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ある種の勝ち筋と、祖国の終わり。-MBTIとZ世代(をはじめとする現代人)との関わりについての備忘録

MBTIの考察ではなく、MBTI界隈(MBTIと人との関わり)の備忘録とそこから得た個人的な着想なので脈絡が微妙なのと、MBTI自体の知識として参考にできるところは特にありません。

まず私個人の近況報告

MBTIのSTEP IIセッションを受講し、「批判ENFP」という自認になりました。

ベーシックセッション(STEP I):4つの指標から16タイプを探る
アドバンスセッション:心理機能を探る
STEP IIセッション:4つの指標をより細かく探る

備考

STEP II 内において
インプリファレンス:STEP Iの指標とSTEP IIの指標が一致している
アウトオブプリファレンス:一致しない部分がある

という用語があり、私はFを指向しつつもT的な解釈・対処の癖がついている、つまりアウトオブプリファレンスの「批判ENFP」型がしっくり来ます。
別に物事を批判しているつもりはないので批判と冠がついてしまうのはなんとなくアレですけどね…!喧嘩腰っぽくて言いづらいな…!
ちなみに、FがT指標を指向する場合とTがT指標を指向する場合とでは説明が全然違います。私はF且つアウトオブプリファレンスな指標を指向していると明確に思います。

私は界隈に来た当初ENTPを自認していて、ステップIの事前質問紙でもENTPが自覚する仮のタイプとして出ていて、STEP IでENFPに落ち着いたあとにもTではないかとSTEP Iを受講し直すほどT/Fに因縁(!?)があったので今回のセッションでその経緯に関しても腹落ちしました。

F下げの風潮? MBTIの"優劣"論について

さて、界隈の話に入ります。タイプや指向に対して「理解できない」を通り越して「価値がない」という旨の意見を散見します。「〜下げ」と呼ばれていたりもします。そして、それに対する反論は「とにかく価値はある」「例外もある」「そう思うならタイプ論に触れる資格がない」「成熟すれば変わる」とかですかね。少なくとも表立っては一旦流す人が多い印象で、反論自体をあまり見ないですが。
結論としてどのタイプも等しく価値がありますが、過程については状況と目的によってニーズには非対称性が当然存在します。この「価値」と「ニーズ」は分けて考えないと正確性を欠き「建前」としてしか機能しなくなってしまいます。ですから、MBTIを何かに転用するときはニーズのバイアスにかかっている自覚が必要です。つまり、現実に想定され得る全ての状況は必ず何かの主義に傾いているという前提の自覚が必要です。
どのタイプも重要なのは確かですが、それは人権意識や建前ではなく、「我々が過ごす状況は必ず変わる」「状況は必ず間違っている」からだという側面が強いと思います。我々の存在は歴史と家系図の一部に過ぎません。

耳学的現代論

以上を踏まえて社会の話と行きましょう。
今日の社会では客観性のニーズが高いです。
以下は穴のある説明ですが、
・科学の普及などで一般人が証拠を持って(ある程度の正確性をもって)考えられる情報・分野が増えすぎている
・ネットの普及などで上記のことが共有されやすく、文化や概念も比較的多くの場所に同じものが共有されている(妥当さが人それぞれではなくなっている)
・人口減と学歴が重視される風潮などから従来は集団の代表者が交渉していた物事を個人が行うことを求められている(他者と共有できる数字やデータが重宝されている)
以上から自由市場の資本主義社会では客観性があれば儲かるので、客観性を求める組織は多く、現在客観性には強いニーズがあります。でも、主観性にも価値があります。ニーズの強い時代もありました。(例えば中世ヨーロッパでの隣人愛の考えなど)

時代の価値観が反映されたZ世代

私の周囲に限定される話かもしれませんが、さとり世代,Z世代と呼ばれるような人達には、眼前に集合知と正解と王道のガイドラインが見えています。自身の若さの価値をよく理解しています。というか、既に自分の人生の総額を値踏みしている人が多いかもしれません。
Z世代の傾向が出ていると私が感じる価値観は以下です。
・投票率が下がっている
・少子化が進んでいる
・子を持たない主張が増えている
・主張の増加に伴い、子を持つリスクと責任などが多く言語化されている
・夜職の人口が増えている
・若さや美しさのマネタイズ全般に肯定的な意見が増えている
以上にキャンセルカルチャーの精神が加わり、若者の間で奇妙な価値観ができているように感じます。

Z世代が持たされる"極端な理性主義"

自由市場の資本主義における王道を行く場合と行かない場合があるかと思いますが、「王道から外れた自覚があるので選民意識が激化しているケース」がある気がします。
・学歴と顔面への強いコンプレックス
・何かのオタクになりたいと思う気持ち(オールラウンダーになれないコンプレックスから、一点集中で自分の価値を作ろうとする)
・好きなもの、1人で熱中できるものが必ずあるはずだという過剰な幻想(社会の中で何かの使命や役割を果たすことを諦め、享楽にシフトしようとする)
・他人に説明できる自己実現(SNSで他人と比較してしまうなど)
・人や動物の微妙な瞬間を切り取った写真が評価される(王道からの逃げ道がたくさん用意されている、そのことに安心する人が多い)
以上のように、大きさや量ではなく、性質に目を向けた価値観を持つ/持ちたいと感じている人が多いと思うのです。つまり、Z世代は、ガイドラインに沿った合理性か、合理性を持たないための合理性のある理由を求められるように感じているのではないかと私は推測します。敢えて率直に言い換えれば、客観性か、客観性のある主観性かを求められているということです。Z世代は極端な理性主義を持たされています。
意地悪な言い方ですが、自分が、社会から、何を思わされているのか?そこに気づかない人は、(露悪的な言い方をすると)"搾取"され続ける人生を送る可能性もまた高いと私は感じます。

今後激化するもの

散々申し上げましたが、「合理性or合理的な非合理性の対立」のあるテーマは激化します。証拠をもとに(手段の豊富さ的に)理性を持って(風潮的に)話すことが是とされているのと、AIが今後進展しようとも、人間の目が黒いうちにはAIがどこかに傾いた前提を含めた判断するのは倫理的に不可能であるからです。
例えば、手頃なところで言うと婚活(をはじめとした男女論も)などは激化するはずです。
・格差問題(貧困問題)
・人権問題
・安楽死
・遺伝子操作
などの話も全体的に浸透し、SNSなど身近な場所でも議論が交わされる機会が増えるかもしれません。

祖国の終わり

少しテーマを変えます。何故犯罪を犯してはいけないのでしょうか?
回答は色々あるかもしれませんが、要は社会システムが崩れるからです。つまり個人が犯罪をしてはならない理由は協調性や社会性以外で説明できません。そのために刑罰というものが存在しています。しかし、協調性や社会性が利点になるのはその集団が盛り上がっている場合だけです。保障されないのなら、極端な個人主義であることが勝ち筋になってしまいます。ですから「Fは下げるべき機能ではないか」という考えとそれを生んだ背景は、祖国社会の衰退と荒廃を示唆するものではないかと私は憂いてしまいます。
ちなみに、私は祖国の衰退に対して、過程としての解決策はほとんど存在しないと考えます(結果的に変わることは十分にあると思います)。また、個人的には解決すべきことでもないと思います。ただまあ、人口の多い他国を見ておくことは少なくとも損にはならず得につながる可能性が高いと思います。

指向そのものについて

性格指向とはあくまで指向です。その人の価値観や生き様とはまた別です。相関があることもあるかもしれませんが。単にどちらを信頼し自然に2択からどちらが反応するかです。例えば、ある指向が過剰に出ているということは「その物事に対処するための情報や構造を知らされていないので、手探りで信頼する指向を使っている」可能性があります。性格よりもその時の状況の分析をした方が効果的なケースは多いかと思います。
さらに言うと、この一連は構造を知っている人が上手く立ち回り教えるべきだと思うのですが、まあそれは個人の自由すぎる話ですかね。ノブレスオブリージュの概念は荒廃した環境の中では単に損失だとも言えちゃいますし。

今後あると思う具体的なケース

この記事の入口はF下げにありましたが、今後T下げも出てくるはずです。いや、厳密にはT下げというと少し違うかもしれない。T裁判とでも呼びましょうか。
特にZ世代の持つ現代社会のニーズを踏まえた価値観的に、事実としてF下げは世間に後押しされ易いでしょう。今よりもっと激化することも考えられます。MBTIの定義するFとは関係のないところまでFの要素として下げられるでしょう。反対に、T下げは起こりにくいです。これは科学に対してスピリチュアルが敬遠されている雰囲気を想像してもらうと分かりやすいかと思います。

さて、そうすると何が起こるでしょう?
・価値観として協調性を軽視し、それをTと結びつける事例の発生(発言者自体はFの場合もTの場合もある)
・本物のTかどうか評価しようとする姿勢と、「Tの自分に酔ってる人」という性質・評価基準の発生

これらが起きます。この土壌が敷かれると、Tと名乗るだけでTではない部分を粗探しするような危険性もあるかもしれませんね。これはジェンダー自認の話などにおいて既に前例が枚挙にいとまがないシチュエーションです。

先ほどと重複しますが、性格指向とはあくまで指向です。その人の価値観や生き様とはまた別です。相関があることもあるかもしれませんが。また、当然ながらT/Fのどちらかを選び続けなければならないわけでもありません。T/Fにおいても単に自然に意識される基準に過ぎないので、シンプルにそして正確に考えたいのであれば、価値観と単なる反応は切り分けて考えるべきです。つまり、MBTIを活用しながらも他の物事に転用させるときは、MBTIを転用しているという自覚をする方が予後は良いでしょう。

オマケ①友人と話したFの魅力、価値

どの時代でも共通するFの価値は、端的に言うと動機付けに繋がることです。エネルギー源、活動源とも言えます。性質がある時点でそれは何かしらの概念であり、概念であれば目的の存在もほぼ確実なので誰しもがFを活用しているでしょうし、たくさんあればあるほどやる気と活気が出ますね。

オマケ②自他境界をしっかり持つ

MBTIへの偏見というか、同じ単語を使っていても解釈は人それぞれです。人によって特殊な環境からサンプリングしている/特殊な認知の人間がサンプリングしているケースもあるでしょう。
インターネットを観るときは、誰かがタイプの話をしていても、個人が責められているわけではないことをめちゃくちゃ自覚していきましょう。少なくとも現時点でリアルの場でタイプに関する過激思想を話す人は見ていないので、なんというかこう、全部インターネットが悪いです

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