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11/4だから詩の話

 今日は、タイトル通り11/4だから、詩の話である。まずは『詩経』のなかの「蟋蟀」という詩(の一部)。

絵ではコオロギだが…

 蟋蟀(キリギリス)が堂(たかどの)で鳴いている。今年もやがて暮れゆこう。今をこそ楽しまなければ、日月は過ぎ去るばかり。
 しかし、楽しみに度を過ぎるこてなく、つとめて自分の勤めを思え。楽しみもほどほどにせよ。よき士(おのこ)は常にこころをくばるもの。
(『詩経・楚辞』ビギナーズクラシックス)

 ちなみに、コオロギと打ってもキリギリスと打っても、蟋蟀と変換されるのであった😁。

 もう一つは、切磋琢磨の語源になった詩から。
 
 『論語』学而篇に、子貢が「貧しくとも卑屈にならず、金持ちでも昂ぶらないのは、どうでしょうか?」と言うと、孔子が「それもよいが、貧しくとも楽しく暮らし、金持ちてあっても礼を好む者には及ばないだろう」。子貢「『詩経』の"切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し"というのは、この事を言うのですね。」

『詩経』衛風の中の詩

 彼(か)の淇(き)の墺(くま。水が陸に湾入している所)をみれば 緑の竹のうるわしく げにもあざやけき君子は 切するが如く 磋するが如く 琢するが如く 磨するが如く

 という詩からきている。

 上の子貢のセリフの後に、孔子の「賜(子貢の実名)よ、お前こそ、はじめて一緒に詩の話ができるというものだ。お前は何かを告げると、その先野ことがわかる人間だ!」という賛辞がつづくのである。

 ちなみに、日本語は「詩」も「四」も「シ」だが、中国語は「詩」は「shi(シ)」で、「四」は「su(ス)」だから、シャレにならないのであった😅。(11をイイとしてgoodの意味になるのは日本🇯🇵語くらいだろうし…)。

          🐻

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