卒業式とピアノの思い出
小さい頃から茫漠とした子どもだった。にぎやかにお喋りをするタイプではなく、母からは「女の子なんだから、もっと幼稚園であったこととかいろいろお話しなさい」なんて言われるような子どもだった。
「亜瑚には、女の子らしい可愛げがない」と言われたこともある。何故お喋りしないと可愛げがないんだろう?と疑問に思ったが、黙っていた。
そういうところが可愛げがないんだと思う。
「本を渡しておけば、2時間でも3時間でも黙って読んでいるような子ども」だった。いちごがおやつに出ると、下の弟二人がどんどんほおばってしまうので、見かねた父が「これはお姉さんの分!」と別皿に取り分けてくれるくらいぼんやりしていた。
幼稚園の卒園式のことだ。生まれたばかりの弟を背負い、3つの弟の手を引いて出席していた母は、式の途中で泣き出した弟をあやしに外に出た。
式が終わってママ友に言われた一言に母は愕然とする。
「亜瑚ちゃんすごかったね!ピアノ上手ねぇ!」
卒園式の最後の園児の合唱曲を、私が伴奏していたというのだ。
今と違って、誰かがビデオやスマホで動画を撮っておいてくれる。という便利な時代ではない。卒園式の合唱は、その時一瞬しかない。
家で、ものすごく、ものすごく怒られたことは言うまでもない。
「亜瑚が伴奏するのなら、お父さんに会社を休んでもらって、弟たちを預けて卒園式に出たのに!なんでそういう大事なことを言わないの!!」
そういいながら、母は泣いていたように思う。怒っていたのではなく、ものすごく悲しんでいたのだ。
卒園式は一生に一度、その時しかないことなのに、私は自分がピアノ伴奏を頼まれたことを母に一度も言っていなかったのだ。
もう一度、お母さんに聞かせてあげようにも、もう卒園式は終わってしまった。人生には、「取り返しがつかないこと」「やり直しが効かないこと」ということがあるとはじめて知った出来事である。
もし、タイムマシンがあるのなら、6歳の私自身に聞きたい。どうしてお母さんにピアノ伴奏のこと、言わなかったの?
「だって、聞かれなかったから…」と言いそうな気がする。
6歳の私の肩を持つわけじゃないけど、私が「茫漠とした子ども」だったのは、担任のいまいもとこ先生だってうすうす気づいていたはずなのだから、「れんらく帳」に「亜瑚ちゃんに卒園式で歌う“おもいでのアルバム”の練習をお願いしました。お母さん、楽しみにしていてくださいね」くらいのことを書いておいてくれたっていいじゃないか。
お母さんだって、家で何度も私がピアノで“おもいでのアルバム”を練習していたら、あれ?どうしたんだろうって気づいてくれないかなぁ。いつもはきいろのバイエルばかり練習していたのだから。
・・・手のかかる、生後半年の赤ちゃんを含め、3人も幼い子どもを育てているお母さんには、酷な話か。やっぱり、私がぼうっとした子どもだったことに原因があるんだろう。
卒業式とピアノに関しては、もう一つ思い出がある。
中学二年生の時のことだ。「君が代」と「校歌」、最後の「卒業生に贈る曲」(確か、“旅立ちの日に”だ。)の3曲の伴奏をするようにと音楽の先生に言われ、楽譜を渡された私に、友人が言った。
「君が代と校歌は、私に弾かせて?亜瑚はいつも伴奏しているんだからいいじゃん。私にもやらせてよ」
友人の申し出を断るような理由はない。何より、断って友人とギクシャクするのが嫌だ。私はあっさりその申し出を了承し、楽譜を渡してしまった。
数日後、急に担任の佐藤先生が家に来たのには驚いた。母と私を前に、先生は言った。
「齋藤さん、せっかく音楽の先生に選ばれたのだから、先生は齋藤さんにピアノを弾いてほしかった。どうして役割を友達に譲ったりしたの?どうして断らなかったの?そういうのは奥ゆかしいとか謙虚なのとは違いますよ。」
母は恐縮し、私は釈然としない思いで先生の言葉を聞いていた。
14歳の私には、「自分の役割をまっとうすること」よりも、「友人との摩擦を避けること」に価値があったのだから、仕方がないではないか。
今の私ならどうするだろう。
タイムマシンで昔に戻っても、やっぱり譲ってしまうような気がする。茫漠としているのは、大人になっても変わらないのだ。