諡(おくりな)
今月は文月。
ちょっと意味合いは違いけど、古代中国で死語につけられる諡(個人の生前の行いな業績に対してつける呼び名)で、「文」の字がつくのは、最高級の評価である。
子貢が質問して言った。「孔文子は、どうして文という諡がつけられたのでしょうか?」先生は言われた。「鋭敏でありながら学問を好み、目下の者の意見を聞くことを恥ずかしいと思わなかった。だかや、文という諡がつけられたのだよ。」
孔文子の死語、彼の未亡人が弟とクーデターを起こし、子路がそれを止めようとして、戦死した。なので、見出し画像に登場する(笑)。
孔文子の死は何年かよく分からないが、たぶんBC480年か、それよりちょっと前(子路の没年はBC480年とはっきりしている)。
諡という制度?に真っ向から立ち向かったのが、秦の始皇帝。「後世の者が、先の君主や諸侯の生き方にケチをつけるとは、ケシカラン!」と、諡号に反対し、始皇帝、二世皇帝…と呼ぶようにしたのだが、永久に続くと思われた秦も、十五年ほどで滅亡してしまった。先の事は分からないものだ😅。
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