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エンタメに続く現実

映画を観てイライラする。

素行の悪い主人公や登場人物が差別的な言葉を吐く場面を目の当たりにすると、演出の都合とはいえ全く感情移入出来なくなる。フィクションと現実は区別すべきとか、作品と実際の人柄は関係ないという考えもある。部分的にはそうかもしれないが、フィクションが現実に起こっている不条理を解消するきっかけになることもある。もちろんその逆も然り。なのでフィクションは結果として現実を映す合わせ鏡になる。

私は、クィアコミュニティの一人だが、最近初めて「羊たちの沈黙」を観て惨憺たる気持ちになった。連続殺人犯の人物像は、明らかにゲイに対する悪意と差別感情が無ければああいう風にはなり得ないものだと感じた。

あの表現をしたいなら性的少数者が異性愛者と同じように扱われ、人生における選択肢を狭められることのない社会になってからやってほしい。

実際に監督が伝えたかったのはそういうことじゃないんですよ、とか解説をされたところで、その解説に辿り着くのは鑑賞者のうち何パーセントだろうか?映画をエンタメとしか捉えてない層からしたら、エンドロールが終わり劇場を後にした瞬間もう過去のものになっているんじゃないか?

30年前の作品に言うのは不毛かも知れないが、これから生み出されるであろう作品にはそうじゃない作品を望む。

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