連載小説「メイドちゃん9さい! おとこのこ!」4話「教育」おひさま!
伝統と文化の街、倫敦。
この物語は、倫敦のちいさなお屋敷を舞台にお届けする。
9歳のちいさなメイドちゃんと、お年を召した奥様の、1年間の日常です。
外は七月の晴天なれど、お屋敷には暗雲立ちこめて、雷幾度も落ちたりて。
「奥様、そのような甘いことをお考えになってはなりません。学校に行かせようなど……。この子は奥様の使用人なのですよ!」
雷落とすは一人の老女。昔お屋敷でハウスキーパーをお勤めでした、フランソワーズさんでございます。
長いワンピースがどこかヴィクトリア朝めいた方。
ほとんど抜けた柳眉を逆立て、元の主人にご意見申し上げます。
忠義立てたるご主人は、お召し物こそ高価ながらフランソワーズさんとよく似た老女。
腰も曲がらず品よく痩せた、優雅なご婦人であらされます。
……今は、フランソワーズさんの雷に気弱に反論なさっておいでですが。
「あのね、フランソワーズ。今は時代が違うのよ。ほら、リチャードだって学歴がなくてつける仕事じゃなかったでしょ?」
援護を求められたブラウン氏、おそるおそるに進言します。
「母さん、その……。私を1人で大学までやってくれたのは母さんじゃないか。だから」
「お黙りなさい。あなたを育てられたのは、奥様のおかげ! 夫も職も身寄りも財産も失った私たちを拾ってくださった唯一のお方なのですよ。私もあなたもご恩返しをする義務があります!」
ぷるぷる震えるはメイドちゃん。ヘッドドレスもへにゃりと垂れ、トレイを握りしめています。
彼は渦中の当人なれど、未だ新米下っ端メイド。クラシカルなメイド服に見合った働きは果たせません。
お屋敷にお2人がおいでになったときは和やかだったのですが……。
たまってしまった大量のお酒の瓶が発見されたあたりから暗雲が立ち込め、何枚もの煙草の領収書、未開封のままゴミ箱行きにしてしまった健康診断の案内と、みるみる暗雲濃くなりゆきて。
奥様が「そろそろユーリを学校に行かせようと思うの。今のうちに手続きしてしまえば、今年の1年生入学に間に合うでしょう?」と、おっしゃった瞬間。
最初の雷がとどろきました。
いつも毅然とした奥様が見る影もありません。
別に怒られていないメイドちゃんも半泣きです。
「奥様、そもそもこの子は読み書きができるのですか?」
「その……アルファベットもできないわ……。だからこそ」
「奥様はおいくつになられますか?」
言い切らせてくれません。
「は、80だけれどね……。でも私は」
メイドちゃん、そーっとフランソワーズさんを見ます。
きっと見返されます。びくびく目を伏せます。
心の中でがんばってー、と言います。
口に出す勇気はありません。
「奥様、その通りでございます。奥様は80歳です。80歳にもおなりなのです。それに比べてこの子はいくつですか?」
「9歳よ。だから、だからねフランソワーズ。私が死んだ後、この子が1人立ちするためには教育が必要なの。学校に行かせなくてはいけないのよ」
メイドちゃんの目に涙が浮かびます。ぷるぷるとフランソワーズさんを見上げます。
老いてなお忠実なハウスキーパー。厳しい瞳で見返します。
「ユーリ、使用人たるもの報告はきちんとなさい」
そうです。メイドちゃんは奥様のメイド。
幼くとも忠実なメイドです。
勇気を振り絞りました。
「学校はいじめられるからいやです!」
メイドちゃんも小さな男の子。
他の子どもと顔を合わせずして生きていかれません。
けれどもお隣のペーター以外、子どもはみんなメイドちゃんが嫌い。
パパもママもいない、自分の誕生日も知らない子は嫌いなのです。
奥様、はっとなさいました。
メイドちゃんは9歳なのに1年生で、アルファベットも読めないのです。
学校でいじめられないわけがないのです。
フランソワーズさん、メイドちゃんによろしいとうなずき。
「ずっと行かせるなと申し上げているわけではありません。この子が勉強で困らなくなって、自分で学ぶところを選べるまで、何よりこの家での暮らしにもっと慣れるまで。それまで学校はお待ちくださいと申し上げているのです」
そして、今までで一番毅然とおっしゃいました。
「ですから奥様、いいかげんご隠居なさいませ! 健康安全にこの子に勉強を教えて、穏やかな生活をなさいませ!」
やっと奥様にも毅然さが戻ってこられました。
「それはとても理想的な老後だわ。でも、やりません。私は仕事を続けます。ユーリの学校は……もう少し先になってから考えるわ」
フランソワーズさん、メイドちゃんを見ます。
しかしメイドちゃん、もう奥様だけを見てしまっています。
「僕、お仕事している奥様が好きです」
笑顔になってしまいました。
メイドちゃんにはわからないむずかしいお仕事。
それでも奥様の元気の素は、お仕事だってわかるのです。
ようやく優秀さが戻ってきました。
メイドちゃんは弱虫ではありません。
ただ、ほんの少しだけ、経験が足りないのです。
フランソワーズさん、大きくため息。
「そうおっしゃるとはわかっておりましたけれど、やはりがっかりはいたします。リチャード!」
やにわ息子さんに向き直り。
「あなたがこの子に勉強を教えなさい」
「ええッ!」
急に命じられたブラウン氏。悲鳴を上げるもさえぎられ。
「定年退職したばかりで元教官。家庭教師として不足はありません。奥様、よろしくお願いいたします。ユーリ、奥様の名に恥じぬように努めなさい」
かようにすっかり決めてしまわれました。
そのまま帰り支度を始めるものですから、メイドちゃんはあわてて質問します。
「あの、あの、なんで急に学校だったのですか?」
奥様、はっと気づきます。
「いけない。学校のことに夢中になってしまっていたわ。本人に言うのを忘れるなんて」
奥様、しゃがんで視線を合わせ。メイドちゃんをぎゅっと抱きしめます。
「あなたのお誕生日がわかったの。昨日あなたが寝ているうちよ。ユーリ、あなた9歳になったのよ。絶対そうだとわかったの。お誕生日おめでとう」
実はこれまでメイドちゃん、歳は”たぶん”の子どもでした。
だからこれからメイドちゃん、9歳、10歳、19歳と。ゆっくりゆっくり大きくなあれ。
Next moonlight.
2020/09/27
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