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波の下限で生きていく

 被害者でい続けることは難しい。
 弱者利権とか強い言葉を使うまでもなく。被害者は被害者であるが故に、加害という行為が手段として有効であることを学習してしまう。
そんなつもりはなくても、屈服するという形で、手段としての暴力を肯定してしまう。
 ガンジーが非暴力だけでなく不服従だったのは、非暴力だけでは暴力の否定には足りないからだったんだな。
パッシブアグレッシブとかも暴力によって相手をコントロールできると学んだ結果なのかもしれない。
被害を受けた側は、その直接の被害以外に、自らが加害者になる種まで埋め込まれてたまったものではない。
 加害者を生み出さない環境が作れればよいのだけど、『TRAIN TRAIN』の歌詞ではないが、“さらに弱い者をたたく”ように、集団の中で立場の一番弱い人間にしわ寄せが来る。
その人がキャパを越えてパニックになったとき、刃物や鈍器やハンドルを握らないとは限らないよな。
 気持ちの切り替えというけれど、パニックになったときはそれどころじゃなくて、不調、というか低潮の、波の下限で生きていけるようなスケジュールを組まないといけない気もしていて。
 一度調子を崩すとフリーズしたり、意に沿わない箇所をコピーしてペーストし続けるみたいに初歩的なミスをくり返したりして、生活ってほんと大変。


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