウデが摺りこまれている、とすれば現代の感覚を生かすというのは必然の結論と言わなくてはならない。」

こういった見解は復刻版の従事者(版元・彫師・摺師)の間で、現在一般化しているものと見られます。

(そして私見を言うと、こういった見解がおかしいとは全く思わず、むしろ矜持の十分成り立つことだと思いますが、そうやって作られたものを、「江戸時代と同じ素材と技術で作られた当時の浮世絵の再現である」かのように謳い、世に出されている、伝統木版画業界一般に見られる現状はおかしいと思っています。
特に、江戸時代の浮世絵の絵の具と紙の研究と使用に本格的に取り組みこだわった立原位貫氏の仕事や、浮世絵に使われている絵の具の分析判定法の開発を行った下山進氏の仕事などを知る時、実際には使っていないのに江戸時代と同じ絵の具を使っているかのように謳ったり、実際にはその大半は肉眼での判定は不可なのに、熟練の摺師であれば原画を見ただけで何の絵の具が使われているか分かるかのように謳っている、伝統木版画の組織・団体には欺瞞性を感じざる得ないところがあります。美術館や研究者との協力関係を謳っていたとしてもです。というか美術館や研究者との協力関係を謳いながら、他方で浮世絵研究の成果に対し冒涜的な情報を発したりしているのを見る時、その欺瞞性の根の深さは一層思われます。
また同時にそういったことは、彫師や摺師が目指している優れた腕や優れた復刻版というものを誤って理解させることになり、彫師や摺師の技術や復刻版の真理も歪めることになっているのではないかとも思われます。)

以上、復刻版の歴史の黎明期と現在に焦点を当ててみましたが、そこからは復刻版の製作において、美術・芸術品として美しいものを作るという認識や姿勢が、20世紀の始め頃からその従事者の間で徐々に広がりをみせ、現在では一般化しているということが伺えました。そしてこの意識は彫や摺の技術面だけでなく、そこで使われる絵の具や紙の選択にも当然及んだと考えられます。
一般的には江戸時代のオリジナルの浮世絵版画は、技術面でも、絵の具や紙の素材面でも、特に後世からすると(一部の毛割箇所などを除くと)質の良いものではなく、復刻版が美術品を志向する上では、むしろ変更・改善されるべきものとして捉えられて来たと考えられます。
(このことはまた、何より彫師や摺師から直接話を聞いて復刻版製作のポイントについて知れば、例えば、「彫師や摺師は製作の際にどういったことに注力しているのか」ということや、「彼等の目指している優れた腕や優れた復刻版とはどういったものを指すのか」といったことについて知れば、見えて来る事と思われます。)

これらのことは、彫師・摺師の職業的本質が、江戸時代の浮世絵を再現・復元する人というよりも、むしろ印刷の職人であることとの関連性も強いと考えられますが、その観点からについてはいづれ述べられたらと思います。

作品から見る復刻

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前述の「ある浮世絵師の遺産」は、高見澤遠治氏の生涯について書かれた本です。同氏は当初は傷んだ浮世絵版画の修繕や、春画の修正改作の仕事をしていましたが、それらが贋作として商人の詐欺に利用されるなどして、やがて問題視されるようになったことから、それら仕事からは手を引き、1918年頃からは復刻版の製作の仕事へと移ります。その刊行のために設立されたのが、前述の永井荷風が趣意書を寄せた浮世絵保存刊行会になります。その作品は同氏を中心に彫師・摺師達と共に作られますが、同氏は1927年に若くして亡くなるため、本人が直接監修・製作した復刻版は、それほど多くは市場に出ていないと思われます。

その後、仕事は縁者や関係者によって継がれ、高見澤木版社が設立されます。その復刻版の始めのスタイルは、原画の経年変化を踏まえた、"古び"を付けたものになります。先に写真を挙げた写楽の復刻版は、その比較的早い時期に刊行されたもののようです。(追記:この写楽の復刻版は高見澤遠治氏が生前に使用していた版木を使い、版元:第一書房により1935~44年の間に制作されたものになります。参照:畑江麻里「大正期「複製浮世絵」における高見澤遠治ーその卓越した精巧さの実見調査と、岸田劉生らに与えた影響の考察ー」(「Lotus : 日本フェノロサ学会機関誌  三九号」(2019))

紙や絵の具の劣化など、とても手間をかけてリアルに作られています。前述の参考資料「浮世絵版画の贋作と複製」で言及されているように、復刻版のやり方にはこのように古びの加工を付けるものと、摺り上がりの鮮やかな色調のものと、大きく二つの指向性があるわけですが、古びの加工を施した復刻版では、高見澤版が最高峰と言えると思います。ただし時代が上がるにつれ、高見澤版の復刻は、紙の表だけを薄い褐色で染めたものや、ぼかしを用い部分的な退色表現をしたものなどになり、やがて古びの加工はほとんど行わないやり方へと変わっていきます。上の写真の復刻版は、浮世絵商の人から買ったものですが、額に入れられてしまうと本物との識別はかなり難しいとのことでした。

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平成の復刻版です。ここで着眼されるのは、全体的には摺り上がりを想定して、鮮やかな色調で、古びは付けずに摺られていますが、着物の赤や顎の部分には、グラデーションを入れることで、退色の表現がされているところです。

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上の二点のそれぞれの箇所における、拡大写真です。線一つ見ても感じが違います。

この記事を読んで貰うとわかりますが、また実際に作品の観察と比較をされるとわかると思いますが、それぞれの時代、それぞれの版元、それぞれの職人に、それぞれの復刻があります。


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上の二点は大正時代頃のものです。下の方が紙質や摺りに品があり美しいとは言えます、が個人的な好みでは上の雑な感じのも好きです。


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戦前の復刻版です。用紙が現在の復刻版のように、しっかりとした感触の高級な感じのものとは違い、薄くてまた安っぽい感じがあります、が逆にそこが江戸時代のオリジナルの一般の浮世絵の感触に近いものを感じ、気に入っています。(なお、オリジナルの同シリーズ(名所江戸百景)の初摺の方には、上等の紙が使われたようです。)


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上の二点は同じ復刻版を裏表から撮ったものです。表に比べて、裏はずっと白く、表にだけ用紙へ経年の加工がされているのがわかります。この復刻版は恐らく、大正~戦前頃のものと思いますが、加工を施して古びを出すという復刻のスタイルは、時代が下るにつれ廃れていくと思われます。


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共に戦後・昭和の復刻版で、版元も職人もそれぞれ違います。上の方が少し後の時代のものになります。下の方は自分が見てきた中でも、とりわけ美しいと感じる復刻版です。技術的に整然としており、また色調のバランスもよく、摺師の"ウデ"で表現出来る美しさは、余すことなく達成されていると思われます。それに加えて経年による紙の"焼け"も絶妙です。何を美しいと思うかは人それぞれですが、個人的には経年劣化的な古びは大きな要素です。個人的に好きな復刻版は鮮やかな摺り上がりの新品感のあるものよりも、ある程度の古びがついている骨董品感のあるものです。(自分の復刻版の指向がそれと異なるのは、つまりなぜ古びの加工を施した復刻版を作らないかは、美しいものを作りたいという気持ちよりも、江戸時代当時の浮世絵の色彩や姿に対する解明や再現への探究心の方が強いからです。またかつて名人と呼ばれた職人達の作った復刻版が、中古品として今では数千円で市場に溢れている現状を見て、これまでの流れの上で、既存のやり方で復刻版を作り続けても、長い目で歴史的に見ると、それら作品はほとんど反古同然になるだろうという虚しさや危機感などを感じ、(江戸時代の浮世絵の色材や紙の解明及び復元などを通し)学術的な点で復刻版に新たな意義づけが必要だと感じているのもあります。美しい版画作品を作ることが目的ならば、江戸時代の浮世絵の復刻にこだわる必要はなく、それは自分の作品製作の目的とは少し違います。)


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これも戦後・昭和の復刻版で、先程の作品のように、摺師のウデは余すところなく発揮されていると思います。摺りの上手さゆえに伝わってくる、(この絵の場面である)夏の夕方の空気感がこの復刻版にはあると思います。


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上の二点は戦後・昭和の高見澤版です。春信の作品の方では、背景や川の部分などにぼかしが入れられ、青花紙の退色の感じが表現されています。前述の写楽作品のように、全体としては鮮やかな摺り上がりを指向しつつ、部分的には退色の表現がされています。青花紙は非常に退色しやすく経年に伴い、灰色や黄褐色、ないし無色へと変退色していきます。この絵の具は伝統木版画の世界では、かなり以前にその使用は途絶えており、またその色の再現に対する意識・認識も低いとみられます。現代の復刻版において、全体の色調としては摺り上がりの鮮やかさを指向しているが、青花紙の使用箇所などは変退色後の色を以て摺られている、というケースは結構見られます。


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戦後・昭和の復刻版です。復刻版の中には、かなり意図的に原画から色を改変していると思われるものもあります。仮に対象の原画作品は同じだとしても、考えや方針などの違いから版元によってその復刻版には様々な違いが生じます。


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昭和終わり頃の復刻版です。上記のことは「線」や「色」についてだけではなく寸法にも言えることです。この二点は原画対象作品は(恐らく)同じですが、それぞれ別の版元から刊行されたもので、それを並べたものです。寸法がだいぶ違いますが、上の方は寸法を拡大して作られていると思われます。


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作品はそれぞれ違いますが、同じシリーズである名所江戸百景からの三図の復刻版で、右端のが一番原寸に近いものです。縮小版の方がお客さんは飾りやすいしまた価格も抑えられるので良いと、ある版元から聞いたことがありますが、確かに縮小版でも美しい作品は表現できるので、美術品を第一に指向して製作するのなら、その方が良いようにも思われます。


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これは上に三図並べたものから、真ん中のものです。"古び"具合とか、紙質のちょっと安っぽい感じとか、個人的には結構ツボです。


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平成の復刻版で、下の方が少し古いものです。

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先の復刻版の部分拡大写真です。それぞれで色も違いますが、線も違います。江戸時代において、人気作は増刷され、また再度版木が彫り起こされるような場合もあったそうなので、復刻に際し作品対象自体は同じであっても、初摺か後摺かなど、どれを原画として採用するかによっても線や色などの仕上がりは変わってきます、がしかし仮に原画に全く同一のものが使用されたとしても、線や色は彫師・摺師によって結構変わってきます。
(そしてそれは必ずしも彫師や摺師の腕の良し悪しとは関係ないとも思われます。かつて名人と云われた彫師の中には、原画の線を省いて彫るということをしていた人もいた、という話を聞いたことがありますが、そもそも彫師や摺師の考えている「腕」とは、「いかに江戸時代における浮世絵と同じものを再現することが出来るか」という、再現性を目標や焦点にしているものとは根本的に少し違うと思われます。このことは彫師や摺師に直接話を聞いて理解を深めれば、例えば、「彫師や摺師は製作の際にどういったことに注力しているのか」ということや、「彼等の考えている優れた腕や優れた復刻版とはどういうものを指すのか」といったことについて知れば、見えて来ると思われます。)

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一般に復刻版は「複製」と捉えられがちですが、また版元の多くは再現を謳う訳ですが、仮に原画は同じものであっても、そこには製作年代や監修・製作者によって、それぞれの違い・個性(線、色、素材、制作方針etc)があります。復刻版には復刻版の魅力・面白さがあり、そのあたりに注意して観察と比較をしながら鑑賞して貰うと、より復刻版の世界は楽しめるかもしれません。


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復刻版の中には贋作を指向しているものもあります。現在新たに作られるとしたら、その復刻版は最初から贋作目的で作られるのではなく、購入者が一般の復刻版を購入した後、それを自ら加工してるケースが多いと思います。自分も昔作ったものが、裏面に捺した製作者印がわからないよう裏打ちされ、実際に売った値の30倍近くでヤフオクで落札されていたことがありました。

最後にオリジナルと贋作的復刻版との見分け方について簡単に話します。前述の「浮世絵(1)」(1915)内に「原版と復刻との識別」という記事があり、それを参考に踏まえると、(ただし基本的には原画と復刻版の観察・比較の経験が必要ですが) 特に注意して見る点は第一が色彩。特に赤の色は違いが出やすいと思われます。第二が墨板。復刻版で原画と線が完全に一致するようなものはないためです。第三が紙質。紙の目の違いなどもあるので、紙を透かして見るのも効果的です。「立原位貫 江戸の浮世絵に真似ぶ」(2015)には「明石版と本物とを区別するのは紙だ」という浅野秀剛氏の言及があります。(明石版とは冒頭の鈴木重三「浮世絵版画の贋作と複製」によると、明治中期に製作された精巧で、贋作を指向した復刻版です。)

おわりに

浮世絵は学術的研究が進んでおり、客観的な事実に基づいた知識・情報の把握が一般にもされていますが、復刻版についてはそのようなものが普及・理解されているようには見られません。例えば、復刻版とは江戸時代と同じ絵の具や紙などを使い、摺り上がった当時の姿を再現したものであるという認知は、製作及び作品の事実や実体というよりも、むしろ版元の商業営利上の便宜的・偽装的な情報による一般的に見られる誤解と見られ(例えば、今の摺師が復刻に使う絵の具は基本的に現代の化学合成のもので、江戸時代の絵の具の知識や使用は継承されてはいません。そういった問題に本格的に取り組みこだわったのは立原位貫さんという人しかいません。)、基本的には現代における復刻版とは、素材(絵の具や紙など)・技術などの面において、よりグレードの高いものを目指して作られた、いわば「改良版浮世絵」であるとその実体的には考えられます。
(こういったことは、文献を調べたり、作品の観察と比較をする経験を積んだり、或いは版元ではなく職人から直接話を聞いて理解を深めれば、自ずと分かる事と思われます。)

今後、復刻版の学術的研究が進むこと、及び復刻版が商業・営利上の謳い文句ではなく、作品の事実によって理解されることを願っています。また当記事で少しでもその奥深さを感じ、浮世絵だけではなく、復刻版浮世絵の世界にも興味を持ってもらえる人が増えたら幸いです。


参考文献
現代の復刻を理解する上で参考になる文献資料の内、本記事中には挙げなかったものを以下に記しておきます。

・ばれんの会編「木版師勝原伸也の世界:浮世絵は蘇る」(平凡社、1993年)

・小林忠、大久保純一「浮世絵の鑑賞基礎知識」(至文堂、1994年)

・小林忠、東京伝統木版画工芸協会編「浮世絵「名所江戸百景」復刻物語」(芸艸堂、2005年)

・立原位貫「一刀一絵」(ポプラ社、2010年)

・学校法人城西大学編「シンポジウム「近世版画の色と技」講演録」(学校法人城西大学、2011年)

・山口県立萩美術館 浦上記念館編「木版画家立原位貫 江戸の浮世絵に真似ぶ」(山口県立萩美術館 浦上記念館、2015年)

・目黒区美術館編「色の博物誌」(目黒区美術館、2017年)





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