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巨神と誓女っていう変なゲームがあったんですけど

はじめに

2021/6/30 12:00まで、この世界には巨神と誓女というちょっぴり変なゲームがありました。今はもうありません。
この記事では巨神と誓女という作品に触れて私が思ったこと、感じたことを書いていきたいと思います。

※考察記事ではありません。力を抜いてふわっと読んでください。ふわっと。

巨神と誓女のあらまし

巨神と誓女を知らなかった人のために、まずはゲームの紹介から始めます。巨神と誓女は2020/7/21、DMM GAMESおよびFANZA GAMESでサービスを開始したいわゆるソーシャルゲームです。FANZA GAMESということは当然ムフフなシーンもありました。ムフフ。
基本的にはガチャを回して集めた美少女を強化して敵を倒していくというオーソドックスな構造をしているのですが、スタミナ要素が存在せずその気になれば際限なく敵に挑戦し続けることが出来るなどいくつかの斬新な要素も含まれていました。
詳細な紹介はこちらの記事が優れていると思います。https://www.4gamer.net/games/508/G050815/20200716029/
翌年6月末にサービスを終了しているので商業的には上手くいかなかったのでしょう。

墓石と献花~どのように物語は始まったか~

巨神と誓女の世界は透き通る様に美麗でありながらどこか常に死の影をじわりと感じさせるものでした。その片鱗はタイトルロゴに既に現れています。

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灰色を基調としたロゴとそこに添えられた色とりどりの花は墓石とそこに手向けられた献花を思わせます。

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ゲームが開始すると映画風のOPムービーが流れそこからシームレスにチュートリアルの戦闘が始まります。現れるのは小さな山か丘を思わせるような体躯に無数の剣が突き刺さった巨人です(後に騎士の巨神という名前である事が分かります)。灰色の敵と灰色の世界の中で少女達(彼女たちは誓女と呼ばれます)だけが鮮やかに躍動しています。
敵を倒し戦闘が終了するとレクイエムが流れます。鎮魂歌です。ファンファーレではありません。本当にこれでよかったのだろうか?と少し不安になってしまいますね。
戦利品の確認画面でも単に『Battle Result』とのみ表記されていて『Victory』とか『Win』とかいった表現は見当たりません。暗に「これは勝利と呼ぶべきものではない」と言われているような気もします。
※後に連続自動出撃機能が追加されて勝率がちっちゃく表示されるようになりました。
ちなみに、全滅した場合のメッセージは『Failure teaches success』です。

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R18版の場合はこのあとえっちなシーンが挟まります。相手は墓石とスコップを武器に戦うアリシア。本名アリシア・アンダーテイカー(=葬儀屋)です。こうして振り返るとアピールの圧が凄かった。

反復の物語/物語の反復

巨神と誓女にはいわゆるメインストーリーというものがありません。代わりに用意されているのが巨神の謳(うた)です。
本作の敵(と呼ぶのが適切かについては疑問がありますが)である巨神は戦いの最中にうわ言やうめき声のような言葉(うた)を発します。この言葉は巨神にまつわる物語の断片であり一度耳にした言葉は図鑑に登録され最終的に短編小説として読むことが出来るようになります。これが巨神の謳です。

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巨神の謳は背景になる世界観も時代も基本的にはバラバラで相互には直接の繋がりのないものがほとんどですが、そんな中で共通して現れるモチーフがいくつかあります。

・死者の(あるいは死そのものの)冒涜
・本物の死/原典の喪失
・模倣/再構築/同化

これらは時代と場所を越えて繰り返し出現するモチーフなので作品の全体像にかかわるテーマなのだろうと思います。
騎士の巨神の物語では黒騎士を倒すという行為を通じて主人公の聖騎士自身が黒騎士となってしまいました。
真龍の巨神の物語では真龍グラウは人を喰う事を通じて人に近づき主人公ルンは最終局面でグラウを喰って龍となるか否か選択を迫られます。
冒涜の巨神の物語は消えたスーパーヒーローの悪質なコピー(ジーンの継承)をなんの力も持たないただヒーローのコスプレをしただけのファン(ミームの継承)が打ち倒す物語でした。
他にも頻出キーワードは色々とあるのですが(自由とか)やはりとりわけ『再現/再演』の要素は重く取り扱われていたように私は感じます。
反復の物語が反復されていると表現してもいいでしょう。
これは「同じ台本(=歴史の大まかな流れ)を役者と舞台(時代が違ったり違う次元の世界だったり)を変えて繰り返している」という世界構造を暗に示していたのではないか?
…といったような具合に空想の喜び楽しみを思い起こさせてくれる作品だったわけです。

君の名を呼びたい~知りたいという気持ち~

巨神が短編小説の形で語られる一方で本作のヒロインたち(誓女と言います)の人となりについてはあまり具体的には語られません。巨神の謳に登場して活躍が描かれることもありますが全体から見ると少数です(この辺りはサービスが長く続いていたら事情が違ったのでしょうが)。そもそも、この世界に呼び出された誓女たちは程度の差こそあれ記憶の喪失や混濁を抱えており自分の名前さえうろ覚えです。いわゆるプロフィールみたいなものが用意されて無いわけですね。
ではどのようにして彼女たちについて知ることが出来るのかというと拠点での雑談や戦闘中のボイスが主な情報源になります。これらはテキストとして書き起こされていないのでプレイヤー自身が聞いて覚えて全体像を類推していくことになります。基本的にはランダム再生なのですべてのボイスに触れるまでには時間がかかる事でしょう。
これを補強・補間する要素として誓女の謳が用意されています。誓女の謳は8行の詩です。誓女たちが巨神の謳に触発されて記憶を取り戻す度に空白の行が埋まっていき、全ての行が埋まったとき彼女たちは自身の真の名とその生涯で印象的だった場面を思い出します。これもまたランダムに発される巨神の謳がたよりなのですべてそろえるには時間がかかります。
こうして断片的な情報を集めていくと彼女たちの一部(或いは全員かもしれない)がどうやら既に死んでいること。何らかの誓いを立て、それを果たせぬまま生涯を閉じたらしいことが朧気に分かってきます。
また、彼女たち個々のバックグラウンドとは別に物語の舞台となっている世界(フレストニアと言います)は何なのか?巨神とは何なのか?について、あくまで彼女たちの私見という形ではありながらもヒントを聞くことが出来ます。曰く「巨神は(私と同じ)亡霊」「巨神は怯えている」「巨神は思い出の外側」等々。
皆が皆そうと言えるわけではないと思いますが、少なくとも私自身に関してはこれら種々の知りたいという気持ちがプレイの原動力の大半を占めていました。そしてそれが制作側の意図するところでもあったろうと私は思います。

矛盾に満ちた命題~ゆっくりと、しかし急いで~

巨神と誓女は決して難しくはありませんがとにかく時間がかかるゲームでした。前述の謳集めを始め育成のための素材集めも希少な素材の要求数が多く、自動周回機能があったとはいえ非常に時間のかかるものでした(張り付いている必要は無いので負担は大きくありませんでしたが)。ゲーム本編とは別にミニゲームが複数用意されていたり考察用の作図ツールが用意されていたりと寄り道、脇道が豊富に整備されていました。そしてこれらをあくまでもプレイヤー自身のペースでゆったりと楽しむことが出来たのです。

一方で、巨神と誓女は商業として展開しているソーシャルゲームでした。プレイヤーの射幸心を煽り、競争心を煽り、急き立てて金を落とさせなければなりません。ゆっくりと、しかし急いで。この二つは真正面から衝突する命題です。そしてその両立について、巨神と誓女は多くの問題を抱え、上手く解決出来ていなかったように思えます。
育成素材の要求数の設定は適正だったろうか?ガチャの排出率の設定は適正だったろうか?サービス開始後、最高レアリティにしかガチャからの排出キャラを追加しない方針は正しかったのか?レアリティによる性能格差は適切だったか?そもそもキャラクターにレアリティを付けるのは正しい判断だったろうか?色々な論点があると思います。しかしだからと言ってスタッフが無能の誹りを受けるのは間違いだと私は思います。だって、こんな変なゲーム前例がありません。一体何を参考にしてバランスを考えればよかったのでしょうか?全くの暗中模索だったに違いありません。だから不満は不満としてありつつも、挑戦そのものはすごいと私は思っています。

余談になりますが、物語の考察を中心に据えた本作に於いて寝室(つまりはえっちなシーンなのですが)は要らなかったのではないか?という論もファンコミュニティで散見されますが、一概にそうとも言えないと思います。
私自身も寝室にはほとんど関心が無かったのですがサービス終了目前で「せっかくだから」と一通り鑑賞したことで考えを改めました。
まず単純にイラストの品質が全体的に高いことが一点。そしてその内容においても(全部が全部そうというわけではなく獣のように快楽を貪るものも少なくありませんが)寝室での交流の中で誓女自身が何等かの救いを得るものがあり、これを無くても良いとするのは少々乱暴に思われるのです。もちろんえっちなシーンにしなくとも表現のやりようはあるのでしょうがキャラクターによっては生前のやり残しが「愛する人と子供を作る事」だったりするので難しいところがあります。
また、キャラクターのバックボーンの掘り下げ以外に世界設定の補足情報が若干含まれていたりするので油断がなりません。アイノの2回目の寝室冒頭で台本を破り捨て役から自由になるという芝居の描写があるのは終わってみると非常に示唆的である様に思えます。第4の壁、越えちゃう?

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どう読みたい?どう読ませたい?

巨神と誓女は一つの作品の中で神話、SF、ファンタジー、都市伝説、時代劇、アメコミヒーローなどとにかく何でも全部やってしまおうという非常に野心的な世界観を構築していました。そのうえで、それぞれの世界が微妙につながっている気配も見せていました(残念ながらすべてが詳らかになる前に終了してしまいましたが…)。
作品全体を包括する世界観の解釈として、次の4つが与えられていました。

創世論 終末論 冥界論 妄想論

これらは本編中では直接的には触れられずヒストリーメーカー(なんとゲームの中に考察整理用の作図ツールがあったのです!)用のスタンプとしてランダムに入手することが可能でした。新たな世界の始まりを描いているのか、逆に世界が終わろうとする姿なのか、もしくはすべては既に終わってしまっていてここは死後の世界なのか、あるいはすべては単なる妄想に過ぎないのか……どの解釈も真実の一端を捉えているように思えます。付け加えるならば、これらの解釈は相互に排斥しあう関係ではないところに作品の懐の深さを感じます。
もっとこの物語に触れていたかったですねぇ…

巨神の死体から世界が始まる

始めのほうで書いたように、巨神と誓女のファーストインプレッションとして強く連想されたのはでした。全体を振り返ってみてもやはり死と終わりを非常に強く意識して作品が作られていたように思います。負けた者、死んだ者、滅んだ国、捨てられた女、あり得ざる妖精、存在の否定された元素、見間違いだった惑星、悲劇に終わった冒険、そういったものや事に対する慈しみが作品全体を貫いてたのです。そして巨神と誓女という作品自体の終わりも最初から見据えられていたのではないかな?という気が私はしています。
ここまで読んで方は「なんだかすごく真面目で繊細な作品なんだなぁ」みたいな印象を持たれるかもしれませんが実際のところはかなり頻繁に(えっちなシーンですら!)パロディやギャグを挟んで積極的に笑いを取りに来る作風なので退廃的で繊細な世界観の割には全然悲壮感が無くて、でもその明るさの向こうにはどこか影があって…みたいな?
だからいつかサービスが終了してゲームとプレイヤーに別れが訪れたとき、笑って見送って欲しいから、そういう思いが最初から込められていたんじゃないかなと。(オープニングの体で見せられたムービーも解釈によってはエンディングそのものですしね)
なんかこう、作品内の個々の描写ではなくて込められていたであろう思いの方に胸を締め付けられちゃうんですよ。

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ともあれ巨神と誓女は終わってしまいました。もはや死んだ作品です。
『完結』や『終了』ではなく『死』に触れたと呼ぶべき感慨が私の胸にあります。(この辺は様々な問題を抱えつつもソーシャルゲームという形態であったればこそという面があると思います)
続編を望む声もありますが、おそらく出ないし、出すべきでもないだろうと私は思っています。…そう言いながらも何か出たら買っちゃうとは思いますが。
一方で巨神と誓女のフォロワー作品はこれから出てくるだろうという予感、というか確信が私にはあります。決して多くの人では無いものの、その胸の奥深くに深々と突き刺さり燃え立たせるような、そういうポテンシャルがある作品です。

巨神と誓女は慰霊と再起の物語です。
私自身が立ち上がれるのか、わからない。
だけど燃えカスに小さな火は灯った。

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