不眠脳の証言
寝れないのは辛いもので、変な時間にちょっと寝てしまったことが原因でここまで寝れなくなるとは思わなかったのである。
寝れない中で夜の方が脳は冴えるもので、考え事は相変わらず頭の中で回り続ける輪廻に取り残されている。
今後眠れない夜を過ごさずに済むように努力は積むものとして、今寝れない夜のうちに考えたことを残すこともありではないかと思う。
考えることはありとあらゆることで、あの時の失敗やこれからの希望とかである。
それが白んできてしまった空を若干恨む自分の心を客観視することに繋がる。
寝る前に見たスケボーの動画を思い出して、早く試してみたくなったりしている。
仕事で関わる子どもたちの生きやすさについて思いを巡らし、自分の存在の必要性を見失う。
布団に入る直前に見たウルトラセブンのメトロン星人の言葉が頭の中に響く。
つまらない地球人のために宇宙人が争うこともない。たしかにまさしくそうだと思う。
来年の元旦から宇宙人によって完全なる支配の中に落ちた地球の生きやすさたるやないものだと思う。夏が好きな宇宙人であれば支配されてもなんら問題はないのだ。欲を言えば、平和的な侵略であれば尚良し。
仮に太陽光が苦手な生き物である場合、僕は地球を脱することも辞さないだろう。
ふと思うが寝不足と不眠の差とは何か。そこに苦しみがあるかないかではないか。
きっと今日本のあらゆる宗教かも政治家も天皇も寝ていると思われる時間。その時間に僕は起きて、地球の支配が起きることを望んでいるというのもなかなかシュールな現実だろう。
ジュールヴェルヌは想像することは必ず実現するという。良い言葉だ。人に希望を与えることこの上なしだ。
ありとあらゆる汚い人間に囲まれて、腹が痛み心は摩耗し冬の寒さが拍車をかける心の不穏な鼓動を感じる。
ささやかな情動すらも何か些細な完璧に思える瞬間があるようだ。
今日は海を見に行こう。仕事は休みだから思いつきが良く光る。頭痛が僕の神経を昂らせて、不快感は高まり続ける。
肉を食べたことがこの不快感の惑星軌道上にあることは確実。菜食主義者ではないが、野菜を食うのは口ではなく頭だったと今気づいた。
人として今生きていることもそうだが、生きることの積極的な理由は未だ見つからないまま。そのまま生まれてから続く心の不快感は相変わらずであると客観視できた眠れぬ夜だ。
サボテンを羨ましく思う。熱い環境にしか生きれぬ事は寒さからの免罪符とも言える。
自由は自由ではなく、平和は平和ではない。幸せは幸せでないし、価値は価値でない。だとして、人はただ目先の子どもや未来のために今日も働くのだろう。
人とは強い。
しかし、その中で人である僕は自意識過剰に自分を見つめる。
世界が漢字とアルファベットによって支配されている現実が僕を少し不快にさせて、ひらがなは案外世界を優しくするのにな。みんなひらがなの力に気づいていないようだよ、と話しかけたくなる。
このようなことを考えているようだが、これは際限がないもののようだ。書こうと思えば10000字とも100000字とも分からないが続くだろう。
価値はないが、今日は寝れずに朝となった。不快な朝である。
まわりまわって、世の中が幸せになる使い方をします。