ハッピーアイスクリーム

 twitterには書いたけれど、体調も精神ともにあまり具合がよくない状態がつづいていたので、すこしばかり夏休みをとろうとおもっていた。お酒も休み、血糖値はじめもろもろの薬をのみ、小人閑居してせめて不善を為さないようにと。

 もともと、ぼくは10代のころから尖ってはいたけれど、無意味に攻撃的になるということのきわめてすくない人間だった。もちろん「おまえなんか顔がいいだけで詩なんかどぶ板の下レベルじゃ!」といわれれば、「なるほど、あなたはたしかに詩はすばらしいけれど顔が焼け野原だね!」と返す、そういう夜はおおいにあった。ただ、6月の末あたりから、なんだか全方位的に、じぶんのなかでふくらんだ架空の”世界”めいたものへ当たり散らす、というたいへんお行儀の悪い衝動に突き動かされるのが幾度かあり、これはいかん、と、7月6日の朝に前掲のような内容をツイートし、さて、これから最大半月ちょっと、告知以外はなるべく緘黙し、陋屋にてシャバダバダーと決め込もう、としたものだったのだ。いや、黙ってへんやん。馬繋げ。駒が勇めば花に嵐のたとえが生れてどっちみちめんどくさいですね。

 ところが、である。

 7月6日はわが賢弟31歳の誕生日だった。誤解なきよう補足しておくと弟の名前が「31歳」なわけではない。若宗匠です。あっ、またわけのわからないノリツッコミでもない天丼詩人ジョークを!と読者諸兄姉がいま異口同音にツッコみましたね。そういうときはこう言う。ハッピーアイスクリーム!

 さて、いくらこんな地底の星、掃き溜めの鶴、腐った鯛のような愚兄でも家族で一夕(編注:データ、ではなく一夕は「いっせき」と訓みます。将棋の桂馬という駒を「カツラ」と言わないのといっしょです)、お祝いの席を囲んだのだ。とあるお寿司屋さんにて、わたしは鋼鉄のメンタルでもって、お茶を注文した。おいしそうな冷たいお茶がやってきた。さりながら(と、いうと木村衣有子さんをおもいだす)、乾杯を終え、カウンターに並んだ父65歳が「あっ、呑まないんだ。それは健康的でけっこうけっこう」ビールをぐいっとあおり、トドメとして祖父98歳が満面の笑みでビール(氷入りの、いわゆる「大宗匠スペシャル」)を片手に「なんや吞まへんのかあ。まあ、吞まへんほうが身体にはええかもなあ」とおっしゃった瞬間、遠い宇宙のどこかでなにかがはじけた。

 菊地明史よ。きみは、菊地明史としてではなくchoriとしてであるけれども今朝あんなことを宣言しましたよね。じぶんでもそこそこ切実な決断だったわけですよね。明史よ。ルビコン川のワニの目のように冷静に考えろ。

 ここはお寿司屋さんだ。

 その火を越えてこい、潮騒が聞こえる。トンネルを抜けるとそこは常夏の楽園ベイベー。「切実」と書いて「きりみ」と呼びたいような魚たちが理性の大階段をしゃなりしゃなりと、可視的に現前する。受験戦争の申し子たるわたしはかつてIQが流行っていたころ、塾でテストなど受け「天才です!」といわれたわり、その後高校を留年し、一芸入試の大学も2単位しかとれず中退した程度のものだけど、午後の栄光から夕方に気持ちが曳航されてゆく音が耳を覆ってゆく。「一族郎党のなかに吞まないひとはいませんでした、いませんでした、いませんでした……」

 ここはお寿司屋さんだ。そのひびきが10倍になってこだまする。

 まだ二口ぶんしか減っていないおいしいお茶。目の前にはタイの昆布〆、トロ、甘エビたちが舞い踊っている。白焼きもくる。タイの子の煮凝りやらじっくり煮含められた小芋さんも、冬瓜とえびのあんかけも、プライマル。


 わたしは、声を大にする必要などないのに、まるでシュワルツランツェンレイターのあのひとのように「お手すきで冷酒ください!!!」と叫んだ。

 かくて明史は千なるばかばかしさとなった。


最後になったけど、たかちゃんよ、誕生日おめでとう!


 



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